間違ったアファーマティブ・アクションは人種差別を生み続ける


はじめに

 2023年6月30日、米国最高裁が、アファーマティブ・アクションは「法の下の平等」を定めた憲法修正14条に違反しているとの判断を下した……という報道がありました。
 正直言って、アファーマティブ・アクションとは何なのか、関連報道を見るまで私は知らなかったのですが、かいつまんで言えば、
「1960年代から米国の大学選考や企業選考で実施されてきた、少数人種に対する優遇措置」
です。 直訳すれば「積極的是正措置」という感じでしょうか。

 本稿では、現在までハーバード大学およびノースカロライナ大学チャペルヒル校(以後「両校」「ハーバード大など」とします)で実施されてきたアファーマティブ・アクションが間違っていること、および、私の考える「本当にやるべきアファーマティブ・アクション」について、書いていこうと思います。


アファーマティブ・アクションとは

 Wikipedia 記述によれば、1961年にケネディ大統領によって、
「人種、信条、肌の色、または出身国を理由に従業員または雇用申請者を差別してはならない」、
「申請者が雇用され、従業員が雇用中に扱われることを保証するために積極的な行動をとる」、
と定められた大統領令を、特にアファーマティブ・アクションと呼ぶのだそうです。

 この両文について、異を唱える人はあまりいないでしょう、私もこの大統領令は望ましいものだと思います。 問題は、実際に実施されてきた「積極的な行動」の内容です。


間違ったアファーマティブ・アクション

 報道によれば、ハーバード大などの入学選考では、アファーマティブ・アクションに従い、40年以上にわたって黒人や中南米系が優遇されてきたそうです。

 さて、ここで「優遇措置で入学してきた黒人や中南米系の平均成績が、白人入学生の平均成績より低い」、と仮定してみましょう。
 すると、両校では、成績上位が白人優勢になり、成績下位が黒人・中南米系優勢になるでしょう。 その結果、両校の中では、白人による黒人・中南米系への差別意識が生まれる、と予想できます。
 また、両校の卒業生を登用する企業も、白人に比べて黒人・中南米系は能力的に劣る、と考えるようになるでしょう。

 逆の仮定、つまり「優遇措置で入学してきた黒人や中南米系の平均成績が、白人入学生の平均成績より高い」を考えてみると、両校の中では、黒人・中南米系による白人への差別意識が生まれ、企業は白人の卒業生が劣っていると考えるだろう、と予想できます。

 どちらにせよ、差別を解消する措置をしたはずなのに、新しい差別が生まれてしまうのです。 なぜこうなってしまうのか、私が考える答えはひとつ、「目的を実現するための措置が間違っているから」、です。


アファーマティブ・アクションの間違った目的

 ハーバード大などは、「人種は選考する際の一つの要素に過ぎず」、「措置がなくなれば黒人・中南米系の学生が大幅に減少し」、「大学の多様性が失われる」、として、アファーマティブ・アクションを無くすことに反対の立場だそうです。

 この主張から、両校の入学選考におけるアファーマティブ・アクションの「目的」を推測すると、それは差別を無くす事ではなく、誰かを優遇する事でもなく、「多様性の確保」なのでしょう。
 「我が大学は構成学生の多様性を尊重し実現している」という事実が、今の両校にとって譲りがたい価値なのだ、と。
 多様性が大切だと叫ばれる昨今、大学がそういう場でありたい、と願うことは理解できますし、そうあってほしいとも思います。

 しかし、両校の主張は、差別解消のために行うべき措置を、多様性確保という別目的のために「誤用」している(頭の良い人達ですから、おそらく故意に)、と私には見えます。

 また、卒業生を登用する立場としては、多様性よりも、大学が輩出した人物の優秀さこそ問題であって、そこに大学の価値を見出すでしょう。

 もちろん優秀な人物は、多様性を理解し異文化を尊重するでしょう。 では、多様性のある環境で学ばなければ、多様性を理解できる人物になれないのか、と問われれば、そんな事はない、と私は答えます。 実際、今「多様性が大事だ」と声高に叫んでいる方々は、今より多様性が尊重されない時代に生まれ育ってきたのですから。


黒人・中南米系の入学生達の平均成績

 ハーバード大などは「措置がなくなれば黒人・中南米系の学生が大幅に減少」する、と主張しています。
 もし全員に対して同じ選考基準を適用すれば、「黒人・中南米系の学生が大幅に減少」する……すなわち、「黒人・中南米系の入学生の平均成績は、白人のそれより低い」ことを、両校は自ら認めているのです。

 従って、両校の中においては、「黒人・中南米系の学生達は、優遇してやらなければ入学できなかった人達」というレッテル貼り意識を、大学側も学生側も持っていることでしょう。

 本当はきわめて優秀な学生であるとしても、その人が黒人・中南米系であるというだけで、「不当に」見下される事が「普通に」有り得る、ということです。 こんな状況では、トラブルを生みかねないですし、良い面は何ひとつ思いつきません。 やはり「目的を達するための措置が間違っている」、と私には思われます。


本当にやるべきアファーマティブ・アクション

 「全米で最も優れた大学はハーバード」という名誉を守り、大学出身者の名誉を守るためには、入学選考は能力だけを見るべきです。

 そのためにやるべきことは、人種や出身国による優遇ではなく、「能力だけを見るべき場に立つことを難しくする要因を取り払うこと」でしょう。

 大学に通う交通費が無いほど貧窮しているとか、大学で学ぶ以前に日常生活が営めないほど貧しいとか、家族の世話に追われて学業どころではないとか、目や耳が不自由で選考参加が難しいとか(ここでの例の列挙に人種など一言も出てこないことに留意してください)……そういう障壁を積極的に取り払う行動こそ、本当にやるべきアファーマティブ・アクションである、と私は考えます。

 つまり「積極的に是正」する対象は、肌の色とか出身国とか人種によって決めるべきものでは無いのです。
 そもそもの話として、特定の人種や属性を「優遇」すれば、大統領令の「人種、信条、肌の色、または出身国を理由に(中略)差別してはならない」に反してしまいます。 今まで、ハーバード大などで実施されてきた措置は、大統領令に違反しているのです。


属性ではなく能力による選考を突き詰めよう

 人種や出身国、あるいは性別や年齢や障碍などのような、人物の属性によって優遇するのではなく、あくまでその人の能力だけによる選考を実現すれば、大学にいる学生達は、誰しもが「同じ基準の選考をくぐり抜けた、ひとかどの人物である」と、互いに尊敬し合うでしょう。 白人とか、黒人とか、中南米系とか、貧しいとか、そんな事には関係無く。
 卒業生を登用する側としても、黒人・中南米系だからダメだろう、とか、白人だから優秀だろう、とか、貧しい出身だからイマイチだろう、とは考えられなくなるはずです。

 真っ当な能力選考を、地道に実現していく事こそが、差別の撤廃につながる「積極的是正措置」であるはずだ、と私は考えるのですが、両校は

「多様性の確保が最重要(そのためには差別の温存もやむなし)」

と主張しているように、私には見えます。

 それとも、真っ当な能力選考の環境を地道に整える事が面倒臭いから、やる気が無いのでしょうか……面倒臭いという事には同意致しますが。

 措置の方向性が間違っていると、本当に気付いていないのならまだマシですが(気付けば改善されるかもしれないから)、私などよりはるかに頭の良い人達ですから、そんな事はとっくに気付いていて、それでも「多様性」を言い訳にしているのなら、これは「邪悪」です。


おわりに

 最後に、分かりやすく単純化したアファーマティブ・アクションの例を挙げて、終わりに致します。

 「黒人と中南米系の人達は貧しい」から、ハーバード大などの入学選考に参加できない、という現実がある場合……

 「黒人と中南米系の人種を優遇して選考する」は、間違ったアクションです。
 A人種の優遇は非A人種の差別であり、これでは人種差別が終わらないからです。 また、貧しくない黒人・中南米系の人達と、貧しい白人との間に、摩擦を起こすことが容易に予想されるのも、このアクションの良くないところです。

 「貧しさを救済したうえで能力により選考する」は、正しいとは言い切れないまでも、間違っているとも言い切れないアクションです。
 人種にかかわらず、貧しい人々を救済することによって、ハーバード大などの選考に参加できないという障壁を無くせるからです。 少なくとも、人種によって優遇する措置よりは望ましい、と私は考えます。 もし、このアクションによって人種差別が昂進するなら、それはアクションの方向ではなく実践内容が間違っているのでしょう。
(了)

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