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愚痴を飲み込んでたけど、それでよかったんだろうか。

自分の愚痴で、会話を埋め尽くす人が嫌いです。そしてこれは、割と多くの人がそうなんじゃないでしょうか?

「返信に困る話はNG!」「後ろ向きな内容は相手もげんなり!」なんて
LINEニュースとかグノシーの「こんなことしてない?」みたいな記事でよく見るので。

ただ同時に、「嫌いな人は自分の鏡である」という言葉が私に刷り込まれて早十何年。

「会話で自分の愚痴しか言わない人が嫌いってことは、私もそうなんじゃない……?」


こんなこといつ思ったか完全に忘れましたが、いつからか私は自分の愚痴に結構気を遣い始めました。

①基本的に、愚痴は言わない。

②愚痴を言いたくなった場合は、笑い話風か相談風かのいずれかに味付けする。

③②の段階になったとて、なるべく話をコンパクトにまとめる。

ということを高校時代から心がけてました。


例えば、今日唐突に花粉に襲われ、鼻は終始詰まりっぱなし、マスクの下もマスクもハンカチまで大惨事だった挙句、頭はぼーっとしてました。心の中では「花粉なんか○んでしまえ!!!」とはいかずとも、「あ゛ーーーし゛ん゛と゛い゛」と叫んでたのですが、このことを誰かに言うとしたら、「マスクがあってよかったことのうちの一つなんだけど……」もしくは「唐突な花粉にどう対処すればいいか教えてくれない?」という風に話すでしょう。余程のことがなければ、「あ゛ーー(以下略)」とは言わないようにします。


実際できていたかは主観でしかわからないのですが、「愚痴言わなくて本当に偉いよねえ(妹より、呆れ気味で)」とは言われているので、それなりに成果は出ていたというべきでしょうか。

しかし今日、後ろの席で「寮で友達ができなくてね……」という話を延々と続けている子にイライラしていた時、ふと思いました。


私が飲み込んだ愚痴は、どこへ行ってるんだろう?


私に限らず誰だって、それなりに愚痴っぽくならないように配慮しているのは百も承知です。だけど言わなかった分の愚痴は、果たしてどうなってるんでしょう?

嫌なことがあった時のネガティブな感情を、言語化して吐き出したものが愚痴です。ただぬいぐるみにそれを喋ったり、書き出したりするだけで心は軽くなるってよく言いますよね。

じゃあ何かの形で外に出さなかったその感情は、そのあとどうなってるんでしょうか。


別のストレス発散法でいつの間にか雲散霧消してた、とかなら全然いいんです。私の今までのモヤモヤだって、漫画を夢中で読んでるうちに消えてたかもしれない。

でも人間が言葉を使って思考せざるを得ない以上、そして「言霊」なんて言葉がある以上、私は結構言語化の力を信じているところがあります。
言語化されてない、整理できてないモヤモヤとか不満が、そんなに簡単に消えるわけ?って思ってるところがある。


もしかしたら、足の小指ぶつけた程度のちょっとした嫌なことがあった時、つい独り言で自分でも驚くほどの激しい暴言が出ちゃったときとか、

面白い話のつもりで話してた愚痴が、止まらなくなって、たしなめられるほどひどい誰かへの悪口に変わってたときとか、


そんなところで発散してしまっていたら?


或いは、自分の感情がそれらを「不満」と感じなくなるくらい麻痺してしまっていたら、誰かのSOSを「そんなの大したことないじゃん?」って言う人間に私が成り果ててしまっていたら?


私の愚痴らないところを、今まで長所にカウントしてました。

でもそれはもしかしたら、余計に誰かを怯えさせたり傷つけてしまったりする形で爆発する爆弾を抱えることだったのかもしれないし、
自分の感情を鈍感にしてしまうことだったりするのかもしれない。

……と、ぞっとした話でした。



それじゃあ、また。


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