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『ホモ・デウス: テクノロジーとサピエンスの未来』(上)(下)

(ざっくりサマリー)

・人の行動や世界に意味を与えるものが、近代以降は神的存在から人間自身に取って代わられたが、これからはさらに生化学的アルゴリズムに取って代わられる。そうした時に、人間は他の動物と同じくデータの一種として埋もれてしまう。
・こうした予測に対して、検証したり、気に入らなければ未来を変えたり、そうした未来に適応できるように行動することが求められる。

(読んで欲しい人)
知的好奇心が旺盛な人。前提知識は必要としませんが(前作『サピエンス全史』を読んでいなくても大丈夫です)、批判的に読解できるくらいの最低限の教養は求められます。

(あらすじ)
※プロットのコアを粗く抽出しているので、これだけ読むと論の飛躍があるように感じられると思いますが、各章がどうつながっていてどう論が展開されているのかを大掴みするためにお読みください。また、通読したけど意味が分からなかった方も、これを読めば振り返って意味がわかると思います。

第1章
これまで人類に付きまとってきた課題「飢饉・疫病・戦争」は克服されようとしている。しかし、人類は歩みを止めることができない。そこで、これまでの課題の裏返しとして「不死・至福・神聖」の探求が、人類が新たに取り組むべき課題となる。
第2章
人類は元々他の種と共生する存在であった。
第3章
人類が他の種を支配する存在となった原因は、共通の神話を持つことなどによって得られる「共同主観」により、知らない人をも含む大勢で協働できるようになったからである。
第4章
「書字」と「貨幣」の発明により、共同主観は時間や場所を超えて表現できるようになったため、共同主観の手法は強力かつ広汎に機能することができるようになった。
第5章
共同主観の源泉となる、人生や世界に「意味」と「行動指針」を与えるものを「宗教」と呼ぶ。
第6章
近代以降、科学と経済発展により、古典的な宗教が提示する解決法によらずに明確に解決できることが多くなったことで、古典的な宗教は弱まったが、それと同時に古典的な宗教が与えてくれていた意味を手放すことになった。しかし、人類は意味を必要としている。
第7章
そこで新たな意味を与えてくれたのが「人間至上主義」である。人智を超えた宇宙に意味があるのが古典的な宗教であるのに対し、人間至上主義は人間自体に意味があるとする。20世紀の戦争は人間至上主義における3派(自由主義・社会主義・進歩的人間至上主義)の宗教戦争であり、消費者と有権者の選択が意味を与えるとする「自由主義」が勝利を収めた。
第8章
宗教戦争に勝利した自由意思の意味の源泉は、個人には「自由意思」が備わっている、ということであるが、現代の生命科学は、自由意志は「アルゴリズム」により説明できるものであり、神が存在しない想像の産物であるように、自由意志もまた存在しない想像の産物であるとした。
第9章
テクノロジーの進展により、アルゴリズムが人間の意思決定を支援する領域が拡大している。しかし、アルゴリズムの意思決定支援にアクセスできる人とできない人の間でこれまでにない格差が生じることになり、前者は自らを「ホモ・デウス」にアップグレードされる一方で後者は進化から取り残されるかもしれない。
第10章
自由主義の崩壊後に意味を与えてくれる宗教として、それでも人間を卓越した存在とするためにテクノロジーによって人間の意志をアップグレードさせる「テクノ人間至上主義」がある。しかし、意志を操作できるのならば、その操作の源泉となる意味が必要となる矛盾を孕んでいる。
第11章
もう一つの宗教候補としてあげられる「データ至上主義」は、人類も他の森羅万象と同じく、アルゴリズムに行動支配されるデータに過ぎないとするものである。さらに、テクノロジーが行うアルゴリズムの計算能力は人間個人の能力を凌ぐため、人間が孤高の座を降りることになる。データ至上主義においては、ますます多くの媒体と結びつき、ますます多くの情報を生み出すことに価値があるため、私たちが生き延びるには、自分の経験を自由に流れるデータに変えることにより、自分にはまだ価値があることを証明しなければならない。

(エッセイ)
前作『サピエンス全史』と対比され、前作が人類の過去について書かれていて本作は未来について書かれているという紹介がよくされていますが、実際に本作で挙げられている未来技術といえは、「IoT、ビッグデータ、シンギュラリティ、サイボーグ」といった、そこら中の未来技術解説本で紹介されているものにすぎません。しかし、本作は宗教や封建社会、自由市場資本主義経済、民主主義国家と戦術の未来技術を串刺しにしてその共通点と差異を浮かび上がらせている点で、そこら中の未来技術解説本と一線を画しています。

また、著者のベースが歴史学であるため、テクノロジーに哲学をはじめとした人文領域がどのような比類なき役割を演じられるかが鮮やかに語られているため、文系/理系といった旧来的な枠組みを越えて、ここに提示された議題について大いに話し合うべきでしょう。

加えて、前作と共通して本書の卓越した特徴に挙げられるのは、非常に軽快で刺激的な筆致であり、リラックスして楽しんで読めることです。非常に広範な範囲を扱っていますが、説明に使う事象は極めて具体的であり時に身近であるため、読者を置いてけぼりにすることがありません。

ただ、論のプロット自体は激しいくらいにマクロな議論なので、人によっては面食らう、あるいは肌に合わないということもあるかもしれません。
《人類は「飢饉・疫病・戦争」を克服しようとしてる》
《でもシリアではまだ戦争が続いてるじゃないか》
《誰もシリアの話はしていない》
こういった論法が気に食わない人、あるいは何の話か理解できない(「抽象的叙述」と「具体的叙述」が区別できない)人には不向きです。

個人的に印象的だったのは、産業革命により都市に住む労働者階級というこれまでの歴史には存在しなかった人々が出現したことでマルクスの『資本論』が登場したということと、アルゴリズムテクノロジーの進展により「無用者階級」が出現するという指摘がなされている点です。著者は、この本の歴史的立ち位置を、現代における『資本論』と見立てている節があるものと考えられます。また、フランス革命で自由や平等が社会に導入されて以後、大きな政治哲学は生まれていないとも書かれています。そういう点では、将来個人の自由意志よりデータが優先されるということがにわかに信じがたいのは、フランス革命以前における人にとって神や君主より自分の意思が優先されるということが信じられなかったことと同じなのかもしれず、人類にとっての特異点に今まさにさしかかっているかもしれないことを真剣に考える時が来たのかもしれません。


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