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奇跡の靴

 それは、3年前の11月、福岡出張の夜、数人で小さな居酒屋に入ったときの出来事。客は隣の3人連れのグループのみであった。座敷に私たちと隣のグループの各々の小宴会である。小一時間して先方も帰ってしまったようではあるが、こちらはすぐそばのビジネスホテルに泊まるため、看板まで飲んでいた。さて、帰ろうと自分の靴を履こうとすると、見覚えのない靴が一つ。

 周りを探すも私の靴だけがないのだ。先に帰ったグループの一人が間違えて履いていってしまったのか。困惑していると店の女性が、常連客からもらった名刺の中から、先ほどまでいた会社の同僚の電話番号を探し出し、「多分この会社の人よ。連絡してみるわ」と言い連絡してくれた。10分ほど経つと、はき違えたであろう人の同僚から店に連絡が入った。当人も福岡に出張で来ており、その日のうちに帰宅するために最終の鹿児島行き新幹線に乗り込んでしまったとのこと。私は店の人に自分の名刺を渡し、スリッパをお借りしてその場を後にした。

 このままスーツでスリッパを履いて東京に帰ることは厳しい。当然、靴屋は閉店している。頼るは24時間営業の中州の「ドン・キホーテ」。私は意識朦朧の中、タクシーで向かい、とりあえず明日用の靴は購入。その後、お店にスリッパはお返しした。

 翌週の月曜日、間違えて自分の靴を履いてしまった男性から職場に電話が来た。丁寧なお詫びの言葉と「鹿児島から発送のため、お届けするのに中1日かかります」とのこと。

 その翌日、午前中に宅急便が届いた。大きめの段ボール、差出人は鹿児島市。私は段ボール箱をごそごそと開け始める。ビニール袋に丁寧に磨き上げられた自分の靴。靴の中には活性炭が入っていた。さらに丁寧にビニールに包まれた菓子折りの箱。それを開けると「詫び状」と書かれた封筒。さらには新券の1万円札とギフトカード5千円分が同封されていた。わび状を読むと、「靴は職人に磨いてもらいました」との追伸書き。

 もし、自分が他人の靴を履き間違えてしまったら、ここまでの対応ができるだろうか。私は手紙を読み終えると、すぐ近くのコンビニで便箋と封筒を買い、返事を書いた。

 間違えて履かれた靴がここまで大切に扱われて自分の手元に戻ってくることは稀だろう。

 今回の出来事で、間違えて履いてしまった彼と連絡をくださった居酒屋の従業員さんに「ありがとう」を言いたい。相手に気持ちを込めて誠意を返すことの大切さを学ぶことができたからだ。

 私のもとに帰ってきた靴は、社内では「奇跡の靴」と言われ、今も大切に履き続けている。 

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