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困ったときの読書

水木しげるさんと荒俣宏さんの著書「戦争と読書」のさわりの部分を読んでいる。まだ数ページしか読んでないけれども、「へぇ!」と思ったことがあった。

この本は、水木しげるさんの没後、日記や雑記?などを時系列に並べたりして、氏がどんなことに思いを馳せていたかを探ってみる、というような本だ。

冒頭、荒俣さんが生前の水木しげるさんにきいた「読書はしますか?」という問いに対しては「読むと眠くなる」と答えた水木さんだが、荒俣さんの調査によると、戦争に行かなければならなくなった直前に、水木さんは大いに悩み、哲学書を読み込んだ、とあった。

普段は読書があまり好きでない水木さんでさえ、生きるか死ぬかわからないような場所に行かねばならないという猛烈なストレスを抱えたとき、本に向かったのだな、と思った。

「本」て聞くと、昔からお利口な子どもが好きなもの、という陳腐なイメージがわたしの頭から離れなかったのもあり、わたしはそういう意味で読書が嫌いだった。大人にホメられるような行動ばかりをとる子どもだったのだけれど、そんな自分が嫌いだったので、読書を積極的にはせずにいた。

でも、更年期に足を踏み入れ、久しぶりに猛烈な人間関係のストレスにさらされたとき、何がわたしを救ったかといえば、本のような気がする。

実は、ここまでマガジンに書いてきたもんどり打ったような状況を少し脱して、もう哲学とか生きる指針を示してくれるような本は心から欲している、という状況にない。でも、スマホは見たくもない情報が飛び込んできて、それに興味をひかれてあちこちに引きずり回される気がするから、本がよい。本は、自分がそれを選んで読むだけ。嫌になれば閉じればよく、自己完結するものなので、読んでいて不安にはならない。

そう、どんな内容のものでもいい。読んでいるうちは、不安なことストレスを感じることから少しだけ解放されることがある。また、逆に本が全然読めないときもきたりする。それは、生活が安定していて充実しているときか、というとそうでもなかったりするけれど。

40年も生きてきて、「あー、もうこれ、どうすりゃいいの」と、自分をまったく信じられなくなったとき、自分も本に向かった。すぐには救われないけど、辛すぎる現実に一度背を向け、自分がどうしたいのかを見つめなおすためには本という閉じた世界はとても有効だったと改めて思った、という話。

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