アーティストの見る景色の一部でいたい
こんな世の中に誰がした。
たぶん、人類だ。
どう足掻いても、人類だ。
政府を牽制しながら、有観客を増やしていたライブハウスは、軒並み配信に切り替わった。
これは振り出しに戻ったのか?
むしろマイなのか?
何がいけないんだろう。
わからないことが、また増えた。
ほとんどのライブハウスは、分類上は飲食店
なので、要請に則り20時閉店。は、理解できる。
私が行くようなライブハウスは、
定員300がいいとこ。
実際の客は、多くみても50人いないくらい。
そして、友人同士でもない限り、人1人分の空間を持ってライブを見ている。
これはウイルスがどうこうより前の、見慣れた光景の話。
公演内容にも寄るが、入場制限をすれば距離をとっていられるホールがあるにも関わらず、無観客で配信だけをするライブハウスは、飲食店ですらない形態だ。
はるか昔から、ライブハウスを悪の巣窟と見ている世間があるのも理解してる。
だから、有観客でライブをやったとして、万が一、クラスターが発生してしまったとき。
きっと、その最悪の想定をしているんだろう。
だから無観客での配信ライブを中心にしているんだろう。
実際のところは知る由もないが。
今ツライか、未来ツライか。
なんていう天秤も量れず、確定的に、今も未来もツライだろう。
乗り越え方は知らない。
誰も知らない。
耐えることは、ゆっくり死ぬだけだ。
だから違う方法を探したい。
見当もつかない。世間の目が気になる。
後ろめたい。万が一のことがあったら…。
配信ライブを楽しめる人もいる。
これまでライブハウスになかなか行けなかった人たちにとって、物理的な距離が無くなる手軽さは感動モノだろう。
さらには、リアルタイムでコメントを飛ばせるし、演者もコメントを読む努力をしてくれる。
素晴らしい時代だ。
対して、これまでライブハウスが居場所だったような、私みたいな人間は、この物理的な距離が無くなったことに対応しきれない日々を過ごしている(はず)
画面越しなんて、参加してない。
見てるだけだ。
体温の上がらないライブは、つまらない。
私は、ステージにいるあの方たちが見る、景色の一部にいたいんだ。
ライブ終わりのフロアで、挨拶くらい交わしたいんだ。願わくば、名前を呼んでほしい。
それが叶う距離にいたんだから。
それが叶わない、この画面越しのライブに、これまでと同じ感情なんて持っていられない。
これを脱する策は、いったいどこに転がっているだろう。
フラストレーションは発散されるだろうか。
また考えなければ。まだまだ考えなければ。
提案しなければ。実行しなければ。
声は、どこに届くだろうか。
世の中、課題しかない。
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