他人を分かち合う
”他人の話”って、どうやったらできるようになるんだ?
人と話していて、そこにいない誰かの話になることがある。どうしてそういう流れになるのかわからない。私から振ることはないから。
それはいい話も悪い話も、どっちでもない話もある。中には○○さん最近休んでるらしいよ、とか、最近彼女と別れたらしいで、とかいうそこそこ情報として価値のあるものもある。知らずに探し回ってしまったり、無遠慮に彼女関係の話を振ったりしてしまうかもしれないから、こういう話は完全に無価値というわけではない。
それよりは例えば、聞いてくれよ、こないだ□□がさぁ、というような、愚痴の形をしているもの。それから、テレビに映った俳優を見て、そういや彼ちょっと××に似てるよな、と言うような、どうでもいいことをきっかけにした話題。
こういうもの、全部他所から飛んでくる。私から発することはまずない。そこにいない人の話、基本しない。なんというか、その発想が出てこない。
結局は人との「どうでもいい会話」って、共感がベースという気がしている。情報伝達というよりは、共感しあってお互いの関係強度を上げている。そうすると、例えば天気なんかは共感できる期待値が高めなので代表的な「どうでもいい会話」になる。雑談に向かないといわれている話題が政治や野球だったりするのは、ここの期待値が低いから。共感できない話題をあえて選ぶのはリスキーだ。
共通の知人への感情という話題も、きっと共感への期待値が高めということになっているのだろう。○○さんっていつも黙ってるから何考えてるのかわからないわよね、とか、□□さんって美人よね、というようなことは食い違いにくいと、みんながなんとなく思っているということ。
ほんとに????と思う。私、人に対して全然何も考えてないけどな。良くも悪くも。
常日頃そういうことを考えていないので、話を振られてもうまいことノレない。特にネガティブな評価だと、えぇ~そうですかねぇ?とか、(あいつは生意気だ、みたいな話だと)や~元気が良いって感じですよね、とか少しずらした返事でお茶を濁しがちだ。
世の中の人々、みんな人に興味を持っていて偉い。人についてちゃんと意見を持っていて偉い。それを人に開陳したら共感してもらえると確信できるぐらい、周りのみんなを信頼していて偉い。
あたしゃ天気の話を常にするマンだよ。今日、寒かったですね。共感してよね。
今日はここまで。ありがとうございました。
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