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認め合えないことがわかった日

わたしはマイナスな感情を自分で消化することができない。 少しの変化に敏感になって自分で自分を追い詰め、 どうしようもなくなって爆発する。 そのときの自分は普段の自分とは全くの別人のように怒り狂い、 いつそれが終わるのかもわからない。 ただ不安だという気持ちをわかってほしかった。 ただ一緒にいられないことが悲しかった。 今を共有できないことが淋しかった。 ただでさえ本音が見えないから、 目の前にいないとますます遠く感じて このままお互いの気持ちがなくなってしまうような気

    • 感謝と高揚感と喪失感

      大きなことを全力でやり遂げると、 この3つの感情が湧いてくるのだと知った。 やりきったときに浮かんだのは、 支えてくれたり応援してくれている人たちの顔と 一緒にがんばった仲間たちの顔で みんなへの感謝があふれて涙が出た。 見ている人に伝わってほしいと 気持ちを全力でぶつけた高揚感の余韻は凄まじかった。 このままずっと この余韻に浸っていたいと思った。 すべてが終わったあと、 切なさが押し寄せて何とも言えない喪失感に包まれた。 向かうべき道がなくなって 鉛のようにから

      • 薬指が軽くなった

        夫は出張族で1年の半分くらいは日本のどこかを転々としている。 ずっと会わない日が続くと、 自分の立ち位置もわからなくなる。 夫が単身赴任をしている人の奥さんは 毎日どんな気持ちでいるのだろう。 結婚すればこんな生活になるとわかってはいたけれど、 たった1年半程度でギブアップ寸前だ。 夫婦なのに隣にいない 夫婦なのに同じ時間を過ごせない 紙切れ1枚でつなぎとめてるだけの関係。 紙切れ1枚のおかげで成り立っている関係。 虚しい。 電話をしても話に飽きて夫が態度で訴

        • まさちゃん

          ”まさちゃん”とはわたしの祖父の弟だ。 祖父は6人兄弟の2番目で、 まさちゃんは末っ子。 わたしは小さい頃から人見知りで 大人には特に心を開かなかったが、 まさちゃんにだけは何故かなついた。 自分でも理由はわからない。 とにかくまさちゃんとなら 2人でお散歩もできた。 いつもまっすぐに愛情を向けてくれていたのを覚えてる。 去年、わたしは結婚をした。 お義母さんには親戚に年賀状を送れと言われ、 そういうものなのかと気付かされた。 祖父に親戚の人に結婚を知らせたほ

        認め合えないことがわかった日

          送迎バスが嫌い

          保育園の送迎バスが嫌いだった。 朝泣きながら乗ったことが何度もあるし、 行きたくないとギリギリまでパジャマを脱がなかったこともある。 それくらい保育園の送迎バスが嫌だった。 まずは朝の行きのバス。 保育園の送迎バスには先生が必ず2人乗っていた。 そのうちの1人の先生が スパイラルパーマをあて、声もガラガラで苦手だった。 彼女はたぶん、わたしのことを嫌っていて 「嫌な子」 と何度か言われたことは鮮明に覚えている。 その先生は わたしがお昼寝タイムになかなか寝ないこ

          送迎バスが嫌い