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エアコン有神論
カーエアコンをつけたら、「夏だ!!!!!!!!!」の気持ちになった。
エアコンつけたてのときの匂いが好きだ。ほこりっぽさと、ほんの少し化学っぽい匂い。冷蔵庫を開けたときにも近い気がするので、そういう冷やす何かの匂いなんだろうか。知らんけど。
大人になって、エアコンが当たり前に作動している職場にいる時間が長くなり、温暖化で家でもエアコンがつける心理的ハードルは昔よりずっと下がった。それでも、なんとなく気持ちとしてはまだ子供のころの、「エアコンつけちゃうぞ~~~~~!!」「贅沢しちゃうぞ~~~~~~!!」という特別感だけが残っている。
エアコンはストーブと違って、持って移動したり、ピンポイントでここだけというように冷やしたりできないので、より大ごとだという気持ちになるのかもしれない。上から見下ろしてくるし。概念としては神棚に近いかもしれない。涼しさをお恵みください。柏手。
毎年出てしまう、エアコンを点けずに熱中症でやられてしまうお年寄りの話、いつもちょっとわかるなぁという気持ちで見てしまう。エアコンをつけるのは大ごとなのだ。本当ならエアコン様に頼らず人間は生きなければいけないのだ、それが正しいのだという謎の信仰みたいなものがどこかにあって、それが我々に起動を先延ばしにさせる。
お年寄りにエアコンを使ってもらうために、まずは上から吹き降ろすんじゃなくて、地面に置いて冷気を出す感じの機構にしてみるのはどうだろうか。壁の高い位置に据え付けるという、神棚形式がよくない信仰を生んでいる気がする。エアコン神を我々の生活圏まで引き下ろさなければならない。信仰を捨てよ。エアコンはただの道具だ。和解せよ。今、なんとなくの思いつきを書いています。
皆既月食見えませんでした。今日はここまで。ありがとうございました。
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