占いとは何ぞや
いろんな人がいろんな解釈で「占い」を定義?研究?位置付け?
信じるか信じないか。当たるか当たらないか。
詐欺、いや本物?見える、見えない、あり得ないけどあり得る
まあ、挙げ出したらキリがない(笑)
それは全う至極に当たり前の感覚だと思う。
だって、物を買って手に取ることの出来ないものだから。
今の世の中は、都市伝説や陰謀論も山ほど溢れてる。
例えば予言。数日後か、数ヶ月後か、数年後かにその予言が当たる。
その「当たる」に注目すれば、実際の物理的条件を目の当たりにするか、感じた時。自分の中で思い当たる現象が起こった時が
「当たる」と結びつく。
そこでちょっと考えてみた。
占いにおいて、「当たる」事が果たして重要なのかどうか。
そもそも、占ってもらいたい時必ずどこかに不安がある。
この引越しは本当にこの方角でいいんだろうか。
この人と一緒にいて幸せが続くんだろうか。
今の仕事は成功するのか。
人生の方向は間違ってないだろうか。
常に人は何らかの不安を抱えているし、じゃあ、それを自分で全部解決できるかと言うと、出来ることもあれば誰かに解決してもらいたい時もある。
親や友達や周りにいる誰か。
しかしそこにには多少利害の絡む時もある。
仲のいい友達だけど、この悩みは知られたくないとか、全く関係ない誰かに聞いてもらいたいとかね。
きっと、そんな時に便利 (この言い方は語弊があるかもだけど) なのが
占いだったりするんじゃないかな。
にっちもさっちも行かない時よ。
その昔、日本で有名な陰陽師は約10世紀頃 平安時代
中国の欽天監(キンテンカン)は明時代 14世紀半ば頃
日本は室町時代にあたる。
もうここら辺の時代では天象や星読みは当たり前になっていて
かなり政治色の強い時代だった。
それより遡っていけば、世界最古の占いは、やはり中国の易経である。
四書五経と呼ばれる儒教教典の一つ。
これは紀元前8世紀頃
そして西洋占星術は、紀元前9世紀頃バビロニアから始まった
星占いの起源は紀元前2000年紀の古代メソポタミアだ。
そしてバビロニア人が現代でも最もポピュラーな星座、12星座を考案したとされる。
日本最古の占いは「太占(ふとまに)」これは、動物の骨を焼いてそのひび割れで占って吉凶を見ていた。
なかでも有名なのは卑弥呼。この方はシャーマンと言われている人。
霊感や予言能力を持った人ね。
私の中では、沖縄のユタと呼ばれる人たちと類似するイメージかな。
占いの歴史を見ても、ロマン溢れる感じがする。
最初は神職として国を統治する為に星を読み神からの啓示を伝え
それが少しづつ、王族や貴族の生活に入って、庶民の暮らしに根付いて現代へと繋がる。
紀元前からなんと壮大な事!
世の中は占いも含め目に見えるものとそうでないものがある
占い界隈では にわか賑わっている
星の交代劇。
土の時代が終わって、風の時代に入った今、
不思議と目には見えないものに振り回されている現代
電気、ネット、ウイルス、人の噂、情報
どれも目には見えないけれど、必要といえば必要なもの。
土の時代は権力、建物、組織、お金など物質的なもの。そして動かないものが大好きな星
風はというと、目に見えないものが主流になってくる。
線で繋がっていたものが、BluetoothやWi-Fiやキャッシュレス化。
新札が発行されたけど、なんかピンとこない。
財布からお金を出す行為がそろそろ億劫になってきてる。スマホで決済が簡単だものね。
いい面は、場所や組織や建物に囚われない風のように好きな場所へ
ある意味、コロナを境に働き方や環境が変わってきた。まさに非接触がより可能な時代。
世界各国 政治もオリンピックも国家間のサミットも
小さく言えば、学校や会社、地域のコミュニティーも
今後時間をかけて少しずつ形を変えることになるだろう。
土の時代では考えもしなかったことがね。
現に、内閣府はムーンショット計画を打ち出してる。国民のアバター化だ。
内閣府のホームページに載っている。
興味ある方は、「内閣府 ムーンショット計画」
で検索してみるといい。
こんなあらゆる大きな現象や、個人的な悩み事の解決策を占いと紐づけるかどうかは本人次第。
でも自分で考えあぐねて、心のどこかで疑いながらも、「占い」にちょっと頼ってみたら案外突破できる時もあるのかもね。
どこかの誰かが言ってそう。
信じるか信じないかは… (笑)
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