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唯物論、無神論に対する個人的な見解

まず、本題に入る前に断っておくべきことがある。

それは、この記事は何も唯物論や無神論を明確な根拠を持って論破するものではないということである。

Twitterを見ている人ならわかると思うが、私はイスラム教徒だ。故に神の存在を信じているし、それ以前も、またはそれ以降も唯物論や無神論には否定的だった。

だが、残念なことに私は唯物論を否定できるほどの明確な根拠や証拠を出すことは現時点では出来ない。

出来たとしても、それは他のブログや本の意見を借りたものでしかない。(もちろん、自分の言葉で唯物論や無神論を否定する明確な根拠を見出すことが出来たなら、その時はそれを記事にするつもりではいる。)

「唯物論、無神論に対する個人的な見解」とタイトルにあるが、この記事は私が無神論や唯物論に対する感想を述べたものでしかない。

唯物論や無神論が嫌いな人間の感想なのだから、内容は当然否定的なものになる。

言わば愚痴である。唯物論者に、「こんなもの感情論でしかない」と言われても否定できない。

この記事はイスラム教徒である私が、唯物論、無神論に対して感じたことをただ羅列しただけのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。


と、長い前置きを終えここで本題に入ることにしよう。

唯物論とは、「存在するものは全て物質的である」という考えのことだ。

唯物論者は、当然神や幽霊、妖精などの非物質的な存在を否定する。

つまり、唯物論者は無神論者だ。

で、この唯物論、何が問題かと言うと、 

この考えは現代人の思考をゴリゴリに支配していることである。


宗教に関する動画やツイートのコメ欄を見ると、

やれ「神は人間の妄想による産物だ」だの、

「宗教なんぞ信じる意味は無い」だの、

「神など存在するはずがない」だの、

宗教を信じる人間から見れば心無い罵詈雑言が多いように感じる。

これはとても悲劇的なことだ。

一体誰が「神は脳による産物だ」ということを証明したのだろうか。

彼らは神が存在しないことを前提として物事を語ろうとする。

無神論者なのだから当然のことだと言われるかもしれないが、これは洗脳なのではないかと私は考える。

彼らは神の存在は脳が生み出すということを証明されていないにも関わらず、あたかも証明されたかのように、それを前提として語るのだ。

挙句の果てには「宗教を信じる人間は馬鹿だ」と穏便に信仰生活を送る人間をも否定し、宗教を信仰しない自分は知識人であるかのように振る舞う。

酷い。あまりにも酷い。



そもそも心を生み出すのが脳であるならば我々の存在価値などあるのだろうか。

唯物論的に考えれば脳は物質だ。そして感情は脳から出された電気信号にすぎない。

誰かを愛する気持ちも家族が死んで悲しいという気持ちもみんな電気信号だ。

誰かを罵詈雑言で傷つけようが、傷つくということも電気信号に過ぎない。

そしてその脳すらも死んで焼かれれば私たちは完全に消滅する。

これが正しいとすると、道徳などなんの意味も成さない。

死んで全てがお終いなら、道徳や善悪など無視して生きた方がいいに決まってる。

私は唯物論的な考えをして病まない人間が不思議でならないのだ。

唯物論的に考えればこの世界に、そして我々の存在にはなんの価値もないという答えにたどり着く。少なくとも私の場合はそうだ。

なぜ無価値な世界に無価値な存在として生きていると認識しているにも関わらず病まずにいられるのだろうか。達観しているのだろうか。あるいは私の精神が脆すぎるのだろうか。私には到底理解できないのである。


もちろん私は唯物論者共に「私の信仰する宗教をお前たちも信じるべきだ」と言って自分の信仰を押し付けるつもりは無い。

イスラム教の聖典であるクルアーンにも、

『宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は,決して壊れることのない,堅固な取っ手を握った者である。アッラーは全聴にして全知であられる。』雌牛章 256節
『あなたがたには,あなたがたの宗教があり,わたしには,わたしの宗教があるのである。』不信仰者たち章 6節

と、書かれてある。

私は個人的の考えや思想を貶したいわけではない。

ただ、穏便に信仰生活を送る人間まで否定しないで欲しいということだ。

唯物論者の中には、宗教を信じても何一つ恩恵を得られなかったり、信仰した結果酷い目に合ったという人もいるのかもしれない。

また、宗教に関するネガティブなイメージが根付いてしまって、宗教は怖いものだと考えてしまう人もいるかもしれない。

かつて私も遠い過去に無神論者だった時期があったから、その気持ちを否定はしない。

ただ、どうかそれが全てでないことを理解してほしい。

宗教を信じるのは無駄だとか、信仰心を持つことは愚かだとか、私にならまだしも他に宗教を信仰する人間にそのような言葉を浴びせないで欲しい。

唯物論者からみれば馬鹿らしいと思われるかもしれないが、宗教で救われた人間もいるのだ。

私だってそうだ。無くなったとまでは言わないが、病む頻度が少なくなった。なかなかやめられなかった自傷行為だってやめられた。

あなたが神を信じないのであればそれは仕方ないことだ。

だが、宗教は百害あって一利なし、と考えてるなら、その考えは間違いだと私は断言する。

繰り返しになるが、どうか宗教を信仰する人間に心無い言葉を浴びせるようなことはやめてほしい。

もしあなたが特定の宗教によって酷い目に合わされたとしても、(カルト宗教とかでもない限りは)純粋にその宗教を信仰する人間に罪はない。

あなたが神を信じない権利があるように、我々が神を信じる権利もあるということを認めて欲しい。

以上になる。







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