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38歳看護師乳がんになりました(1)

待つっていうのは長いものだ


看護師で働きながら、中医学や英語を勉強したり、ジムで筋トレをしたりなんだか好きに生きてきた私。

気が付いたのは2023年9月10日。

ジムで少し運動した後にお風呂でリンパマッサージ的に二の腕のマッサージをしつつ右胸らへんに触った時、

あれ 何かある。

と思い、ドキドキしました。

胸のしこり=癌のイメージが強かった私は、お風呂から上がってすぐに彼に伝え、早く病院へ行ったほうがいい、と言われよりそわそわしました。


私は派遣看護師として病棟で月曜から木曜まで日勤で働いている、という生活を送っており、働いている病院にも乳腺外科があるということはわかっていたので、とりあえず次の日病棟の課長や副課長、仲の良い職員に相談をし、毎週水曜日の午前しか受診できないけど乳腺外科へ受診することになりました。

水曜日、受診をした時にまずエコーを取ることになり、エコーへ。混みすぎていたため病棟で待たせてもらい、検査に呼ばれたのがなんと13時。先生いるのかなーと思ったら先生は午前中までなのでもう帰っていませんでした。

乳腺外科の受診で予約が出来るのが11月。
と言われた私はえーーっ!!っと思ったので、金曜日の休みの時に、近くの乳腺外科のクリニックへ受診し、そこでエコーを行いました。
エコーの結果、しこりの部分に血管があり、血管があるってことは精密検査も必要と言われ、針で刺す生検という検査といわゆるマンモグラフィを行いました。
マンモグラフィの結果は、私の乳腺が密にあるのでほとんどわからない、ということでした。多分検診とかだと分からなかっただろう、とも言われました。
そして生検の結果が出るのが2週間後ということでハラハラな2週間を過ごすことになりました。

深く考えていても、どうしようもない。
ということで普通の日常を行うしかなかったのですが、毎日ふとした瞬間に唐突に不安に襲われるという心理状態。

仕事も忙しく、なぜか時間がある人が病棟のチーム分の検温を回らないといけないという訳の分からないルールの病棟だったので、だいたい一人で全部検温を回りつつ、そわそわドキドキな2週間を過ごしました。

クリニックから連絡が来ることはなく、自分で連絡してほしいという謎システムだったので、2週間後から毎日夕方に電話で聞いていたところ、3週間目にしてやっと検査結果が出たという連絡が来ました。その毎日も長かった。毎日毎日まだ出てません。って言われるのに慣れていたので、結果が出た時には怖くて少し震えたことを思い出します。

なんとなく怖くて、結果を聞きにいくことも出来なかった私は、彼に一緒に結果を聞くのをついていってほしいというと、当たり前だ、というように仕事の休みを取ってくれて、二人で聞きに行くことにしました。

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