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【推し】ヴィトゲンシュタインがカッコよすぎる【『論理哲学論考』までの生き方】

こんにちは、カオマンガイコダイラです。
この前、著作を読んだ「20世紀最大の哲学者」ヴィトゲンシュタインが、本人の生き方も著作の内容も、あまりにカッコよすぎるので紹介したいと思います。
推しです(もう亡くなってるけど)。

大学までの生き方

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは1889年、オーストリアのウィーンに生まれた哲学者です(ヒトラーと同い年!)。当時の大富豪の家庭に生まれましたが、4歳までほとんど言葉を話さなかったため、両親は小学校に通わせることを諦め、ヴィトゲンシュタインに家庭教師をつけました。

ヴィトゲンシュタインには、4人の兄と3人の姉がいましたが、兄のうち3人はそれぞれ違う自由で自殺(父親との不仲のため、同性愛を苦にして、敗戦の責任をとって)。唯一自殺しなかった兄パウルは、ピアニストとして大成しますが、第一世界大戦に従軍中右手を失い、通常の曲が弾けなくなってしまいます(しかし、ラヴェルやプロコフィエフなどが左手だけで弾ける曲を作曲するきっかけとなった)。本人も、友人に「自殺のことを考えなかった日は一日としてなかった」と語るほどハードな少年・青年期を送りました。

学問的には、ヴィトゲンシュタインは完全なる理系で、大学までに工学から数学までの学問をマスターしました。そして数学と論理学、哲学の師となるバートランド・ラッセルの教えを乞うため、1911年、イギリスのケンブリッジ大学に行きます。なお、ラッセルが抱いたヴィトゲンシュタインの第一印象は「ひねくれているが、馬鹿ではないと思う」でした。

第一次世界大戦

しかし、論理学の研究に没頭していたヴィトゲンシュタインは1914年、第一次世界大戦がはじまると、突如オーストリア軍に従軍し、最前線での戦いに身を投じます。なぜか。「常に自殺のことを考えていた彼は、死に場所を求めていたのだ」という説があり、私もこの説が正しいような気がします。実際、ヴィトゲンシュタインはロシア軍との激戦のさなかで九死に一生を得るような経験もしました。
このころ、ヴィトゲンシュタインはキリスト教への傾倒を示していたため、「戦場にあって神の加護が得られるか、自分の体で実験したのだ」という説もあります。いずれにしてもまるでマンガの世界です。

初期哲学の完成

実は、ヴィトゲンシュタインの初期の哲学は、この従軍中に生まれました。彼は戦場に一冊のノートを持ち込み、右側のページに哲学のメモを、左側に(暗号で)日記を記していました。このノートが最初の著作「論理哲学論考」の基になったとされています(もちろんそれまでの研究も反映されています)。なお、ノートの暗号はすべて解読され、今では日記部分も出版されています(神の奴隷になりたい、みたいなことが書いてある)。でも、著作の中では一切宗教的なことは書いていない。不思議な人です。

さて、「論理哲学論考」の中身について、詳しくはまた別の回に譲るとしますが、この著作の中でヴィトゲンシュタインは、師であるラッセルの論理学を超えた論理学を展開し、最後の部分で独自の哲学を語るのです。そして、この著作で「哲学の問題は解決し終えた」と考え、それ以降哲学の研究からは離れてしまいます(後に哲学研究に復帰し、以前の自分の考えをも超えていきます)。師を超え、ひとり孤高に至ってしまうとはマンガの主人公ですね(週刊少年ジャンプ感がある)。

少年・青年期からして壮絶な人生を歩み、死地の中で自らの哲学を育て、完成させたヴィトゲンシュタイン。皆さんはカッコいいと思いませんか?

次は、「論理哲学論考」の文章のカッコよさについて文章を書きたいと思います。

#散文 #哲学 #ヴィトゲンシュタイン #論理哲学論考 #第一次世界大戦



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