つらつら草 Vol.1 将来 先天後天 努力

 将来のことを考えていたら、なんだか色々な考えが浮かんできた。
 なんだかこの浮かんできた考え達が忘れられていくのが、非常にもったいない気がしたので、ここに書いて保存しておくことにした。
 ただ、ふらふらと頭に浮かんできたことをそのまま書いたり、これまでに持っていた考えを書いているので、起承転結の何かが欠けていることが多いように思う。話の脱線も多くみられる。そこは読者の皆様のことを考えていないことがあるので悪しからず、申し訳ない。
 語り口調もねじれが発生すると思うので申し訳ない。基本は一人称視点で書くつもりである。
 また加えて、自分は何かにつけて考え込む癖があるので、それらが日をまたぎそれを文章として頭の外に出して記録すれば、考えが溜まっていき、それをシリーズ化できるなと思い立った。

 というわけで、徒然なるままにつらつら思うことや自分の中にある考えが書かれているので、このシリーズの名前を、名作の題名からいただいて「つらつら草」と名付けた。

 考えることと悩むことは隣り合わせのことが多く、それは辛い(つらい)ことが多い。
 なので「辛辛草」と解釈してもいいのではないかとも思う。
 いやはや、自分のネーミングセンスには閉口するばかりである。

 考えが浮かんだ時に、それを手元の携帯のメモ機能に残し、時間ができたときにnoteにそれらをペーストする手順をとっているので、このアプリでできることといえば、浮かんで考えの写像である文章の少しの推敲、そして区切りとしての「タイトル付け」のみである。

 また考えはどんどん湧いてくるので、1投稿につき「1日」という制限時間を設けた。ただ、同じ項目についてまだか来たらないものがあれば修正という形で付け足すかもしれない。

 なので書き方、編集時間により相当読みにくい文章構成になることを繰り返しお伝えしておく。
読者の方には「へぇ、そんなこと考えているんだ」くらいの解釈をもとめる。変な文章から意味合いだけをくみ取っていただければ幸いである。

 では始めたいと思う。

将来

 自分は将来どのような職に就き、どのような分野に携わろうか。研究者になって新理論見つけてみようか、研究者はお金がないがそれはいいのか、いやお金持ちにもなりたい、じゃあ開発職??それは自分のやりたいことなのか?海外で研究するのもありでは?いや、日本も嫌いになり切れない。
 そもそも、自分を活かしていくにはどうしたらいいのか。
 自分は理解力が長けているから、それを活かして勝負した方が成功する確率は高い。いや、何を持って成功とする??自分が成功と思えばそうだが、そのことはその時の未来の自分しかわからない、だからこの未来を想像している自分は何を考えておくのが最適解なのだろうか、今の自分には何ができるのだろうか?
 それはきっと、選択肢を増やすことなんだろうなと思う。
 選択肢を増やすといっても、時間は有限である、何かを捨てなければいけない、何を捨てるか、その捨てるものは未来には影響しないか、一番影響の少ないものを捨てるのがいいだろう、ただその必要の是非の判断が難しい。


先天後天


 自分のいる環境を変えることは難しい、労力がいる、努力とかそういう話じゃなくて、時間とお金がもったいないという意味で。だから環境を自分で選べる「環境」にいるのが理想、そのためにはそれ相応の努力がいる、等価交換、真の自由は矛盾がないように思う。
 自分のことを思えば、自分の持って生まれた良いカードを存分に活かせる環境が理想だ。
 カードとは?先天的に持って生まれた性質である。完全なる「ガチャ」である。いろんな項目があって、それぞれについて良い悪いがある。頭がいい、芸術センスがある、運動神経が悪い、顔が悪い、身長が高い、肌が荒れやすい、手先が器用、禿げない、酒に強い、声がいい、手がある、足がない、喋ることができる、耳が聞こえない、全て運である。
 カードの良し悪しはどう決める?自分で日頃から見極める。自分の良いところ、悪いところを見極める、自分は何が苦手で得意なのか考える、自分と会話する。そのためにはいろいろなものに触れなければいけない。自分の見極め、すなわち自分の評価は絶対評価ではなく相対評価、なので色々な人とも関わっていかなければならない。人間は集団で生きる生き物、関わり無しには生きていけない。

 自分は理解力、比較する力、同じものを見つける力、応用する力が長けているように思う。逆に覚えることが苦手、ただこれに関しては覚える方法を知らないだけの可能性がある。ここで書いているのは持って生まれたカードの話であって、後天的なものではない。これは直すことができる可能性があるから、自分の評価項目における優先度が低い。その性質が関わってくる場面が来るまでに完全とは言わないまでも自分が正しいと思えるとこまで直す努力をすることができる。
 自分にはいいカードがない、悪いカードしかない、そういう可能性だってあるだろう。ただ自分がそれに当てはまると考えたとき、その考えが合っているかどうか判断できない。良いカードがないと言い切れるのはどうしてだろうか?
 悪魔の証明というものがある。この世に「たぶん」存在しないものは、そもそもこの世にいないのだから「いない」と証明して言い切ることができないのだ。
 よって、まだまだ自分の中にはいいカードが内在しているかもしれないと信じることが大切に思う。(一番難しいことなのであるが)
 悪いカードにしか目がいかなくなるのはありがちな話である。それはどうしてか。自分が思うに、それらが気になり目立つからである。こだわるからそれしかないように見えるのだと思う。それが悪いといっているわけではないが、あまりこのことに気づかずにいると、良いカードがもしあったとしても、埋もれて見えなくなることもある。
 また、「自分はダメだ」といった様な、悪いカードしか見えなくなる逆色メガネをかけているからである。先入観とは怖いものである。認知バイアスは我らが人間の敵であるので、これについては生きている間ずっと戦っていかなければならない。
 また、このような言葉がある。
「一番大切なものは目に見えない。」
これは星の王子様の一説に出てくる世界的に有名なセリフであるが、本当にこの一文は色々な場面で使える。このカードの話でももちろん使える。一番大切な「良いカード」は、目に見えない、つまり、感じ取ることが難しいのである。悪いカードが多く感じるのも、いいカードが見えないが故に悪いカードの比率が多く感じられるからなのかもしれない。
 周りの環境と先天的なカードが人生を大きく作用する、が、後天的なものも人生を大きく作用する。しかし、後天的なものは先天的なカードに影響を及ぼされる可能性が高い。先天的なものが悪い質であった時、それに手を加えることは難しい。だから手持ちの良いカードが少なくても、それを生かしてあげる「後天的な自分」が大切なのである。
 環境も先天的カードと同じで運の要素が強い。環境は変えることはできないから「自分」が変わるか、その環境を捨てて自分に合う環境に移動するための代価を支払わらなければいけない、それが嫌ならそこにいるしかない。自分の状況とカードから自分の都合のいい環境状況に行くためには何をどうすればいいか、最適解を見つけるまで考えなければいけない。長い長い道のりだ。

努力

 もう自分はダメだと思うには若すぎると思う。20歳身空で何を言っているんだろうと思うことが多々ある。できることはやったのだろうか。限界を自分で作ってないだろうか。
 環境や持って生まれたものを嘆き、それでやる気をなくして文句を垂れ、結局努力もせず何もしていない人間になってはいないだろうか。嘆いたり文句を言ったりすることは全く持って悪くない。努力しないことが一番の悪であるのだ。
 意外と、できることはそこら中に転がっているものであると自分は考える。それに気づいていないか、気づいていても惰性で目を背けているだけであると思う。確かに、先天的カードや環境のように、一個人ではなかなかどうすることもできない要素もある。しかし、努力次第では「良いもの」にできなくても、「マシなもの」にできる可能性があるのだ。どうせ変われないと思っているのは自分だけである。なら、そう考えている自分を殴って黙らせればいいだけである。しっかり考えて、本当にどうしようもないものなのか再考、熟考してみると見えるものがある可能性がある。
 確かに、やる気次第で人は変わるというがそれは変わることができた運のいい人である。しかし、変わろうとしないと変わることはない。
 なので正しくは
「努力は報われないかもしれない、ただ、努力しないと報われない」
だと思う。努力は報われるための必要条件である。
 努力はきつい、報われないこともある。ただやり続けないと何も変わらないのだ。
 これも運である。本当に人生は運次第であると思う。
 「努力」は自分の中の「成功」の方に運が傾く「確率を上げる」ための作業であると僕は思う。
 運の考え方からすると、悪いカードを持っていることは大抵その人のせいではない気がする。自分がだめだから…ではないということだ。
 なので、なにか苦手な分野があって、それを他人と比べてみたときに「あぁ、自分はなんでこんなこともできないんだろう」と思うことがあるが、そんなに悲観的に思うことはないと思う。ただもし、その「できない」というのが努力不足だと自分の中で思っているのなら話は違う。努力をしてこなかったのは自分である。「~ができない自分が悪い」のではなく、正しくは、「できないとわかっていながらそれをマシにしようと努力しなかった自分が悪い」であると思う。
 ただ最近、ここで難しいなと思うようになったのが「努力」もカードの性質を持つのではないか、という点である。
 努力は誰にでも出来るものなのだろうか?
 自分は、努力ができるかどうかはきっと「環境」と「性格」も影響していると思う。周りの環境が自分と合わないものだと、努力云々の前に疲労の問題があったり、そもそも頑張ろうという気持ちにならないことがある。環境の影響は絶大で考え方が180度変わってしまうこともあるくらいだ。(なので環境を自分で選ぶことができる腕力を持ちたいわけだ)
 「性格」に関しても、局面で「ここで負けてられない!」と燃える人と、逆に「やっぱりもうだめだ」と考えてしまう人がいることを考えると、その影響を無視できない。また、この性格とやらは、「環境」のよって形成されるのだ。
 これを考えると、想像よりも問題は複雑であると思わされる。色々な要素が複雑に絡まり合っている気がして、その全体像を想像すると脳のキャパシティーを超えて吐き気を催す。

 総じて、今できることは、今いる環境や生まれ持ったものに不満があるなら、それに対するため息を漏らしながらも、時間の有限性を考えたうえで努力する項目を取捨選択し、できる限りその頑張りをこの方向性で正しいのかどうか考え続け(悩み続け)、自分の潜在的な良いカードの存在を探しながら、見つけた宝物を磨き続ける、そして悪いところはいいものにすることを目指すのではなくて、マシなものにしていくしかないように思う。


今回はもう疲れたので、これで筆をおく。

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