自己紹介 その2 (整体をしてみたいと思った訳)

ふみこは、小さい頃から、鼻がズルズルになったり、咳がゴホゴホいったり、頭が痛かったり、成長痛で脚が痛くなったりすると、
母や祖母に、手を当ててもらっていました。
その手当は、肌に直接触れるのではなく、少し肌から手を浮かした状態で、しばらく待つ、という手当です。
母も祖母も、手を当てられないときは、自分で、手を当てていました。

そうしていると、例えば、鼻であれば、鼻に触れていないのに、
手を当てている部分が、じんわり温かくなってきます。
温かくなって、次の日には、治るか、マシになっていました。

うちは、父が医師なので、父は、子供の体調がわるくなると、薬を勧めます。
ですが、わたしは、その薬は、よっぽどのことがなければ、飲まずにいて、
大体、この手当てと、身体の自然治癒力で、治っていきました。

ただ、この手当て、疲れるのが難点でした。
数時間も、ずっとやっているものではなく、数分から数十分で終わりにしていました。

この手当法、ほんとうに、効くので、これを仕事にしようか、ということも、一時考えたのですが、
疲弊する仕事は、続けられないと思ったので、やめました。

話はかわって、
今年8月に、仲良くなった友だちがいます。
なまえを、よっちゃんといいます。

彼女は、アクセスバーズという、頭に指を当てる手技を取得していて、その施術を受けさせてもらうことになりました。
わたしは、代わりに、手当てを、彼女にさせてもらうことに。

アクセスバーズの体験については、また後日、詳しく書ければ、と思うのですが、
よっちゃんのバーズを体験してから、わたしの整体が変わりました。

今までのようには、手当てをしても、疲れなくなったのです。
これは、驚くべきことでした。
人にするボディーワークは、手当てのみならず、整体なり、マッサージなり、だんだんと疲れてくるから、積極的に自分からしようと思わなかったので、受ける方が、絶対に絶対に好きだったのです。

でも今は、疲れない。疲れないどころか、もう、やめ時が分からないくらい、おもしろい。

わたしの施術は、
相手の身体の響きを聞くように、施術するのですが、手当をしていると(この時の手当は、触ったり触らなかったり、必要があれば、揉んだり、さすったり、独自に組み合わせたものです)、
相手の身体の響きが、だんだんと変化するのが、分かって、おもしろいのです。
おもしろくて、やめられない。
「この角度で触れると、どんな音がするのだろうか。
さっきよりは、響くようになったな。
こっちは、どうか。
なるほど。左右で音が違う。」
などなど、試行錯誤が止まらないのです。

そういうふうにして、相手の身体を「響かせ」、もしくは「鳴らし」ているうちに、音色が変わってきます。
どんどん、響くようになってくるのです。

ヴァイオリンなどの楽器も同じです。
同じ楽器でも、弾きこんで、鳴らしているうちに、どんどん、鳴りが大きくて、豊かになってくる。

その音が、おもしろくて、やめられない。
もっと、聴いていたくなる。
ここに触れると、どんな音がするのだろう、って。


それをしばらく(1時間ちょっとでしょうか)していただけで、
その後、よっちゃんは、身体が軽くなったそうです。
なぜ、彼女が身体を軽く感じたのか、わたしには、わかりませんが、
「いままで受けた整体の中で、一番身体が軽くなった」と、よっちゃんは、言いました。

わたしは、治そうとは、しませんでした。
ただ、身体に触れて、身体の音を聴いていただけ。


わたしは、第三次産業、つまり、サービス業は、自分の元気の余剰分で、するものだと思っています。
しかも、
・続けられること。
・無理なく出来ること。
・やっていて楽しいこと。
・やっていて元気になること。
・研究、探究したいこと。
・役に立とうとしないでいいこと。
そういうことを、したい、と。


よっちゃんへの整体体験(もはや、治そうともしていないので、整体と呼べるのか、不明ですが)は、上記の条件を、すべて、満たしていました。


じゃあ、これ、仕事にできるね。
元気になってきたし。
自分という世界の輪の中に、他人という存在が、訪れてきたような感覚。
もっと、このよく分からない、身体のことを、探究したい。
どうしたらいいのか、分からないけれど、人に触れる、ということや、
身体を通して、人と関わることで、なにか、見えてくるものがあるのかもしれない。

そう思い、整体を仕事にしたいと思うようになったのです。

ところが、つづく。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?