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母 mother

散歩中の親子が
私の家の前で、昨日寄せ植えした花を見て
「きれいねー」と言ってくれた。
幸せを感じた。

わたしの記憶の中で、母と微笑ましいとか
ほのぼのしたとか…そんなことは一切ない。
今でこそ笑って言えるくらい
生まれてから今まで、母のことは大嫌いだ。

世間体や常識という鎖を振り回し、見栄っ張りと高飛車な鎧を着て
躾という名の暴力を振りかざして、私の子供時代を支配していた母。
しかし子供時代の私は、一人の叔母と二人の祖父に救われていた。

母は8人兄妹の6番目
長男(亡)・長女・次男(亡)・次女・三女・四女(母)・三男・五女
この次女が救ってくれた叔母である。
この叔母は女二人男二人の四人の子供がいて叔母ちゃんの家によく泊まりいったものだ。大きなお姉ちゃんお兄ちゃんしかいないので私だけを優しく構ってくれる。尚、叔母ちゃんが作ってくれる大家族で食べるご飯が美味しいこと。そしてそこのおじちゃんは大工で仕掛けのある家を造って家族で住んでいた。
犬も飼ってた。お兄ちゃんたちが夜店に行ってはヒヨコ釣り,うなぎ釣りをして釣ったヒヨコやうなぎは飼育してしまう。鶏小屋やウナギ用の水槽の改造、おじちゃんは何でもこなしていた。
犬もいてヒヨコと戯れてウナギを眺めたりして子供らしく過ごせる空間だった。
ある時,今日はパーティーと言われ行くと井戸のところで叔父がヒヨコが大きくなったニワトリを締めていてて、ウナギはまな板に釘でブッ刺されて捌かれてる〜ぎょぇ〜‼︎って言ってたけど...結局、みんなで美味しく頂きました。
突拍子もないことを家族でして、いつも仲良くていい家族で大好きでした。
子供の頃は、この家の五人目の末っ子三女になりたかったくらいでした。

自宅では母の思うようにならないことをやったり、母にはむかったりしたら手に線香でやいとされてた。
やいととは火のついた線香を手に押し付けて火傷させること
今もその時にされた跡形は残ってる。
今で言うと虐待と言う言葉になるね。

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