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真っ暗なほら穴のような

お題に乗じて、またちょっと昔のことを書いてみようと思います。

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結婚して初めて借りた部屋は、小田急の駅にほど近いアパートの1階、オーナー仕様の2DKだった。9月の連休に二人で下北沢の不動産屋に赴き、10月に僕が引っ越し、11月に妻となる人が引っ越してきて、その翌日に婚姻届を出した。

当初想像していた新生活はご多分に漏れず甘ったるいものだった。しかしつむじの先から足の裏まで余すことなく浮かれポンチと化していた僕ら夫婦は、「二人で暮らす」ということのリアリティを微塵も想像できていなかった。

同棲を経ずに、結婚。しかも妻はそれまでずっと実家暮らし。長いこと一人で暮らしていた僕とは、生活のリズムが明らかに合わない。結婚して3日で、僕は妻がどこまでも他人であることを思い知った。

リズムが合わないだけではない。人が誰かと暮らす以上、それまでの習慣や文化との衝突は避けられない。そのうちに、相手の一挙一動に神経を尖らせるようになってくる。そして、好きで結婚したはずの相手を常に警戒している自分を発見した。

仕事から疲れて帰ってくる家は、いつしか緊張感を強いられる場となっていた。もちろんそれは僕だけではない。妻は結婚してからしばらくの間、毎日泣いていた。お互いが、自らが発する悪意に疲弊していた。

たった二人だけの戦場。突然世界から放り出されたようなとてつもない寂しさに耐えるために、毎晩9時になると敵同士は体を寄せ合って、NHKのニュースを齧るように見ていた。大越健介キャスターと井上あさひアナウンサーの存在は、辛うじて僕らと世界を繋いでくれていた神だった。

世間と隔絶された、どこにトラップが潜んでいるか分からない真っ暗なほら穴のような空間。それが「愛の巣」の実情だった。

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当時信頼していた女性の先輩が「良好な結婚生活の秘訣は、耐えること」と言っていた。それを聞きつつ表面上は神妙に、しかし内心は俺ならもっと上手くやるね、と鼻で笑っていたのだけど、果たして、その先輩の言葉は至言だった。

結婚して腹に落ちた慣用句や諺はたくさんあるのだけど、その中でも一番身に染みて理解できたのは「雨降って地固まる」という言葉だった。衝突して初めて、お互いが違う考えとバックグラウンドを持った人間であることを理解することができた。そして、何かにつけて衝突する期間を耐えた先に、安息の地があった。

お互いは違う人間なのだ。だから、自分が思う通りに動かないのが当たり前。

お互いは違う人間なのだ。だから、考えが違う部分があって当たり前。

そんな当たり前のことを戦って初めて理解した僕らは、少し大人になっていた。大人になって目が慣れてくると、真っ暗なほら穴も意外と居心地が良かった。かつてのトラップすら少し愛せるようになった。「赦す」という言葉の意味を知った。大越キャスターと井上アナウンサーの存在は神から日々のマスコットへと変化した。そして、再度接続した世界は僕らに心なしか優しくなった。

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しばらく経ったある日、妻が不意に「ここは楽しいおうちだなあ」とにこにこしながら言った。そうだ、僕は妻のこういうところを好きだったんだよなという気付き、一端に「おうち」を構えていることへの感慨、そして戦いの記憶がないまぜになって、その日妻が風呂に入っている隙に少しだけ泣いた。

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この話にオチとか結末、ましてや教訓なんかは何もない。結婚生活は別れのその瞬間まで続く、掛け値のない地味で地道な営み。それでも、かつての戦いや葛藤の先に今の家庭があることを絶対に忘れないようにしたくて、この文章を書いた。僕らが初めて借りた、小田急の駅にほど近い、ほら穴の話。

より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。