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サイと金木犀

秋霖(しゅうりん)の候。銀糸のように細やかな煌めきを放って雨は降る。
朝からシトシトと降り続くそれは一向に止む気配を感じさせず、かといって自宅に籠るには鬱屈としすぎた気持ちを持て余して、逡巡の後に私は傘を掴んだ。
軒下から一歩踏み出せば、すぐにビニール傘の表面にいくつもの水滴が打ちつける。スマートフォンと一緒にポケットに突っ込んできた、良く手に馴染んだ革製のケースからイヤホンを取り出して耳にはめると、硬質な無機物の温度がひやりと肌に冷たかった。ブルートゥースで接続したスマートフォンを操作して、音楽アプリから適当な曲を再生する。流れ出したリズムに合わせるように、自然と歩調が緩んだ。

(大きな水溜まり)

くぐもった視界に見える雫が描く軌跡は頼りなく、側溝に溜まった水に絶え間なく広がる波紋は小さくて弱々しい。たまに思い出したかのように少しばかり強まる雨脚が、コンクリートに張り付いた枯れ葉や
落花を濡らしてその色を滲ませている。夏の残滓(ざんし)を洗い流す秋の雨は、優しくてどこか儚い。

(・・・金木犀の匂い)

暫く当てもなく歩いていると、ふと金木犀特有の甘い香りが漂う一画に出た。誘われるように手前の角を曲がると、左手に公園が見える。

(こんな場所あったんだ)

四角い形の狭くて小さな公園の正面奥に、密生した金木犀の木々はあった。二メートルほどの高さの木が一辺に並び立ち、そのどれもが濃緑色の対生(たいせい)の葉の茂りから、オレンジ色の小花をつけた枝を四方八方に伸ばしている。春の沈丁花(ちんちょうげ)、夏の梔子(くちなし)、冬の蝋梅(ろうばい)とあわせて四大香木に数えられる金木犀だが、これだけの量の花が咲いていると、放たれる匂いはむせ返りそうなほど強烈だ。中国の歴史上の皇妃、楊貴妃が好んだ桂花陳酒は金木犀の花を白ワインに三年漬け込んで作られる代物らしいが、生花の香りだけでも十分酔えてしまいそうなほど既に鼻腔が甘ったるい。

ーーカシャッ

あまりにも立派な花群(はなむら)なので一枚だけ写真に収めておく。
注意して観察すると、淡い灰褐色をした金木犀の木肌は皮目が目立ってごつごつとしている。その様が動物のサイの皮膚を連想させるゆえ、金木犀は名に「犀」の文字を含むのだ。また陶酔や誘惑と言った花言葉を持つことから、中には怖い花だとして嫌煙する人も居るという。

(でも全て、金木犀自体がそうあることを選んだわけじゃない)

知らず花と定められ、花であるのに犀と呼ばれ、果てには花言葉が恐ろし気だと眉を顰(ひそ)められるとはなんとも不憫に思える。

(結局のところ、最終的には自分自身の受け取られ方なんて、見る人に委ねるしかないんだよね)

金木犀と自分の境遇を重ねてついつい感傷に浸ってしまうのは、ここ最近、自己認知と他人の評価の間に生じるズレが私を悩ませているからだ。人付き合い全般において、あなたはこういう人、と他人から押し付けられた評価に応るために、神経を擦り減らしていろいろな部分を取り繕っては日々疲弊している。

(私みたい・・・って、そんなこともないか)

人が金木犀と呼ばずとも呼ぼうとも、それを好もうと嫌おうと、それはひらにそれとして在り続ける。与えられる名や印象に応じて変化することなどないわけで、その点私などよりよほど強かなのだと思い至って溜息が零れた。

(帰ろう)

憂鬱な気持ちを振り切るために、左耳のイヤホンの表面に触れて音量を数段上げる。今はスマートフォンの重みさえ鬱陶しく感じそうで、タッチ操作機能がありがたい。
背を向けた金木犀の木々の隙間から、風とも呼べないくらいささやかな大気の動きが追いかけてきて、甘い匂いが体にまとわりついた。

金木犀の花は、枯れることなく最盛のままに散る。地に落ちてまで可憐なその様が、可憐だと感じてしまう自分の心が、訳もなく、何だか今日はひどく切なかった。


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