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てあて
手当って、その人の身体の音と共振する、アンサンブル。
合奏みたいなもの。
でも、そのなかで、上手に弾けるよう、導いたり、
うまく聞こえるように、アドバイスしたりとか、そういうことは、しなくって、
その人の、音を、ただ、きくの。
人と人が話す時、
どうしても、わたしは、モモのような聴き手になれない。
けれど、手当てをするとき、
なんだか、モモになった気分がするの。
相手の身体の音に、正解も不正解も、優も劣もなくて、
ただ、きく。
ただ、きいているのに、笑えてきたり、幸せな気持ちになったりする。
誰の身体でも。どんなに悩んで苦しんでいる人の身体だって、とてもいい音がするから、大丈夫。
音程が取れているとか、ビブラートがどうだとか、
指の運びが何番で合ってるとか、
早く弾けてるとか、楽譜に忠実だとか、作者の意図を汲んでるとか、
そういう、巧さではない。
巧い音楽は、美しいけど、美しさは、時に、人を遠ざけることもあるの。
下手でいい。下手とか、巧いとか、そういうのとは、別のものが、からだなのだと、思うの。
手を当てることで、
手を合わせることで、
その方の音を、聴けることを、とても私は、幸運で、幸福なことだと思っています。
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