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ラストコンサートを終えて。

アンコール最後の曲「We Are Not Alone」の歌い出しで涙が溢れてきた。

We Are Not Alone

このちっぽけな 僕らに出来ること
あなたのために 精一杯歌うこと
一人きりじゃ 心細かった手と手も
こうして集まったら 大きな輪になるよ

悲しみの数だけ 笑顔を見せるから
 
この声が今遠くまで
あなたの胸に届くまで
僕らこの場所で歌い続けるよ
その涙が伝えてくれた
その笑顔が教えてくれた
どんなときも
一人じゃないことを

Oh 一人じゃないよ 
Oh 仲間がいるよ
Oh We are not alone  
Oh We are not alone

この曲は東日本大震災が起きた時に創り、地元でもある被災地を回って歌った歌でもあり、コロナ禍で自粛生活を余儀なくされた時にも、「ひとりじゃないよ」のメッセージを伝えようとみんなで歌った。

ラストコンサートで歌う気持ちをそのまま表したような曲。

心細かった手と手が集まってできた大きな愛の輪が、そこにはできていた…

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このコンサートの数日前から私は、過去の全てのSING FOR JOY、イベントなどの写真と動画を見ながら、6年間を振り返っていた。

懐かしい顔。懐かしい場所。記憶の引き出しを次から次に開けていたら、いつの間にか何時間も過ぎていた。

当時と今とでは、大きく決定的に違うことが一つある。

それはマスクなしで満面の笑みで歌っていることだ。
それを見ていたらどうしようもなく胸が痛んだ。

地域によってそれぞれの価値観も違う、特にこの日本という人の目を気にしすぎる傾向のある場所では、このまま集まって歌うことを続けるのは難しかった。

時代というものは常に変わっていく。

そこでどう時代に適応して、何をしていくのか。

そして、私は決断した。

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そして迎えたコンサート当日は、不思議なほど心穏やかだった。

会場に着き、各地から集まったみんなの顔を見て安堵した。
今日はいいコンサートになる。そんな予感がした。

リハーサルで感極まるメンバーもいた。このコンサートにかける想いの強さを感じる。


そして、円陣を組み「WE ARE ONE!!!」の掛け声でステージに向かう。

この時の緊張感が私はとても好きだ。

ジェットコースターに乗って、どんどん高く登っていって、急降下するのを待っている時のような感覚。

張り詰めた空気の中、メンバーが位置につき、私がピアノでDのコードを弾く。「歩幅」のアカペラからスタートだ。
コンサートの出だしがアカペラで緊張しない歌手はこの世にいないだろう。

「ワン、ツー、どこにでも〜」

クワイアメンバーの声が会場に溶けていく。

「うまくいった」
自然と会場から手拍子が起きる。

アカペラが終わり、私のピアノが入り、曲が進んでいく。
メンバーと時折アイコンタクトをしながら歌っていく。

「ひとりじゃない」そう思った。一体感が生まれ、どんどん観客の心に言葉とメロディーが届き、伝わっているのを感じる。

こうして、1曲目を歌い切る頃にはメンバーの緊張も解け、清々しいいい表情をしていた。

そして、手話をつけて歌う「ひまわりを咲かせよう」、一番最初にSING FOR JOYで歌った曲「WE ARE ONE」、私がアメリカで歌っていたゴスペルの影響を多大に受けて創った「Special Gift」と続く。

ピアニストのオルくんの登場。

私は基本的にSING FOR JOYを行うときは自らピアノを弾き、歌い、指揮をするので、こうして伴奏を任せられるというのは非常に有り難く、水得た魚のように歌が自由になる。

ここからは元気を届けるをテーマに「無限大∞」「あなたにスマイル」「未来への放物線」の3曲を続けて歌った。
「無限大∞」は何度歌っても心躍る、みんながハッピーになれる曲。歌詞が少しトリッキーなので、そこをメンバーと何度も練習した。

「あなたにスマイル」は歌詞がシンプル故にみんながとにかく歌うことを楽しめる曲だ。リフレインされるスマイルのフレーズに自然と笑みが溢れる。

「未来への放物線」は過去最速のBPMで、暗い世の中に一筋の光を照らすような曲。みんなで掲げた右手の先に明るい未来があると確信した。

最後は「虹の向こうへ」。

"こうして重ねた時間や
支えてくれた人の優しさが  
ここまでの道を照らしてくれたんだ
一人じゃ歩いて来れなかった"

このパートを歌うたびにクワイアメンバーのことを想う。
歌の世界に入ってからもずっと言えなかった想いを、2015年にカミングアウトをしてから、少なからず不安もあった私の道を照らしてくれたのは一緒に歌ってきた仲間だ。

後半に行くにしたがってどんどん高揚し、上昇していくエネルギーが今回は天まで突き抜けそうなくらい凄まじかった。

「Love, Love, Love!!!!!!」

押し寄せる愛の波動は、きっとお客様の腹の底まで届いたことだろう。

嵐のような拍手が鳴り響いた。



一部が終わり、楽屋に戻りながらもう感極まっているメンバーもいた。



「まだ終わりじゃないからね!」
そう鼓舞し、2部のソロコンサートに私は気持ちを切り替える。


2部は
"この先も続いていく 愛を伝える旅
きっとまた道の途中で 眩しい笑顔に逢う"
という私の音楽人生を歌った「A Piece of Love」のピアノ弾き語りから始まった。

その世界観が途切れないように次の曲「FEELING SO RIGHT」を難聴ダンサーの瑚さんとのコラボレーションでパフォーマンス。

瑚さんは生まれつき耳が聞こえないダンサーで手話を使いながら、この曲のメッセージを全身で、時に激しく、時に繊細に表現してくれた。
最初は私の「想い出のクリスマス」でダンスをしてくれた動画を見て感動し、今回、瑚さんがとても共感できて好きな曲と言ってくれたこの「FEELING SO RIGHT」で初共演となった。

そして私のデビュー曲「No No No」

歌い終えた後、再びオルくん登場。

「If You Wanna Make It」ではまさかの歌詞を間違えるアクシデント。やり直しの際、その時の時間を巻き戻し、さっきと同じことを言ったMCが会場の笑いを誘い、一気に距離が縮まる。ピンチはいつだってチャンスだ。

こういうR&Bの要素の強いグルーヴィーな曲はやっぱり歌っていて腰から揺れ、気持ちがいい。

そして「ずっと大事な人」。
"一緒にいなくても君はずっと僕の大事な人"なんてデビュー当時は言えなかっただろう。こんな風に離れた元恋人の幸せを遠くから願うなんて価値観は私にはなかった。

私の今までの音楽人生は大きく分けると3つの時代に分類される。
まずは17歳のデビューからアメリカに行くまでの9年間、そしてアメリカに渡って活動した5年間、その後帰国し、カミングアウトをしてから現在までの7年間。

音楽というのは正直なもので、その時の自分の心情が如実に表出しているなと思う。
誰にも心を許さなかったデビュー当時の内省的な世界観。
身一つで行ったアメリカでホームレスを経験してまで歌い続けた異様なまでのハングリー精神。
そして帰国して自分に素直に生きる決心をしてからの真っ直ぐな愛の歌。

創ってきた音楽はまさに自叙伝のようだ。

「ずっと大事な人」を歌い終わった後、会場にはあたたかい空気が流れていた。

次の今回唯一のカバー曲である「Greatest Love of All」を歌う前に唐突に、
「自分のこと好きですか?」と観客に投げかけた。

この曲のテーマは自分を愛することだからだ。
その質問にYesと答えたのは会場の1割にも満たない数だった。

自分を好きになるというのは難しい。

私はコロナ禍で自暴自棄になり、とても体重が増えてしまった時期があった。
鏡で見る自分も嫌で、写真や動画に映る自分はもっと嫌で、服装もいつしかそんな自分を隠すようなものばかりになっていった。

「そんな中、このままでは人前に出られなってしまう。」
と私は一念発起して、ダイエットと筋トレを始めた。

それからというものほぼ毎日メニューを組み、全てのトレーニングを記録し、SNSに投稿し、習慣化した。
周りからそのあまりの変わりように驚かれる日々が続いた。
自分で言うのもなんだが一度やると決めるととことん極めるまでやってしまう性格なのだ。

そして今では、音楽界最強と自ら謳うほどにマッチョになった。

やり続けてきたことは必ず自信になる。

以前より自分のことが好きになった。

これがコロナ禍で得た一番大きなものだったかと思う。

自信を持って誰かを愛する準備ができたような気がした。

まさに「Greatest Love of All」は「人を愛するためにはまずは自分を愛すること」を教えてくれる私が人生の大きなテーマとしている曲。
一言一言噛み締めるように歌った。

次は「The Only One」。

私の最大のヒット曲でもある。
正直この曲に関していろんな感情があった。

歌は変わっていく。

それは、単純に歌い方のことだけではない。
肉体の一部である声帯はもちろんのこと、生き方、環境、出会いの縁によって歌というのは変化していくものなのだ。

ヒット曲を持った歌手というのはその時点から常に、世間が求める「変わって欲しくないもの」と「自分の中で変わりたいもの、または変わってしまうもの」の狭間でジレンマが付き纏う。

”昔の方が良かった”、”変わってしまった”

何気なく発するリスナーの声に、繊細なアーティストは傷ついたりしてしまう。

私のこの曲は、当時18歳の自分が当時の想いのままに歌ったもの。今とでは変わっていない方がおかしい。

私は変化を好んで受け入れるタイプの人間だ。むしろ同じことを何度もするということが極端に嫌いと言ってもいいような人間である。

様々な葛藤がこの20年間あったが、この日の「The Only One」は「今の自分の表現で歌っていくんだ」と心に誓えるようなパフォーマンスができた歌唱だった。

歌い終わった後の割れるような拍手は、
何度お辞儀をしても鳴り止まなかった。

一生忘れることのない瞬間の一つになるだろう。

そして本編最後の曲は「あなたがいてくれたから」

この曲はタイトルの通り、今まで出会ってくれた人たちの顔を想い出しながら、感謝の意を込めて歌った。

いつも以上に声が伸びていく感じがして、"想いが声をいつまでも途切れさせない"、そんな感覚だった。

歌い終わった後はどこか放心状態で、あまり覚えていない。


控え室で鳴り止まないアンコールを聴いて我に帰った。

Tシャツを着替え、お客様の待つステージに戻る。

一番自分を必要としてくれる居場所。やっぱりここが自分の生きる場所だ。

そう思った。


クワイアのみんなをもう一度呼び込み、「はじまりはありがとう」を手話を交えながら歌う。

サビでみんなの声が重なると自然と「ありがとう」が溢れてきた。

”僕に笑ってくれてありがとう
想ってくれてありがとう
気遣ってくれてありがとう
そばにいてくれてありがとう”

そして、客席でもたくさんこの曲の手話をしてくれる方がいた。

「聞こえない人にもこの曲のメッセージを届けたい」という想いで全編手話で制作したMVから、ありがとうの輪がこんなに広がっていったんだって。

私を生かしてくれてありがとう。

そんな気持ちになった。

そして最後の曲、冒頭に書いた「We Are Not Alone」。

あんなに涙しながら笑顔になれたことは、今までなかったかもしれない。

共に歌い続けてきた全国各地のメンバーが今この場所で集まって、"ひとりじゃないよ"というメッセージを届けている。

どんな人だって誰かに支えられて生きてる。

だからまた誰かが倒れそうな時、あなたがそうしてもらったように、今度は支えになってあげればいい。

歌声が会場全体を包み込み、それぞれの抱える孤独感や不安を天に浄化していっているようだった。

一番最後の声は、このまま空の彼方へどこまでも伸びていきそうだった。




終わった実感は、今でもない。

それはきっと音楽に終わりがないからだ。

音楽はその人の魂で永遠に響き続ける。

私がみんなと過ごした時間は消えることはない。


またいつか

歌で心を繋ぎ、

愛を伝え、

笑顔の輪を広げていく日は

来るはず。




天道清貴

Photography by Yuga Otsubo