フランソワ・ケヴォーキアン という DJ その4

音楽とは不思議。

「間違っている。」と人に言われたとしよう。話し言葉でそう聞いても、なかなか自らの誤りは素直に認められない。それに比べて「音」という世界共通である言葉で、同じ内容が伝えられても素直に聴けるのだ。同時にすぐに心へと浸透してしまい、突然、とても物分かりのイイ、融通が利くヒトになれるのだ。

このような音楽の高揚による「気づき」から、改良の余地ある自分の短所を意識して行動に移しはじめたワタシ。それでも最初のうちは支離滅裂な対処方だったと思う。他人には一体何を私が考えているのか理解するのがむずい部分も多かったハズ。とにかく自己改革に向け、試行錯誤を繰り返していた渦中だったのが自分の言い訳。

この『音楽問答』の最中、「萎縮」や「抑圧」を感じることなく続行を可能にしてくれたのは、ひとえにディープ・スペース内にたたずんでいたから。フランソワが作り出した鮮明な音質や、踊り子の足を止めない超スムーズな斬新ミックスで踊っている間、強力な音楽の数々は流星のよう。私を没頭させてくれた瞑想空間だった。

汗だくになり大興奮覚めやらぬワタシは、毎週パーティー後、プレイされた音楽について、とっ散らかった言葉でかなり無知な質問も沢山していた。でも彼は嫌な顔ひとつせず、集中したプレイ後で疲れているにも関わらず一生懸命、ワタシにでも分かるよう日本語で説明してくれていた。

毎週火曜の朝、クラブ活動を終え、『今日も来て良かった〜』と大満足し朝の通勤ラッシュが始まった時間帯の地下鉄の駅へ向かい、いつも駅まで送ってくれたワタシの愛するダンス・パートーナーであるキューピーさんとは、またそこからフロアでの感動をたがいに再現し始めるといつも話が止まらなくなった。

ダンスの具体的な成果として、じぶんの根本的な「生きる」態度に大きな変化をもたらし、生きている意味がとても良く分かるようになった。

ワタシは音楽を聴いて踊る度、じぶんの生命や人生そのものを祝っていたのだった。『生きることとはすばらしいこと』だとは長い間知らずに私は育った。根底からその価値をくつがえしたこの「生」についての学びは、私にとってかけがえのない「無形資産」となった。

フランソワ・ケヴォーキアンは、2005年にDJとリミキサーの両部門で『ダンスミュージックの殿堂』入りを果たしている。とりあえずこれを書けば「踊る音楽の重要参考人」とアナタにもすぐに分かってもらえるハズ。彼の多岐に渡る選曲はまさしく音楽のジャイアントだ。

人生、断定せずに味わうことの楽しさを教えてもらった我が『音楽道場』であるディープ・スペース。今年満267歳になったマスター ヨーダことフランソワソワさん。こうして音楽をこよなく愛しフランスからドラマーとしてニューヨークへやってきて成功した人物のライブセットを毎週近くで観て聴いて踊り狂えるチャンスを与えられ触発されまくった。そこで得た体感学習とはカタチを変えても今もなお現在進行形!

彼の年齢になる迄にあと15年以上もあると思えば『これからワタシにも何か出来るかもしれない』とつねに前向きにさせられる「音楽の鏡」でもある。


ハッピー・バレンタインズ ・デー!

48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。