《20周年の終わりに。ただいま、2021年。》
きづけば2021年3月31日。このnoteも2020年年内に終えるはずだったのに、なぜこんなことに。秋からおそろしく忙しかった。ときどき頭がショートした。
さあ、2021年1月。年が明けて2月に駒場アゴラ劇場で予定していた新作公演【老花夜想】を中止にした。この状況ではしょうがないと決断したのだが、自分でも不安になるくらい落ちこんだ。その落ち込みを回復させるには、踊るしかない。緊急事態宣言発令を受けて、東京公演を中止にしながらも、京都で踊っちゃう矛盾も感じた。もう完全に狂っているのかもしれないと思いながらも、心身が疲弊することを拒んだ。
【きたまりダンス食堂】からもう少しソフトな企画に移行しようと始めていた、【KITAMARI DUO SYOKUDO】は中止告知をしていたが、1月30日に予定通り開催することにして、急遽公募し集まった5人×20分での相手が入れ替わる100分の無音デュオをやり、次の週はマーラー交響曲10番1楽章を使用したソロをUrBANGUILDの「FOuR DANCERS」vol.187」で踊った。
2021年2月の中止になった公演【老花夜想】のまぼろしのポストカード表裏 宣伝美術:升田学 キャストやプランを変更して2021年秋に上演予定。
あと同時期にロームシアターから依頼を受けて制作していたダンス映像作品【あたごサン】の編集指示をやり始めた。再撮影や、再録音、編集打ち合わせを何度か再設定した。こういった時期に映像作品という、他者と創作する場があることはかなり大きな支えだった。この【あたごサン】というダンス映像作品、まだ見てない人はぜひ見てほしい。
2018年に上演した舞踊作品【あたご】から、映像作品【あたごサン】が続いた。嵯峨狂言につたわる演目、愛宕参り、釈迦如来、餓鬼相撲の要素を織り交ぜて作った。
【あたごサン】にも色々と制作秘話がたくさんあるのですが、書ききれないし、まだ秘め事にしたいので、4月に公開される副音声バージョンを楽しみにお待ちください。
そして、この作品においては監督という肩書き表記をもらいました。思いもよらなかったし、ちょっと恥ずかしいし、映像班にまかせたぞ!の部分がありすぎるのですが、私の振る舞いは確かに監督みたいだったなと思うので、初監督作品と声高々に言いふらしていこう。
2021年2月公開 きたまり初監督作品【あたごサン】ロームシアター京都KYOTO PARK STAGE 2020 ダンス映像製作アクション!
これもコロナ禍だからできた。こんな感じで思いもよらぬ状況の中でも、作品を作れたり、ダンスを通じてなにかを繋げていくことが、続ける原動力だなと実感している。
ダンスをやっている。ダンスを踊りともいうし、作品とも表現とも振付とも言う。これらのものをもって人と関わる。ダンスは私にとって言葉以上の言語なのだ。
これからやりたい作品も山ほどある。マーラーシリーズは続けたいが、無茶な構想が年々増して、実現が困難になってきている。太田省吾の戯曲を舞踊化するのもシリーズ化したい。扱いたい音楽と物語は古典と現代、西洋東洋と増える一方なので選ぶのは難しい。その上、中国の雲南省ナシ族のリサーチはまだまだ続けたいし周囲の少数民族も気になっている。ときおり密かに作っていた相撲ダンスもまたやりたいし、なんでもダンスにできると信じている。これまで、その時々の出会いの中で芽生える問題意識と共に、自分が心底うごきたいと思えることをやってきたし、これからもやるつもりです。
2012年 9月 【Oh! スモウダンス?!】 いたみ・まちなか劇場(猪名野神社境内 土俵付近/伊丹)好角家として、時々密かにつくる相撲ダンス作品。
さあ、そろそろこの20年の振り返りを〆ようか。私の表現は私の身体の蓄積と共にできているけども、その蓄積を言葉にして伝えるのはためらいが強い。なんでだろうか。けど、昨年に他界した母の遺品を整理していて見つけた、私の幼稚園時代の先生と母の連絡帳のやりとりの中に、その答えが書いてあったので記載して振り返りを終えようと思います。なんだかんだで、幼少期から変わっていないことに驚くが、しょうがないじゃないか。あっ、私の本名は真理子です。芸名はきたまりです。これからもお付き合い頂けると幸いです。皆様に大きな感謝と共に、それぞれの方が良きタイミングになれば劇場や踊りのある場所でまた会いましょう。やっぱり、生きているうちは直に会いたいです。
“先日の生活発表会はあんなに楽しくダンスを踊り、こんどはクリスマス委員としても頑張り幼稚園生活をとても楽しんでいるようですね。しかしマリコは公私混同しないといっていいのか、園での生活、とくに個人的なことはほとんど話しません。何を聞いても「わすれた、マリちゃん家に帰ると全部わすれてしまうの」とのこと。主人共どもあいた口がふさがりません。このような子ですのでやりづらい点あると思いますが、よろしくおねがいします” 1989年12月「園と家庭のれんらくちょう」より抜粋