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L'Arc〜en〜Cielを想う夏(あるいは、誕生日の心象風景2023)

今日は誕生日にかこつけて仕事を休んだ。毎年のことだ。

暑すぎるので自転車はさすがにナシ。ちょっとその辺をぷらぷらドライブすることにした。クルマにスマホを接続するといつの日か(たぶんサブスクが解禁された日)何の気なしにダウンロードしていたL'Arc〜en〜Cielのベストが再生されたので、そのまま聴きながら甲州街道を流した。

確か村上春樹もどこかに書いていた気がするのだけど「人生のある一時期熱心に聴かれて、その後は熱が引くように突然聴かれなくなるタイプの音楽」というのが存在する。それが僕の場合はラルクだったりする。リアルタイムに聴いていたのは「HEART」と「ark」と「ray」。「true」と「heavenly」「Tierra」と遡って「REAL」が出たあたりで突然聴かなくなった。

….いや、偏見&主語が大きくなるのを承知で言うと、僕たちの世代、たぶん1983年〜1985年くらい生まれの人たちにとって「そういう音楽」がラルクだったんじゃないかなとも邪推している。それくらい誰もが当たり前のようラルクを聴いている時代があった。多感な時期だけに当然ながら斜に構えて逆張りするやつもいたが、それを含めてメインストリームがラルクだった。もちろん聴き始めたタイミングと聴き終えたタイミングは人によって前後すると思うのだけど。

朧げな記憶を掘り返すと、1999年あたりのJ POPシーンはラルクとGLAYが双璧を成していて、GLAYがシングル2枚同時に出したと思いきやラルクは3枚同時に出してみたり、GLAYが真夏の幕張メッセの駐車場に20万人入れた狂気のライブを開催したと思ったら、ラルクもビッグサイトの駐車場に10万人ずつの2daysを開催したりしていた。もうバッチバチだったが、周囲の同世代を見渡すと圧倒的にラルク派が多かった。何故だかはわからない。GLAYの正メンバーにドラムがいなくてバンド感がイマイチだったのか、単純にhydeの顔が好きな人が多かったのか。

一方で、同世代を外れると一気にGLAY派というか、ラルクを聴いている人が皆無となっていた。特に自分の母を含めたおばちゃん世代ではもう圧倒的にGLAYだった。この理由はおそらく、GLAYが割と素直な日本語の歌詞を素直な情感を込めて歌い上げていたからだったではないだろうか。超主観ではあるけど、当時のそれぞれの音源を現時点の冷めた(?)耳で聴いてみると、ボーカルの上手さではTERUが圧勝しているようには思う。

まあでも、他の世代が何を聴いていようと僕らの世代はラルクなので、みんなラルクを聴いていた。地元の友人に至っては飼い始めた犬に「ラルク」と言う名前をつけていた。

不思議なことにそこから少し時代を遡った音楽、例えばXだったりブルーハーツだったりという音楽は通り過ぎる音楽にはならず、いまだにちょくちょく聴いていたりする。これはもしかしたら、高校生になった以降に触れた音楽だったからなのかもしれない。ラルクが最もラルクしていた(?)1999年は押しも押されぬ14歳。どこに出しても恥ずかしくない正真正銘の中学2年生だった。

故に、ラルクの音楽を聴いていると、なんだか心のかさぶたをちょっと空いてるところから撫で上げるような感覚があり、率直にぞわぞわする。いろいろな言動の記憶が、ラルクの音楽と否応なしに結びついてしまっている。だからこそ、みんなラルクを含めた「そういう音楽」を突然聴かなくなるのかもしれない。「いろいろな言動の記憶」ごと闇に葬ろうとすると、そこに根を張っている音楽も葬らざるを得ない。そんな音楽が運転しながら聴いていい音楽なわけがない。実際「あああ」と何回かなりかけた。

でも現在は、少なくともサブスクが解禁されたから久しぶりに聴いてみようと思うくらいには(頭では)相対化できている。

それには明確な契機があった。実はそんな大二病的な状態が社会人3年目とか4年目くらいまで続いていたのだけど、当時習っていたジャズギターの先生との雑談の中でこんなことを言われたのだ。

ジャズのインプロヴィゼーションというのは自分の中から音楽を捻り出すことなので、まずは自分の中にある音楽を肯定しないことには始まらない。

何か琴線に触れた感覚はありつつも、その場ではしれっと過ごしていたように思う。ただ帰り道で反芻しているうちに、駅前のCDショップの当日レンタルで「true」を借りてきてMDに録音してはプレイヤーで一生懸命タイトルを打ち込んでいたこととか、中学校の音楽の時間のバンド演奏大会(恐ろしいことにそういうのがあった)で「flower」を演奏してクラス代表になったときのことや、高校生になって初めて組んだバンドで「じゃあ、とりあえずHONEYで合わせよっか」とやってみたとこととか、いろいろな記憶がぶわっとでてきて、ああ、あのとき俺は本当に一生懸命音楽に触れていたんだなと改めて思えたのだった。

今ではもちろん音楽に対する熱自体がもうだいぶ薄くなってしまっているので、ラルクを今更ヘビロテで聴きまくるということはない。それでもその当時のことをあー、うん。あれはあれでよかったよねとヌルッと肯定できるくらいには自分を客観視できるようにはなった。だからラルクもそれなりに聴いていていられるのだと思う。逃れようのないフィジカルな記憶により「あああ」とはなるのだけど、これはもう仕方のないことなんだろう。ラルクと離れたところにもあるたくさんの「あああ」を抱きしめつつ、38歳も生きていこう。

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ところで、先日Fenderというギターメーカーの旗艦店が何故か原宿に爆誕したというニュースがあった。

そして、そのオープニングセレモニーにラルクのkenが出てきて、MIYAVIなど他のゲストと一緒に「虹」を演奏する思わず「なんで???」とツッコまざるを得ないパフォーマンスをしていた。

一通り混乱した後に、ラルクと全然関係ない人たちが集まって「虹」を演奏して、そのニュースを見た人たちが「あー、虹ね」となんとなくなってしまっている状態って、これはとんでもないことなんじゃないかと思った。まぎれもなくその場から独立しているコンテキストが暗黙のうちに共有された「教養」として機能している。

改めて、あのときのラルクって凄かったんだなと思い知らされた。宿命的に「あああ」となりながら。


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