あの日々の選択は

どんな選択をしたとしても、後悔は必ず付きまとう。
さすがに30数年も生きていればそれくらいのことは身に沁みてわかっているつもりだ。それでも過ぎてしまった事柄について考えを巡らせる度、澱のようなものが左右の肋骨の間、みぞおちの拳1.5個分上のあたりに積もっていくような感覚を覚える。心臓の在り処が本来の場所からずれてしまったような。あるいは空気が個体とも液体ともつかない何かになって気管を圧迫するような息苦しさをもたらす。
最近の僕にとってのそれは、もっぱらももの生命の行く末を決めたあの日の選択に他ならない。

2019年10月初頭、ももの様子に明らかな違和を感じた。
「ご飯の減り具合が鈍い。どうしたのだろう」と。
元来、ももはとても食いしん坊であった。
お腹が空けば決まった時間以外でも誰かしらにご飯をせがみに行くし(そして、それは大抵の場合失敗する)、朝ご飯などは寝ている僕を叩き起こして取り立てるとすぐさま平らげて居間へ出向き、家族が起きてくると未だ食べていないかのような様子で「にゃぁ…」と心許ない鳴き声を絞り出してもう1度朝ご飯を引き出そうとするのだ(そして、それは大抵の場合失敗する)。
人間の食べ物を欲したことは幼猫の時に一度きりというお利口さんだったが、とにかく食べることが大好きで、一時期は5kgを超える体重になったこともあった。
そんなももの食欲が明らかに落ちている。
持病の膀胱結石によってトイレの調子も良くなさそうだし、ちょっと診てもらおうと動物病院に向かった。

結論から言ってしまうと、ももの食欲不振の原因は最期まで明らかになることはなかった。
病院でなんらかの処置をしてもらえば2〜3日は食欲が多少上向く程度とは言え戻るのだが、かかりつけの動物病院でも大学病院でも「猫の食欲不振は原因の特定が難しい」という。
レントゲン・エコー・血液検査などをやっても異常は認められず、さらに深く原因を追求するとなると、ももの体にも大きな負担を強いる検査が必要になる。大学病院では、ひとまずの結論としてそこに至った。
ももは既に13歳と立派な老猫だったことや、4kg台だった体重は3kg前半まで落ち込んでいたこと。仮に原因が明らかになったとして、どれくらい先の見通しが立つのかということ。いろいろな可能性を加味して、どうするべきなのかを一晩中考えた。
時間はそんなに残されていない、気がした。

「結果的にももに恐怖を強いる決断はできなかった」
聞こえが良すぎるな、と思う。今となっては。
ももと僕の最期の日々。その1ヶ月半という期間に、ももは何を思っていたのだろう。
当時も、そして今は尚更それを知る術などないが「もしかしたら、ももはまだ生きていく気力が十分にあったのかもしれない」と時々考える。
やせ細って、体重が3kgを切ってからも、ももは時々お気に入りのおもちゃを引っ張り出していた。それを見つけて目の前に差し出してみると楽しそうにじゃれてきたこともある。
蛇口から流れる水を飲みたくて、浴槽の縁に手を掛けて2本足で立っていたこともあった。それもできなくなると、僕はももを膝の上に載せて、一緒に浴槽の中を覗き込んでいた。あの時、ももは何を見てどんな風に思っていたんだろう。
そういった場面を思い返す度、あの1ヶ月半…その中のひとつひとつの選択は正しかったのか、もものためになっていたのか、わからなくなる。

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