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「完璧な被害者」を期待される苦悩

大学時代のゼミ同期に、わたしの身に起きた性暴力事件のことを話した。
何が起きて、それによってわたしにどんな変化があったか。どうやって自分にかけられた言葉を受け止めているか。

話を聞いてくれた彼女は、時々真剣な話を聞いてほしいと思う人。
とにかく見た目がかわいらしくて、アイドルみたいでいつでもテレビに出られそうな子だ。
誰と一緒にいても異性から一目置かれる存在。かわいいだけじゃなくて、面白くて飾らなくて賢くて、本当に素敵な子だと思う。

わたしは彼女と仲良くなるまで、結構彼女のことを誤解していたなと思う。
かわいいことは彼女自身もわかっていると思うし、入っていたサークルや仲のいい人たちも“キラキラ系”だったから。
そんな彼女が、どうして真面目で課外活動の多い、“キラキラ系”から見たら面倒くさいとしか映らなさそうなわたしのゼミにいるのだろうと思っていた。

卒業が近づくにつれて仲良くなって、彼女のキラキラした見た目以上の、内面的な魅力に気づくことができた。
一生懸命他人の話を聞いて、傷つけない言葉選びが上手で、とにかく他人を大事にできる。
彼女は自分のことも良い意味ですごく大事にしていると思う。一緒に旅行して、こうしてわたしの人生の陰にも触れてくれて本当に感謝している。

そんな彼女が、わたしの一連の話を聞いて注目したのは、事件それ自体よりも「わたしの気持ちの処理方法」だった。

「犯人に対しても、事件後に言葉であなたを傷つけた人に対しても、『ムカつく!大嫌い!』って怒りに任せるんじゃなくて
『どうしてそう思ったんだろう?適切な言葉をかけられる人との違いは、想像力が足りなかったからじゃないかな』って論理的に整理できるじゃん。それってわたしにはできない。本当に賢いし、優しいと思う。」

とっても救われた気がした。
わたしの事件ではなくて、わたしという人間の話を聞いてくれたから。

それから彼女は、わたしが今抱えている「完璧な被害者」を演じるプレッシャーについてのはじめての相談者になってくれた。

わたしは休職してから、自分の感情を向き合える機会と時間が増えて、こうしてPCにタイプしたり、紙に書き出すことばかりで整理してきた。そのほうが誰にも迷惑がかからないし、誰の負担にもならないと思っていたから。
だから久しぶりに過去の事件ではなくて、今現在の悩みを人に話せた。

彼女に話して気づいたのは、わたし自身がわたしに限界をつくっていたことだった。
「完璧な被害者」の檻に閉じ込めているのは、周りの人や社会だけではなくて、わたし自身も自分を檻に閉じ込めているかもしれないと思った。

だんだんと気持ちが落ち着いてきた今なら、もう一度自分を大好きになって
自分の進みたい方向に自分をリードしていけるようになるかもしれない。

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