私自身の意思決定支援

マネジメントを中心に据えてきたつもりだ。
マネジメントは管理ではない。
そして、マネジメントの基本は、まず自分自身のマネジメントにある。
そう言い聞かせながら、チームの2番手として17年にわたり働いてきた。
時が流れるに従って、年齢も50代半ばになり、この小さなチームのリーダーになっても良いように、さらに思考と実践を繰り返してきた。
2番手が長いために、業界では永遠の子分キャラとして認識されていて、今になって『抜擢』的なオファーが多い。
この歳になって『若手の登竜門』のような場や仕事にお招きいただく。
私のようなものに、過分な評価と伸び代への期待を持っていただいていることには感謝しかない。
たしかに年齢ではないと綺麗事では言えるが、着実に歳を取るのも事実である。
『勉強になりますよ。』と励まされても、周りの若手たちには響くかもしれない。彼らは瑞々しく、大いに飛躍する可能性がある。
いくつになっても勉強というのが理想論だが、現実には、その努力の実を結ぶまでには時間、もっと言えば跳躍するには助走が必要なのだ。
これまでの道が曲がりくねっていて、そのふしだらな曲線(たしかに、それは私が自分自身で描いた曲線)の延長線上には終焉となる崖が待っているシーンで、立ち幅跳びをしろと命じられているような気もしなくもない。
身の丈も辧えずに、あるはずのない妄想の階段を昇ろうとしたら、そこにはステップがなく、つんのめりそうになった。
はじめから、階段などそこにはなかった。
このまま、崖の縁で立ち幅跳びをすると終わってしまう。
なんの確証もないままに生き方を決めていたフシがある。なぜなら現実的な長期計画を立てて、行動指針を持ち、コツコツと実践するのが苦手だ。
そして、この春に、唐突に生き方を模索するフェーズに陥った。
そして、その答は、最期までこれまで通りの番頭さんを勤めきって、年下のリーダーが代わる代わるやってくるチームの『爺や』として機能することを覚悟しなければならないというフェーズだ。

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