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白衣の思ひ出

知っている人にめちゃくちゃ似ている人を見かけたので、5度見ぐらいしてしまった。

もちろん全くの別人だった。高校の頃の先生が当時そのままの姿で全然違う土地にいるなんてこと、あるわけないのだ。

今日は思い出話デーです。もう時効だろう。私は高校生のころ、その先生が好きだった。好きだった、という表現が適切かは分からない。今の感覚で言うと、いわゆる「推し」というのが近いかもしれない。

小中学生の頃は、教師という存在は大きく、自分とは全然違う生き物のカテゴライズをしているような気がする。高校生ぐらいになると、年齢が10や20違うだけの大人という扱いになり、まぁ教師も別に完璧ではなく間違えることもあるし、上手くいかなくてもそこは人間と人間との関係、というような割り切りが生まれてくる。

その先生は30歳ぐらいの理科教師で、整った顔に眼鏡をかけていた。神経質そうな見た目のわりに案外ずぼらで、白衣はいつもチョークで汚れていた。穏やかで授業は面白かったが、クラスのテストの平均点が悪いとけっこうずけずけと嫌味を言った。

当たり前のように、生徒に人気があった。私が当時よく遊んでいた友人もファンで、彼女は何かと先生!とついて歩いた。私は廊下で見かけては彼に大きく手を振る彼女の隣で、ちょっと、やめなって!とたしなめながら、本当はそれを少しうらやましがっている、そういう嫌なタイプのオタクだった。

遠足の際、たまたま近くにいたときに名前を呼ばれて、お、覚えられてる……!?と震えた覚えがある。今考えるとこれ、完全に推しとの関係性だな。認知をもらって喜ぶなよ。

この先生とのヒストリーは、卒業して終了した後、ロスタイムが訪れる。教育実習で母校に帰ったら、まだその学校に勤務していたのだ。我々の代の生徒を知っている教師はもうほんの数人しかいなかったが、その先生は残っていた。ちなみに、私は指導教官も面識のある先生で、生徒の頃に真面目に授業を聞いていた印象があったのか何か、地獄と聞いていた教育実習は比較的、モード選択:イージー、といった感じで終了する。種は蒔いておくべきですね。

最終日、私は打ち上げの席で推しだった先生にビールをついだ。頑張れよ、と言われて、ああ、なんかこれ私の学生時代の最終回っぽいな、と思った。すみません、先生。採用試験落ちました。普通に就活して今に至ります。先生に教わった元素記号もほとんど忘れちゃいました。モル濃度の求め方も。まぁこれは当時から分かんなかったけど……

そっくりな人とすれ違った瞬間に、いろいろがぶわわわわっと自分の中を駆け抜けていった。高校のころの記憶はかなりおぼろげだと思っていたので、自分にこれだけの感受性が残っていたことに新鮮に驚いてしまい、しみじみしてしまった。

ところで、そのそっくりな人が、どうして場違いなところで白衣を着ていたのかという謎は謎のままだ。誰????なんで?????


今日はここまで、ありがとうございました。


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