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30年分をボールにこめて、未来の私に投げてみる


「好きな人・応援したい人とお仕事したい。
その人たちのためにお役立ちしたい。
これは絶対に譲れないポイントだと思っています」

4月から参加していたナリワイ助産院というプログラム。
最終発表会のときに話した「絶対に譲れないポイント」という言葉は、本番で初めて口にした。
心の中では思っていたことだし、似たようなことは書いていたけれど、発表会で話したことで決心がついた。

もう、収入の不安や周りの目、自分は本当にできるのか、自分が人を選んでもいいのか、そういうのいったん置いとくね。

私は私の好きな人と生きる。
人を応援してお役立ちすることで、私を生きていくことにした。




あなた自身の想いや強み・個性から、あなただけのナリワイを産み出す場。自分軸で向き合う3ヶ月弱の事業創造プログラム

ナリワイ助産院とは: https://aiyueyo.jp/10224

最終発表はひとり5分くらい目安で、と言われていたのに、ほとんどの人が余裕でオーバーしていて。私も気づいたら7分半だった。一応練習では5分半だったことをこの場で主張しておきたい。(?)

もうみんな、当日ぎりぎりまでたくさん考えて考えて、想いがめっちゃ溢れてる状態だったから。そりゃ話したくなっちゃうよ。
発表を聴きながらエネルギーを受け取りまくった結果、終わるころには汗だくだった。


人生をまるごと棚卸して、アイデアをぽんぽん出しまくり、最後にはそれを人に伝える形、事業計画にぎゅっと落とし込む。
それを3か月、みんなでやる。

棚卸だけとか、アイデア出すだけとか。あるいは事業計画書を作るだけとか。どこか一部分だけならほかの場所でもできたと思う。
仲間づくりの機会も、今は探せばいくらでもある。

でもこれを全部できるのが、ナリワイ助産院なんだとわかった。

入る前あんなに躊躇していたのにね。当時相談した方に「石橋を叩く人代表だった」とあとで言われ、笑ってしまった。いや、本当にそうだったのだ。我ながらよく決心したな。今なら、迷ってないでさっさと飛び込め!と言いたいのだけど。

思えば、今年Xを始めてすぐに、4月から開講するとのお知らせが流れてきて。ちょうど当時、仕事を辞める時期を3月か6月で迷っていて、ええい3月だ!と決意したところだった。講座日程は平日の日中だったから、仕事を続けていたら絶対に参加していなかった。
そうだ、そもそもXを始めたきっかけは、講師のあべなるみさんがとあるイベントで伝えていた言葉だった。

「発信とは、両想いの一歩目」
「人となりを見える化しよう」

こんなご縁と機会に恵まれること、もう一生ないんじゃないかと思う。




私が生み出したナリワイは「おしごとバッテリー」。

「おしごと」には、お仕事と推し事の意味を込めて。
私の推しであるピッチャーが、安心して気持ちよくボールを投げられるように、キャッチャーである私がととのえていく。

細かい事務処理もやりたいし、Notionもやりたいし、とりあえず1対1で話す時間も定期的につくりたい。
ただ、サポーターとかフォロワーとか秘書とか、なんとなく上下関係を示してしまう言葉にはしたくなかった。もちろん全力でサポートするし、秘書のように任せてほしいと思っているけれど。


「バッテリー」という言葉にたどり着いたのは家族のおかげ。
いったんは「同僚のような秘書」で落ち着いていたのに、いや秘書っていうか何でも話せる対等な関係でいたいんだようんぬんかんぬん……と、ちっともまとまらない話を延々と聞かせていて。
そうしたらぽろっと、キャッチャーじゃない?と。
結果、このナリワイ名は多くの人に受け入れてもらえた感覚があって、すごく嬉しかった。私も自信をもってこれでいこうと思える。

家族へ。
あのとき「バッテリーじゃん!!!!!」と大きな声を出してしまい、申し訳ありませんでした。でも、私がピッチャーとして好き勝手投げられるのは、家族がキャッチャーでいてくれるからだと思っています。これからも頼んだよ。




最終発表まで駆け抜けて放心状態だったけど、むしろこれからが大事で。
3か月の講座は自分なりにフル活用できたと思う。これを未来に繋げるには、まだまだ自分で頑張らないといけない。

頑張らないといけない、と言わなくても、頑張れる気はしている。

3か月を通して、私はめちゃくちゃ自信がついた。
講師・メンバーのみなさんと話す中で、過去も今も未来の自分もまるごと肯定してもらえたから。
だってある意味人生をさらけだしたんだもの。

こんな世界もあったんだなあ。会社員だけしていたらきっと見られなかった景色。
終わるのはとっても寂しいけれど、ゆるやかにでも、がっつりとでも、繋がりが続いていったら嬉しいです。


この先、ずーっとつよつよマインドではいられないと思う。人間なんで。
でも、家族と仲間と、何より30年分の自分を味方につけた私なら、きっと大丈夫だと思う。

2024年の目標は「軽やかに生きる、言葉にする」。
だいぶ近づいたんじゃない?年末の私よ、どう?


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