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ENTPは今日も元気

MBTI的な性格診断テストをやった。16種類で出てくるやつ。

以前にも一回やったことがあって、そのとき登録したサイトからときどき前の診断から何年ですよ!みたいなメールが来ていた。正直うっとうしかったけど、暇つぶしになんとなくやってみた。わざわざググってそのサイトと別の似たようなシステム(上リンク)でやったのは、天邪鬼だからです。

結果はENTP、討論者型だそうです。

討論者型の人達は、究極の悪魔の代弁者で、議論や信条を木端微塵にして、その切れ端を皆の目に届くよう風になびかせるといった過程を生きがいにしています。

1行目から極端な悪口を言われたが???究極の悪魔の代弁者って、ちょっといいですね(厨二病を発動すな)日本人にはとても少ないタイプだそうです。やったね!(だから厨二病を発動すな)

ざっくり言うと、議論好きだけど、言い負かしたいというよりは単純にその過程が好きで、アイデア出しは得意だけど実現のための実務には向かない人とのこと。

まぁ当たってないと言ったらウソかな……という実感はある。怒られるのが嫌なのでわりと気を遣う方だとは思うのだけれど……

討論者型の人達の性質には奇妙な対比があります。頑として正直な一方、実際には信じていない物事を懇々と諭す一面があり、他人の跡を継いで、別の視点から真実を論じます。

個人的にそれなんだよなぁ、と思ったのはここの部分。

うまく説明できないのだけれど、私は自分の中にあまり確固とした思想とか信念とかを持っていない。他の多くの人々が、自分の中にそういうものを持っていて、それに従って意見を述べているのだと気づいたのはけっこう最近のことだ。

覚えている授業がある。小学校5年生のとき、道徳の時間に「遠足に持っていけるお菓子は300円までの決まりなのに、350円分のお菓子を持ってきた子がいる。これはいいこと?悪いこと?」という件について、「別にいい」と「ダメ」のチームに分かれて、そう思う理由を発表しよう!という時間があった。

「別にいい」理由を考える方が面白そうだと思った私は、「300円に決まった理由や意図を先に聞いていないのでそもそも我々はルールに同意していない」「貧乏とお金持ちの差が出ると言うが、我々はみんなでお菓子を分け合う仲の良いクラスなので問題はない」「300円のお菓子を1個買った子と10円のお菓子を30個買った子を平等に扱って良いのか」「例えばAの店で300円で買ったお菓子がB店で買うと350円するということもありうるがこのルールは考慮していない」などの、ルール自体に穴があり成立しないので必ずしも守る必要はないという理屈を、つたない語彙で嬉々として並べ立てた。

その授業の結論は、「ルールは守らないといけないよね」になった。

この授業は道徳の時間であって別にディベートではないということを察せなかったのが私の敗因ではあるのだが(まぁ考慮していたらそれはそれでクソガキ度が上がるだけ)、そのときのこれはいったい何なんだ???という取り残されたような気持ちはいまだに覚えている。

結論が既に決まっていて、それに気づかせるための時間だったと言うのなら、最初からそう言ってほしかった。考えた理由を求めた上で結論を出すのなら、きちんと私の出した反対意見に答えてほしかった。もちろんルールを守ることが大事なことなんて当然知っている。これじゃあまるで、私がルールを破る悪い子のようじゃないか。

今でもこの授業のやりかたには全然納得がいっていないので、もし教育関係者の方が見ていたら、先生!気を付けてくれよな!!楽しいゲームができると思ったら急に倫理を求められて傷つく子供たちがいます!!!

信じたことしか言っちゃいけないって、誰が決めたんだ??どうして私が言ったことを、私が本当にそう信じていると決めつけるんだ???

むちゃくちゃなことを言っているのは理解している。嘘つきとかじゃないんだよ。自分の信念へのこだわりが薄いから、これをあなたの信念として話してくださいというのがもらえたら、そう振る舞うことへの抵抗があまりないってことなんだよ。信じてくれよォ。いや信じなくていいです。強く信頼されてしまうと、いつか意図せずそれを裏切っちゃうのが怖いので。私の言うことをあまり信じないでくれ。

こういう、複数の立場を仮定して議論に参加できるという能力は、広い視野を持っている人として歓迎される場もある。たいていのことなら良く捉えたり悪く捉えたりが自在にできるので、ポジティブだと評価されることも多い。

ただ、どうやら世の中には死とか生命とか尊厳とか、何かしら自分の中に意志を(それも多数派のものを)持っていることを求められるカテゴリーがあって、そういうものを何も意識せずに踏み越えてしまうと非常に人を不愉快にさせる。提案と、自分が実行したいかどうかも切り離してしまえるので、一貫していない人間にも見られる。こんなんだから倫理観がないって言われるんだよな。

幸いこれまでの人生、周囲にはこういう人格を面白がってくれる人が多かったので、これからもそういう人のそばにいようと思います。きっと働きアリの理屈のように、正義感に溢れた人だけではこの世界は成り立たないのでしょう。日本人の1%ぐらい、こういう人間がいても良いはずです。頭の中はどうあれ、行動は社会的倫理にしっかりとのっとっているので許してほしい。社会適合、がんばるぞ。


今日はここまで。ありがとうございました。

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