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実名でnoteを始めて一年が経ちました。

こんばんは。ヒガシです。今日はnoteを書く人として話をしますね。

気がついたら、noteを書き始めて1年が経過していました。最初に公開したのは2019年6月13日。誰もいない朝のオフィスで緑のボタンを押したことを覚えています。そこから30記事あまり。幸いにして、文章を書くことの面白さが尽きる事はありません。

noteという街が変わろうとしている、同時に社会が大きく変わろうとしているタイミングでnoteを始めたのは本当にたまたまです。そんな折にnoteをきっかけに自己実現や新たな世界へアプローチされている方を見ると、純粋にいいなあと思うし、働きがいもあるというものです。

が、今回はそんな主語が大きめの話をしたいのではありません。一周年は自分にとっての一周年。徹底的に自分の話だけをしたいと思います。

僕の立ち位置の特殊性について

先日の呑み書きの雑文でお見知り置きいただいた方もいらっしゃるかと思うので、端的に自己紹介をします。

僕はnote株式会社でコーポレートITエンジニアとして働いています。つまり、noteの中の人ということになります。

ただし、僕の持ち場はバックオフィス。なので、noteの開発や企画・運営にはほとんど携わっていません。同僚が機能や企画に頭を悩ませている間、僕は来週新しい人が入社するのにMacBookが来ねえとか言って頭を抱えていたりします。企業の中において、仕事をするレイヤーが少し違うイメージです。

中の人なんだけど、コンテストには1ミリも絡まないし、ましてや何かの公式マガジンのピッカーであるわけでもない。それでも1年間社内の清濁両方の空気を吸って暮らし、「noteっぽさ」みたいなものは割と深いところで理解している、というのが率直なプロフィールでしょう。

それを踏まえて、進めたいと思います。

noteでやろうとしていたこと

最初にnoteを使ってやろうとしていたことはシンプルでした。当時はnoteディレクターだった水野さん(今はファシリテーションの神)が「一発目の所信表明は大事だから、ちゃんと書きな」と教えてくれたので、かなり率直な気持ちを最初の記事に込めました。

僕がこのnoteでやりたいのは「継続的なアウトプットを通じて、自分のことを知ってもらう」ということです。

それまで基本的にはずっと匿名かつ顔出しナシで文章を書いてきて、そして基本的にはずっと無視されてきたので、「ちょっとそろそろ俺の話も聞いてくんねえかな?」というのも少しはあったような気がします。

しかし本当の本当の奥底では、全然違うことを考えてました。ただし、それに気づいたのはほんと最近のことなんですが。

でもね、俺は別に仕事じゃなくて書きたいこと書いてそこから友達作るためにnoteやってんのよ。

酒ってすごいですよね。時にスッと本音が剥き出しになる。酔いに任せて自分史上最高レベルで雑に書き殴った文章でしたが、これを書かなければ具現化しなかった思いかもしれません。

ただ、タイトルから滲む通り、最初は職業人としてのヒガシさんを知ってほしかったんでしょうね。今現在は、無理にそこを狙いにいかなくてもいいかなと思っています。勉強にはなるので、そういうアウトプットもきちんとしていこうとは思うものの。

読まれるnoteについて

読まれるnoteってどんなのだと思いますか?少なくとも僕にはわかりません。

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なぜ、酔っぱらって1時間半くらいで書いたnoteが公開3日ちょっとで1万ビューを超えてるのか。そして、2週間かけてみっちり構成を練って、一言一句まで磨き上げたnoteがなぜ読まれないのか。(読まれなさすぎて、Twitterで読んでくださいキャンペーンまでした)

半年前も書きましたが、SNSで何がどうハネるのかはもう全然わからない。インフルエンサーにとっては簡単なことでも、僕にとっては見当がつきません。

ただし、一つヒントになる言葉があります。こないだうちの社長の加藤さんが、何かのタイミングでこんなことを言ってました。

「その人にとっては当たり前なことこそが、価値あるコンテンツになる」

うん。うん?とこれを聞いたときには思ったのですが、よくよく思い返すと、この1年でオススメに載った4つの記事は、いずれも構成をあまり練らず一気に書き上げたものばかりでした。そこからなんとなく、読まれる文章を産むには、練らずとも語れるほどに手元で磨いたものを、背伸びせずに書ききるのが大事なのかな?という仮説を持っています。たとえばそんな風にして書いたこの記事は、今でも地味に読まれ続けています。

一方、読まれないnoteについてはこの1年ではっきり見えました。

置きに行くと、絶対に読まれない

noteってこんな感じだろ?というのが透けて見えたり、手癖でちょいちょいと書いた文章は絶対に読まれない。理由は最後まで読ませる推進力がないから。

実は一度、そういう記事を書いたことがありました。気づいたら成長していた娘に対する寂しさを書いたもので、題材としてはアリよりのアリ。かなりエモいテーマではあったのですが。

もう冒頭の「いっちょ書いてみる」がダメ。「俺ちゃんこんなんも書けるもんね〜」ていうのが透けて見える。そして書けてねえから。他にもいろいろ突っ込みどころがありすぎて、これもう書き直しちゃおうかなとすら思います。アイキャッチもとても大事な写真だし、本当にもったいない。

企画へ参加してみたことについて

正月に、今年の目標の一つに「会いたい人に会いにいく」ことを挙げました。(ちなみに他の大きな目標は「正気を保つ」)

とはいえ、文章では決意表明したものの、やっぱり中の人間がユーザの企画に参加すると、シラけさせたり、変な期待をされたり、逆に気を遣わせたりして悪いんじゃないかと尻込みしていました。

そんな折、池松潤さんがドーナツを作り始めました。

池松さんと僕は、生きてきた年代も世界も全く異なり、普通に考えたら人生が交わることのない同士だったと思います。しかし、何重もの偶然がかさなり、今ではすっかり顔見知るとなりました。

そんな池松さんがドーナツを作ると言い始め、同時にサークルを作りました。それが本当に意味がわからなすぎて、ぼくはついサークルに入ってしまいました。

しばらく経ったのち、集大成となるイベントをzoomでやるよーと言うので、僕は反射的に参加を決めました。しかし、参加費と引き換えに福岡からやってきた、コーヒーとドーナツがパンパンに詰め込まれたレターパックを受け取ってなお、やっぱり参加するのはなあと日和っていました。でも少しの勇気を出して参加して、池松さんがやりたかったことの意味がわかると同時に、noteの住人としてふんわり認識していた方々と気付けば普通に会話しているうちに、いくつかの発見がありました。

初めて会ったnoteの住人たちは、noteをとてもよく使い込んでくれているものの、noteそれ自体とは絶妙な距離を保ちつつ、プラットフォームの上空で展開される関係性を楽しむ大人ばかりでした。当初の懸念は全くの杞憂で、そして、大人同士はこうやって友達になっていくんだなと学びました。できれば、こういう人たちと友達になりたいとも。

そういう場を作れるのはもちろん池松さんの人徳によるものなんですが、そこにいる人々と普通に会話ができた以上は、曲がりなりにもアウトプットを1年続けるうちに、僕にもその人徳の恩恵にあやかる資格ができてたんだろうなと思っています。去年の秋、大柄でパワフルなおじさんが職場にやってきて、真っ白なホールでシャウトしながら主張していたことは本当でした。

おわりに

この一年、僕と関わりを持ってくださったnoteの住人の方にもいろいろなことがありました。透明感溢れる筆致でコンテストを荒らし回るようになった人、心身の不調を乗り越えて自己再生と発展の道を歩み始めた人、乾坤一擲の勝負記事で見事にバズった人。そしてうちの近所のスーパーは謎の御神体となり、僕はnote酒場にノーアポで凸って入れず、なみきくんはアルバイトから社員になりました。

一年間書いて分かったのは、文章を書くのがやっぱりどうしても好きであること、読まれない文章の作り方、大人の友達の作り方、そしてどんな人が好きなのかということです。また、坂るいすさん曰く僕はピュアらしいんですが、おそらくそれ故にあまりできた人間でもないので、何かを書くにあたって気をつけるべきことが結構多いのもわかりました。

しかし、「書くことで友達を作る」目標が明確になった以上は、あんまりRoyal We的な「正しい文章」ばっかりでもダメだろうと(書くべき時には書くけどね)。2年目はもうちょっと力を抜いた普段着の文章も多く書いて自分を知ってもらい、そして書くことでまた他者を理解し、そんな中で友達が増えればいいのかな、と思っています。

2年目も、どうぞよろしくお願いします。

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