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エゴあるいは昔のよしみ(仮)

大学時代の友人が、親類を亡くした。

彼女は、本当に仲の良かった友人だった。一緒に作品をつくったし、休みの日に二人でプチ旅行へ出かけた。誰にも言えない恋愛の話を彼女にだけは打ち明けたりした。

私と彼女は似ているところがある。オタクで、ユーモアがあって、自分の売りをよく理解しており、真面目で、ネガティブで、プライドが高い。だから、彼女と会話することはとても愉快だし、彼女と対話をすると何処までも何処までも落ちていき二人して絶望していた。大学生に相応しいアングラ(という言葉は適切ないが敢えて使いたい)な関係である。私の大学生活において、彼女は唯一無二の存在だった。

しかし、例に漏れず、大学を卒業したと同時に私たちの間にはあっという間に距離ができた。働きだしてからしばらくすると、彼女は自分の就活は失敗だったと判断した。私は私でボロ雑巾のように働かされ、わずか入社1年で心療内科に通う羽目になった。その前後で、彼女が私の進みたかった業種へ転職したことを知り頓服薬をコクンと服用した夜が、私には確かにある。彼女は転職先でしんどい経験をしているようで、大学時代の友人たちの集まりは大抵参加できなくなる。つまり、プライドの高い私たちは会えなくなってしまったのだ。たぶんね、こういうこと。


そんな彼女の親類が亡くなった。

彼女から直接聞いたわけじゃない。特定を避けて抽象的に書くと、大衆向けに流れた情報と彼女がした少しのアクションをスマホ越しにぼーっと眺めていた時、ふと勘付いてしまったのだ。その勘は、いずれ確信へと変わる。

悩んだ。めちゃくちゃ悩んだ。そもそも連絡を取るべきか、取らざるべきか。取るとしてもなんと声をかけるのか。

これが大学生の時なら、少しも迷わず連絡を取り、彼女を静かに抱きしめていただろう。でも、もう違う。あの頃の関係じゃない。昔仲が良かっただけの人なんて、インターネットが繋いでくれているだけの他人だ。

それでも、私は彼女のことが堪らなく心配だったのだ。私と彼女は似ているところがある。だから想像できてしまう。きっと、彼女は残された親類たちに心配されないよう、気丈に振る舞うだろう。気丈に振る舞う彼女を見た人から心無い言葉をかけられたら、しっかり傷ついているのにそのことに気づかないふりをするだろう。思うところも考えるところも沢山あって、深い思考の海に潜ってしまうだろう。

想像できてしまう私は、彼女が私にとってどのような気持ちを抱いていたとしても、力になりたいと思ってしまう。これって、たぶん今や友情じゃない。エゴだ。


結局、私は彼女にエゴをぶつけた。ごく簡単な言葉で、勘付いてしまったことと呼んでくれたらいつでも駆けつけると告げた。彼女からは、気持ちのこもった返事が返ってきた。それから、お互いに簡単な挨拶を一往復させた後、彼女からの連絡はなかった。


だいたい1ヶ月が過ぎたため、久々に彼女のSNSを覗いてみた。あの直後に比べたら、元気そうだ。少しだけ前を向いている様子が見てとれる。私無しで、とりあえずは切り抜けたのだ。

また、いずれは声をかけよう。彼女と私が直接会わないことが確定未来なのだとしても、気にしてるんだよと伝えるために声をかけよう。プライドの高い私たちが、周りの誰にも打ち明けられない事象を抱えた時、そういえばあいつがいたなと選択肢に挙げられるように。これは私のエゴだけど、それくらいは昔のよしみで、きっと。

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