見出し画像

《2018年はいろんな地域でおとおどり》


2015年から「RE/PLAY(dance edit)」のアジアでの国際共同制作の為に、プロデューサーの岡崎さんと二人でリサーチの旅に出るようになった。実際に公演をしたシンガポール、カンボジア、フィリピンはもちろん、可能性を探してインドネシア、マレーシアと巡った。どこの国でも劇場には足を運んだ。どんなダンサーがいるかとチェックし、フェスの規模や観客の年齢層や外国人の割合、舞台機構の具合を視察しながら、政治と文化とお金の関係をヒシヒシと感じとり、時折その構図の歪みが見えると、心底もったいないなぁと思うようになっていた。劇場の客席からその地域の状況、問題が浮き彫りになるように感じる。

画像1

2016年前後 「RE/PLAY(dance edit)」リサーチの様子 カンボジアで現地の子供達に混ざり古典舞踊を習う。

で、2018年の1月は「RE/PLAY(dance edit)」のフィリピン公演を行い、2月はフランスのパリとマルセイユにいた。パリでは昼のみのワークショップを複数人で回すことになっていて、夕方になると身体が空くので劇場に向かった。芸術の都パリ、地下鉄には多様な民族が溢れているのに、劇場には一定の民族しかいないことを異様に感じた。

画像4

2018年3月 京都駅東南部エリア アート・トライアル2017-2018「おととおどりのまつりごと」の第1部リハーサル風景

3月は京都駅東南部エリア アート・トライアル2017-2018「おととおどりのまつりごと」という企画の総合演出をしていた。前年の春頃からリサーチを重ねて、朝鮮半島の民族・民衆文化を基盤として自らの文化を創造し、東九条を拠点に30年以上活動しているグループ「ハンマダン」と公募で集まった子供たちと、直接声をかけたダンサーたちと一緒に屋外の公園で音と踊り披露する第1部。THEATRE E9 KYOTOの建設予定地で、まだ工事に入る前の倉庫だったところで、地域の作曲家の生演奏でソロで踊った第2部。
客席には初めてダンスを見る地域の方が多くて、終演後に身を近づけて興奮しながら感想を言ってくれることが嬉しかった。1年間、地域の方と顔を合わせながら、時にアートという単語が傲慢で無遠慮な言葉になることを知り、“まちづくり”の一環としての事業であることの壁に幾度もぶつかった。その壁についてはいまだに考えることが多い。
けどその年の11月「東九条音楽祭」に地域の方から声がかかり再演をできたことは、なによりの嬉しいことで、その時の客席のダイレクトな反応が忘れられない。その町に住む人に愛着が湧くと、その地域に愛着がつのる。

画像4

2018年3月 京都駅東南部エリア アート・トライアル2017-2018「おととおどりのまつりごと」の第2部開場中の風景・改装工事前の倉庫だったTHEATRE E9 KYOTO予定地

5月は静岡、6月は長野の松本と地方で踊ることが続いた。地域が培ってきた観客がいる、ということを目の当たりにすると、地方で表現活動を続けることの意味がのしかかる。
7月は中国人の知人に紹介された、見知らぬ西洋人からのメールの誘いを受けてひとりで中国の雲南省にある麗江にレジデンスに向かった。現地で少数民族ナシ族の民族宗教トンパ教のシャーマンに連れられて、レジデンス場所から車で6,7時間ほどの山の中の村に行った。そこで葬礼の宴に混じり、目の当たりにした歌と踊りは忘れられない。そこには劇場文化はなかった。だけど音楽と踊りは溢れていたし、それらは言葉よりも強かった。

2018年7月の麗江滞在の記録は、2020年に立ち上がった#keep UrBANGUILDプロジェクトの映像コンテンツとして販売中。

帰国直後の8月は、滋賀の山中で念仏踊りを習い奉納した。見ず知らずの死者のために太鼓を叩き踊る。うまく見せたいと脳裏によぎる自分のエゴが邪魔になった。
お盆明けから九州に向かった、桜島と屋久島と宮崎・高千穂と福岡・八女と移動しながら、自然豊かな地域と芸能のあり方と日本人の民族性を捉えようとしていた。

画像3

2018年8月 滋賀県朽木古谷の念仏踊り奉納の光景

旅の間の8/31にダンスカンパニーKIKIKIKIKIKIをソロユニットにしますという宣言を公開した。一緒にカンパニーをしていたメンバーには2017年の年末には合意をとって決意していたが、公開できないまま半年以上が経っていた。カンパニーメンバーというのは特別な存在だ。特別な人たちには負担をかけすぎていたし、そのことが私にも負担だった。
ちょうどカンパニーを初めて15年目に入ったタイミングでの公開だったので、感謝の気持ちを込めて無料のダンスイベントをやろうと10月「きたまりダンス食堂」をUrBANGUILDで行った。3日間、昼はこれまでのダンス作品の映像上演と、夜は連日異なるミュージシャンと即興セッションをした。これが転機だった。ダンサーとして国内外での経験を重ねて、ちょっとばかし踊れる気になっていた自分に気づいて反吐がでた。3日目の終演後にすぐさまUrBANGUILDのブッキングマネージャーのryotaroさんに「60分以上の即興できなあかんと思うから、きたまりダンス食堂を続けたい。ヨロシク。」と言い放った。それからUrBANGUILDで己の修行の場のような企画をどんどんやってきた。こんな身勝手な挑戦を受け入れてくれている場があることがなによりもありがたい。​

画像5

2018年10月のUrBANGUILDマンスリースケジュールのフライヤー表紙に、過去の作品の写真をまとめて載せてもらいました。うれしかったなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?