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えろいおんな

 我ながら妙なタイトルだが、要するに「エロい女」の話である。ただし、均整のとれた身体を持つグラビアアイドルの話でもなければ、セックス絡みの話でもない。いつものように酒を飲みながら書く、とりとめのない退屈な駄文になると思うが、僕にとっての「エロい女」の話を語ろう。「老いの繰り言」ならぬ「老いの戯言」である。 


■山梔(くちなし)

  先日いつも通り書店を徘徊していたら、文庫本コーナーに平積みされている野溝七生子の小説「山梔(くちなし)」を見つけた。版元はちくま文庫だが、自分が持っている同作品はずいぶん前に刊行された講談社文芸文庫版だ。どうやら知らないうちに講談社文芸文庫が絶版になって、あらためてちくま文庫から刊行されたらしい。味もそっけもない講談社文芸文庫版の表紙とは異なり、白い山梔(くちなし)の花をあしらったちくま文庫版の表紙は、なかなかよいのでは…と思った。何よりも、文庫本コーナーにこの「山梔」を平積みにする書店員のセンスにはいたく感心した(池袋の旭屋書店)。
 
 野溝七生子の「山梔」は、1924年に発表された長編小説で、彼女の処女作だ。不思議な読後感を持つ物語で、僕は大好きな作品だ。ストーリーを説明するのは面倒なので要約に「生成AI」の手を借りて、簡単に内容を紹介しておく。
 
 物語の主人公は、由布阿字子(あじこ)という変わった名前の少女だ。阿字子は、明治時代に軍人の家に生まれた。父親は厳格で暴力的な性格で、阿字子は幼い頃から父親を恐れていた。彼女は読書が大好きで、古代ギリシャ神話や中世ヨーロッパの伝説などに憧れていた。しかし、父親は彼女の読書を許さなかった。阿字子は、姉たちと仲が良く、姉たちに支えられて暮らしていた。しかし、姉たちは次々と結婚していき、家庭の中で阿字子は孤立してしまう。阿字子は、家父長制や結婚制度に疑問を抱き、自分の生き方を模索する。しかし、当時の社会では女性の自由は限られていた。その阿字子は、ある日、海で溺れそうになった少年を助ける。その少年は、阿字子の理想とする男性像を持っていた。彼女は、少年と恋に落ちる。しかし、少年との恋は父親に反対され、二人は引き裂かれてしまう。失意に陥った阿字子は、自らの命を絶とうとする。しかし、彼女は最後の瞬間に自分の生きる意味に気づく。阿字子は、生き抜くことを決意し、新たな人生を歩み始める。
 …といった内容だ。
 
 「山梔」は野溝七生子の自伝的小説である。上記のようにあらすじとして内容を要約してしまうと、「前近代的な家父長制度の家庭に生まれた一人の女性が、苦悩し葛藤して自立を目指す物語」ということになってしまう。「女性の生き方や社会問題をテーマとした小説」という単純な評価で終わってしまいそうだ。さすが生成AIによる要約である。やはり生成AIを使っては、まともな読書感想文は書けそうにない。
 
 確かに「山梔」には、大正という時代背景から来る、「前近代的な家父長制度の下での女性の自立への苦悩」的な評価を得た側面もある。野溝七生子は1897年(明治30年)姫路に生まれた。「山梔」は1923年(大正12年)、彼女が26歳の時に書かれたもので、彼女の処女作だ。wikipediaによれば、
 …1923年「山梔」を「福岡日日新聞」懸賞小説に応募。1924年に島崎藤村・田山花袋・徳田秋声の選で「福岡日日新聞」懸賞小説特選となり、同紙に連載。1925年「信濃毎日新聞」に「暖炉」連載。菊池寛・久米正雄が「眉輪」を映画原案懸賞第一席に推すも、古代皇室を題材としたものだったため発表されず。1926年 「山梔」春秋社刊。北原白秋・宇野浩二に推賞される。白秋に見こまれて「近代風景」誌に参加…
 …と、「山梔」が当時の文壇から高く評価され、続く作品も含めて多くの著名作家の支持を得たことが知れる。興味深いのは、社会主義者で婦人運動家でもあったあの神近市子が「山梔」について論評している点だ。大杉栄の愛人であった神近市子にとって「山梔」という作品は、「女性の権利の抑圧」について語る題材でもあったのだろう(野溝七生子は後年になって大杉栄との関係について瀬戸内晴美と確執があった)。
 
 しかし実際に「山梔」を読むと、そんな単純な物語ではない。作品中には、母親との愛憎を巡る深刻で辛辣な会話が散りばめられ、家族との関係についてはこれでもかと複雑な心象風景が描かれる。主人公が傾倒し、憧憬したヨーロッパの文化を反映してやたらと外国語が出てくるし、特にギリシャ神話が多く登場する。メタファーのような意味深な叙述も多い。作者が自らを重ねた主人公は、「自立」などという安っぽい言葉を飛び越え、情動に突き動かされ、変幻自在な精神的営為が、作品の随所に見え隠れする。しかもそこには、高潔で確固たる自我と意志が貫かれている。だから物語の中の主人公と登場人物、主に家族との関係性は緊張に満ちており、言葉は尖っている。ある種の「怖さ」すら感じる。最初から最後まで圧倒される物語なのだ。
 
 「山梔」の作者の野溝七生子という人物は、非常に魅力的だ。人物が魅力的というだけでなく、女性としての生き様が魅力的だ。詳しくは触れないが、他の作品、「女獣心理」やフランス空軍将校との恋愛を描いた「アルスのノート ─昭和二年早春」などもぜひ読んで欲しい。「山梔」の解説にもある通り、野溝七生子という女性を「少女」と形容する評者は多い。長じても少女性を持ち続けた女…という評は、とてもよくわかる。

■不滅の少女

 さて「山梔」と野溝七生子の話が長くなってしまったが、この話には続きがある。実は書店でちくま文庫版の「山梔」を手に取ってパラパラとページをめくっている時、本文後の解説者に「矢川澄子」の名前を見つけた。それで、久しぶりに矢川澄子という女性の存在を思い出し、自宅に戻って矢川澄子の著作や関連資料を引っ張り出して読みふけってしまった。矢川澄子が野溝七生子の著書の解説を書くのはある意味当然で、矢川澄子は「野溝七生子というひと ―散けし団欒(あらけしまどい)」という著書を書いている。これからちくま文庫版の「山梔」を買って読もうという人は、先に矢川澄子による解説を読んで野溝七生子の人生のあらましを知ってから読むといいかもしれない。
 
 僕が最初にこの矢川澄子という作家・翻訳者を知ったのは、谷川雁に関連した人物としてだ。僕は長い間「谷川雁」という詩人・アジテーターのファン、というよりもストーカーに近い部分があって、高校時代に「工作者宣言」「原点が存在する」等の著作、そして吉本隆明、村上一郎と発刊した雑誌「試行」や彼の詩集を読んで以降、彼が死に至るまでずっとその行動や発言を追いかけてきた。すべての著作を持っている。むろん「ラボ教育センター」以降、いわゆる「転向」後の活動、発言、創作活動にも注目してきた。例えば詩集「海としての信濃」は、初期の詩作とは全く趣が異なるが、それでも僕のお気に入りだ。また1980年代に入った頃、作曲家の新実徳英と共作で合唱曲「白いうた 青いうた」を創りその歌詞を書いているが、これは今でも合唱曲の名曲として歌い継がれている。youtubeで「白いうた 青いうた」を唄う多くの映像を見て聴くことができる。その詩は、荒々しい初期詩編のそれとは違い、どこまでも優しい。その谷川雁と長く愛人関係にあったのが矢川澄子だ。
 
 1930年生まれの矢川澄子は幼いころから早熟の天才少女と呼ばれていたらしい。若い頃の経歴は省くが、1959年1月に澁澤龍彦と結婚した。澁澤の要求で4度にわたって妊娠中絶を行い、その結果、子供を産めない体となった。澁澤は娼婦との妻妾同衾を矢川に要求したことがあると自ら認めている。まあ常人には理解しがたい結婚生活を送った。1968年4月に澁澤と協議離婚。離婚の原因については、矢川澄子と俳人・詩人の加藤郁乎(澁澤の友人でもある)との不倫、加えて谷川雁の存在だ。澁澤と離婚した矢川澄子は、その後谷川雁と付き合うようになり結婚をも考えるが、結局関係は破局する。
 矢川澄子は2002年に自らその命を絶った。1995年に死んだ谷川雁が晩年を過ごした長野県の黒姫の地で…。彼女は谷川の住居の近くに住んでいた。とっくに別れたはずの谷川との関係は、余人の知るところではない。しかし、わざわざ谷川の住居に近い黒姫に移り住んだからには、最期まで何らかの交流があったのだと思う。
 
 矢川澄子の結婚相手であった澁澤龍彦は、小説家、フランス文学者としての評価は別にして、先に書いたエピソードを見ればわかるように、ある種「ひどい男」であった。そしてその後付き合った谷川雁も、ある種「ひどい男」であった。谷川雁のサークル村時代の同棲相手であった森崎和江は、谷川雁について「傲慢で自分勝手な男」とはっきり言っている(むろん十分なリスペクトを込めてだが)。いや森崎和江の証言だけではない。谷川雁の人を見下す傲慢で自分勝手な性格については、彼と付き合いのあったすべての人が証言している。wikiにも書かれているように、谷川について矢川自身は後年「プラスの部分のスケールも大きいけれども、マイナス面のスケールも桁外れ」と評している。矢川澄子は、こんな2人の男に愛され、愛した。澁澤龍彦は矢川が家を出ていった後、帰ってきて欲しいと人目も憚らず泣いたという。
 
 この文を書いている手許に、矢川の死後の2002年10月に刊行された雑誌「ユリイカ」の特集号「矢川澄子・不滅の少女」がある。ここでは多くの人が、矢沢の思い出を語っている。まあ、矢川の死をいいことに、関係者がよってたかって「暴露本」を刊行したとも言える。新川和江、谷川俊太郎、白石かずこ、高橋睦郎らが「詩」を寄稿し、種村季弘、唐十郎、高橋たか子、久世光彦、四方犬彦、斎藤美奈子、松岡正剛、松田政男、池田香代子…等々が矢川の思い出を書いている。そして驚くことに、当事者たる加藤郁乎も詩を寄稿している。そして彼ら、彼女らの多くが矢川澄子の「少女性」を証言している。この「ユリイカ」には生前の矢川を写した写真、肖像も特集されている。表紙の写真を含めて、そこに写されている矢川の姿は、何と可愛いことか。女性の可愛さと年齢は全く関係がないことを、あらためて思い知らされる。
 そしてもう一冊、矢川澄子の著作を本棚から引っ張り出した。「いづくへか」(筑摩書房)という晩年のエッセイ集だ。人生を振り返りながら、理知的で、軽妙で洒脱、…というよりもどこまでも自然体で書かれた軽やかなエッセイだ。軽やかだけれども、豊富な知識と教養を背景にして時事問題、社会問題にも鋭く切り込む。実に頭の良い人である。
 僕は、先に書いた野溝七生子と矢川澄子の相似性が、頭から離れない… 

■第三の性

  先に谷川雁のパートナーであった森崎和江について触れたが、詩人であり後にノンフィクション作家としても名を成す森崎は、1927年に朝鮮・大邱で生まれた。父は朝鮮で中学校の校長をつとめていた。17歳まで朝鮮で過ごし、敗戦によって家族と共に福岡に引き揚げてきた。朝鮮では比較的裕福な家庭で育ったが、日本に引き揚げて以降は、生まれ育った朝鮮半島と日本の文化の違いや戦後の混乱の中で自らの居場所を失った人だ。肺の病を得て療養し、結婚して子供を産み、その間に弟が自死するなどの中で、詩作に没入し、独自の精神的営為を育んだ。このあたりの話は、手許にある彼女の晩年の著書「日本断層論」(NHK出版新書)で、中島岳志との対談の形で回想している。森崎は、丸山豊が創刊した詩誌「母音」の同人となったことをきっかけに谷川雁と出会った。当時、森崎は結婚しており子供もいたが、上野英信らとともに1958年に「サークル村」を創刊、谷川との共同生活を始めた。谷川との同居は、大正炭鉱が閉鎖されて彼が上京する1964年まで続いた。上京後の谷川が間もなく矢川澄子と交際を始めるのは、前述した通りである。
 
 僕が初めて森崎の著作を読んだのは高校時代で、「第三の性 はるかなるエロス」(三一新書)だ。次いで「闘いとエロス」(三一書房)も読んだ。谷川雁が「大正行動隊」を組織して大正炭鉱闘争を「武力闘争」として先鋭的に戦っている中、森崎の目は、谷川とは別のものも見ていた。周囲の筑豊の労働者の置かれた状況、日々の暮らしに注目し、炭鉱夫たちの開けっ広げな性愛行動や、炭鉱で働く女性の生き様と性のあり方などに強い関心と共感を持った。朝鮮人鉱夫とその家族たちの生活にも目を向けた。谷川との決別のきっかけとなったのは、谷川の階級闘争の中に「女性」の視点がなかったことを批判したことだ。谷川と共同生活をしていた当時の森崎が、女坑夫たちの「語り」(「サークル村」での連載をまとめた「まっくら」三一書房など)を記録し続けていたことや「無名通信」での執筆活動などを、谷川はどう思っていたのだろう…

 「第三の性 はるかなるエロス」を、「戦後フェミニズム運動の嚆矢」とする評(僕が嫌いな上野千鶴子など)は多いが、僕はそう単純な著作ではないと思っている。この本は、2人の女性(森崎自身がモデルになった「沙枝」と森崎の友人がモデルになった「律子」)が交換ノートを通じて恋愛・性愛をめぐる自身の体験や考えを赤裸々に語り合う…という体裁をとっている。この中で沙枝(主人公)は、性愛を通じて自己と他者との関係性を突き詰めていくプロセスを様々な形で語っている。性愛を単に男女間の関係性として捉えるだけではなく、消費の手段としての性を否定することで、男女間にある資本主義的な「所有」の概念にまで踏み込む(勝手にそう解釈した)。僕は思春期である高校時代にこの2冊の本を読んで、男と女の関係について、高校生らしからぬ面倒なことを考えてしまった。
 
 余談になるが、森崎と谷川を繋いだ丸山豊は「丸山豊記念現代詩賞」で知られる著名な詩人だが、彼が創刊した「母音」については、忘れられようとしている気がする。丸山豊は1947年に安西均、野田宇太郎らと詩誌「母音」を久留米で創刊し、谷川雁、川崎洋、有田忠郎ら九州の詩人たちが参加した。「母音」は、東京の文壇、詩壇から離れたはるか九州の地にあって、戦後の名だたる多くの詩人たちを輩出し、現代詩の礎を作った記憶されるべき詩誌だ。僕が高校時代に現代詩を読み始めたきっかけは、鮎川信夫、田村隆一、黒田三郎など「荒地」に始まる。その後、吉本隆明、谷川雁、北川透など権力と対峙した自立派の詩人の作品を読みふけった。続いて黒田喜夫、関根弘、石垣りん、川崎洋、安西均、谷川俊太郎、吉増剛造、天沢退二郎、渡辺武信、鈴木志郎康などの詩作を読んできた。これらのきらめく現代詩、詩人を生み出した母体のひとつが「母音」である。
 
 森崎和江は多くの著作を残して2022年に亡くなったが、環境も歩んだ道も全く異なるものの、矢川澄子や野溝七生子の20代の頃の精神の揺れや軌跡と重なる部分がある。森崎和江の若い頃の肖像写真を見ると、理知的で意志の強そうな眼差しが素晴らしい。 

■女性作家の肖像

 さて、そろそろ本稿の表題に戻るが、こうして野溝七生子、矢川澄子、森崎和江といった女性について書いてきたのは、彼女たちが僕にとって「エロい女」だからである。「内なるエロス」などというカッコつけた言葉は使いたくない。「エロス」ではなく「エロ」、つまり「エロい女」が相応しい。
 僕は、美人かどうかは関係なく、意志の強さを感じる眼差し、そして深い内面を感じさせる表情を持つ女性に惹かれる。こうした僕個人の嗜好を「一種のルッキズム」と言われれば、確かにそうだ。批判は甘んじて受ける。しかし、繰り返すが美人かどうか、目鼻立ちが整っているかどうかは関係ない。持って生まれた物理的な「外見」には全くこだわっていない。
 
 僕は、自立している、または自立を志向している賢い女性、自己を開放するために闘う女性に「エロ」を感じる。「闘う」とは言っても、声高に社会の不条理と闘うのではなく、自己の内面・精神の中で闘っている女性が好きだ。そして「高潔な意志」にも「エロ」を感じる。そうした女性が男性遍歴を重ねる(誤解を受けそうな表現だが)姿、生き様にもエロチシズムを感じる。例えば、これまで書いてきた女性達と同じく自立を求めて藻掻いて生きた女性作家・林芙美子なども同じだ。
 最近は便利な世の中になったもので、googleで画像検索をすれば、生きている人も過去の人も、どんな人でもほぼ瞬時にその肖像写真を見つけることができる。画像検索で見つけた林芙美子の若い頃の写真は、どれを見ても魅力的だ。けっして傑出した美人ではないが、柔らかな表情の中には確固たる意思のきらめきを感じる。
  全く性的な表現が出てこないにも関わらず、15歳の僕は「放浪記」を読んで「これはエロ小説だ」と感じた。これは「放浪記」という名作に対する冒涜の言葉ではない。僕にとって最大限の褒め言葉なのだ。

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