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《2011年は語ることについて考える》

東日本大震災の圧倒的な現実を前に作品で“いま”を語るなどおこがましい。だからといって無視はできない。そんなことを悶々と思いながら日々を過ごしていた。なにが正しい情報なのかわからない、ちょうどスマートフォンの普及とともにSNSが情報源になったところだった。なれない情報の渦に飲み込まれた。
垂れ流される情報に正しいはない。個人の事実があるだけで、真実ではない。と思いながらも、受け取った情報をどうしていいかわからない。語れないのに語ろうとするとしんどい。絆・助け合い・協力といった言葉や行動の大切さはわかる。だけど集団に目を向けすぎると個人が見えなくなる。
個人とはなんや、集団ってなんや。そんなことを考えながら、2011年は個人が語ることに焦点を当てるように作品を作った。

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2011年 6月伊丹市アイホール新作共同制作 「Take a chance project 026」【ぼく】チラシ  宣伝美術:納谷衣美

「Take a chance project 」2年目も前年に引き続き役者や演劇の身体への興味が強かったのと、演劇の観客層にダンスを見て欲しいという気持ちも重なり、関西の男性ダンサー・俳優7名を勢ぞろいさせた作品【ぼく】を上演した。
4面の囲み舞台で、真ん中に正方形のステージをしつらえた。構成・演出・振付もあるが、即興要素でシーンをつなぎながら出演者自身の芸をもって挑む異色格闘技のような作品だった。リアルな出演者の反応を見るたびに、私の演出の手を離れていくような感覚があった。驚愕する瞬間が本番舞台上で度々起きていた。そのせいか創作プロセスの記憶が所々飛んでいるので、当時の資料をひっぱりだしてこよう。
私が出演者オファーの際の企画書に書いた文章を記載してみる。

私はずっとコンテンポラリーダンスのマーケットの中で活動をしてきた人間なのですが、ダンスに固執してきた理由と云うのが、踊るカラダではなく、魅せるカラダを観たいという欲望からです。ただ個人的に、10年間ダンスマーケットにどっぷり浸かり感じているのは(ダンスシーンに限りませんが)最近は魅せるカラダが舞台上には少なくなっている気がします。単純に目が慣れたから、ある種のメソッド、スタイルが確立し、それを実践することで舞台が成り立つ様な状況の中で、ある種のスタイルが浸透してしまったからと、色々理由はあるのですが。ただ、その状況の中で考えるのは魅せるカラダとは、個人の人間がいかに舞台上で人目にさらされるかどうかと云うことだと思います。

なるほど。要約すると「ダンスよりおもろいカラダがみたいねん。リアリティのあるカラダがみたいねん。よろしく。」ということだろう。【ぼく】の出演者は見事だった。

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2011年 6月【ぼく】伊丹市アイホール新作共同制作 「Take a chance project 026」( 伊丹アイホール )  photo:阿部綾子

その数ヶ月後の10月は「KYOTO EXPERIMENT」新作共同制作でカンパニーメンバー3人での作品【ちっさいのん、おっきいのん、ふっといのん】を上演した。これは2010年大晦日より出演者3名がネット上の公開ブログにて日記をつけた、日々の生活を語る言葉を題材にして踊る作品だった。ちなみに実際の振り付けに使用した当時のブログの日記はこんな感じです。ここで記載するのはすべて私の日記。

2/11(金)雪
雪に洗濯物やられて飛び起きる。家の前を「オーイ」と云う人が沢山通り過ぎる。雪の中にハマる。引っ越してから初めての「オーイ」の人達。あれなんて云うんでしょうかね。京都きてからずっといるの知っているんですが、姿見たのは数えるぐらいだな。手とか合わせた方がいいのかな。お布施とかすべきなのか。無知で恥ずかしい。
4月5日(火)晴れ
ダンスを踊っていない時に負傷するとはと反省中。しょうがないから、家でチャイナ服着て踊る。パツンパツン。サカリバの衣装も試しにきたが、踊れない程パツンパツン。
4/29(金)晴れ
一日の始まりから、涙腺蛇口が全開でオイオイ泣く。
前日に寝付けず、こうなりゃ夜まで寝ないぞと云う心構えで外に出た所で、蛇口が壊れたみたいで、土とプランターと苗を抱えながら泣き出す。なんだこの涙の理由は、ぼんやりしていてわからんぞと思いながら、土をいじる、土をいじるとおさまる。けど、土はこの栽培の量ではずっと触れないわよ。畑が必要よ。と思って土から離れると、また、ジャバジャバ涙が出る。そのあと、メソメソ。と床に身を任せて泣く。夕方になっても収まらないので、下世話で明るいエッセイを読む、欲求が出てきたので肉を山盛り食べにいく。生レバーも食べる。おお、食欲満たせれ横になり、おきてフィギュアに釘付けになったら、涙腺蛇口はしまった。ああ、沢山泣いた。泣くって体力使うのよ。そしてもうでない所まで泣くと少しばかりすっとする。次はいつやってくるのかい。人生は涙なしには語れない。

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2011年 10月【ちっさいのん、おっきいのん、ふっといのん】 京都国際舞台芸術祭「KYOTO EXPERMENT」新作共同制作チラシ 

個人が語る言葉からダンスを作ることを通じて、ダンスから戯曲をつくるということをやりたいと思っていた。けど、出演者の言葉をテキストとして使用することだけで精一杯だった。テキストを戯曲にする技能がなかった。
同時に作品成果を出さないといけないと心も焦っていたし、だけど文化芸術の必要性がわからなくなることも度々あり、情緒不安定だった。
個人の異なる身体と記憶などを扱うことで、振り付けの可能性は無限にあるのだということを実践しようとしていたが、個人というものが、どうやって舞台上で社会性を帯びることができるのか、わからなかった。そして言葉からダンスを作るプロセスに行き詰まりを感じていた。言葉があると説明になってしまう。言葉と身体が乖離してしまう。言葉で作品を作りながらも、言葉への不信感がとめどなく湧き上がってきていた。


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2011年3月【 KIKIKIKIKIKI作品委託公演】チラシ 宣伝美術:相模友士郎 京都芸術センターで出会う振付家や演出家に作品委託して行った公演。チラシの写真も京都芸術センターで撮影した。あの時も、いまも、つくづく京都に京都芸術センターがあることのありがたみと重要性を噛みしめてる。

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