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スープとチャップチェ。

今年に入り、仕事が自己最高の繁忙期を迎えていて、
プラベートでもいろんなことが起こり、
驚く日々です。

仕事はこなすしかありませんが、
プライベートでは涙の日々です。

3年前、母にステージ4のがんがみつかり
余命数ヶ月と宣告され、その後可能な限り治療方法を探し、
幸いにも一命を取り留め、辛い治療に耐えながらも
元気に過ごしていました。

しかし、年末から治療も限界となり
ターミナルケアを移行する決意をしました。
とても悲しい気持ちですが、
最期までどう支えていくかと考える日々です。

いつも食事はしっかり食べ、苦労の中でも強い姿で生きてきた母が、
呼吸も食べることも辛そうにしている姿は、
複雑な気持ちになります。
このような気持ち、親を持つ子は継代的感じるものだと思いつつも、
やはり悲しい気持ちにはなります。

昨年父がなくなり、落ち込む母でしたが、
孫の誕生日までがんばる!と日々の暮らしを丁寧に過ごしていました。

一緒に暮らしていない私は、母の好きな食べ物を作って
送ることにしました。
食べるのができなくなってきて、
お粥とかかなと思っていましたが、母からのリクエストは、
「スープとチャプチェ」
でした。

私が作る料理で、お出汁をしっかり取り作る野菜スープ、
野菜たっぷりのチャプチェを美味しい美味しい!と
頬張るかつての母を思い出しました。
(憶えていたんだな・・・)

いつになく丁寧に母が望む料理を作り、届けました。

私の母の想い出の料理は、
「キムチポックム」です。
このキムポックムは、スーパの材料では作れません。

韓国の食材が売られている街として東上野があります。
ここで、乾物屋や韓国食材や軒を並べていますが、
そんな中でも希少部位の肉を売るお店があります。
このようなお店で売っている、ゆで豚の塊を買ってきて、
大きめに切り、古いキムチを一緒にシンプルに煮込んで
「キムポックム」を作ってくれていました。

祭事や特別な行事のあとにしか食べれない料理でしたが、
家族のリクエストのために、電車に乗り食材をわざわざ
買いにいってくれていました。

この味ももう、食べれないな。と思うと
母との別れを実感してしまいます。

母はどんなに忙しくても、ご飯を作って食べる。
ということをしっかり私に教えてくれました。
そんなことを教えてくれた母に、感謝するとともに
母の好きな私の味を最期まで届けていけたらと思います。

そして、かつてから目標にしてきた料理を仕事にする夢も
実現のために考えていこうと考えています。
私の料理で、たくさんの人達を元気にできたら。
韓国でたくさん買ってきた薬膳料理の本、
韓方の本を読み、記憶を呼び戻していかねば。



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