見出し画像

きおく


このnoteは・・・


長谷川恒希の生まれてからのとりとめのない記憶の断片を集めています。
*随時更新されていきます。

75・付け合わせ

仕事と仕事の合間のわずかな時間に、腹が減った。どこかに食べに行くほどの意欲もないし、かといって家に帰って食べるのも嫌だった。家の冷蔵庫にはうどんしかない。いつものように長ネギを切って天かすを散らして食べるのも飽きて、実家の母に電話すると、なんでもよければあるよというので車で実家に向かった。
リビングに着くと、カレーライスが出てきた。
ルゥはレトルトで、ご飯は、冷凍のご飯がラップから外した丸い形のままで3つ乗っていた、そのひとつの上にルゥがかかっていて、一見したらそのご飯の塊はハンバーグに見えて、スプーンを入れると白く割れた。
本当にただそれだけのカレーライスでとにかくカロリーだけは取れるという、ひとり暮らしの男が食べるような飯だなと思って食べた。
ところが、もう少しで食べ終わるか食べ終わらないかのタイミングでバナナの入ったヨーグルトが出てきて、母親のやることだなと思った。


74・ばあちゃんの家のリフォーム

小学生の頃、ばあちゃんの家をリフォームした。
ばあちゃんの家はなぜばあちゃんの家と呼ぶのか、登記簿上はどう考えてもじいちゃんの家だが、じいちゃんの家を思い浮かべると「ばあちゃんの家」という言葉が先に立つ。
リフォームは、我が家の実家を建ててくれた大工さんの「にしおさん」という大工さんがやってくれた。うまく「にしお」という名前が聞き取れなかっただけなのか、それとも本当にそういうノリで呼ばれてたのかは未だにわからないが、僕や家族は「にっしょうさん」と呼んでいた。
リフォームは長期にわたったので、にっしょうさん率いる大工軍団は長い時間ばあちゃんの家で工事をしてくれた。我が家は両親が共働きだったので、僕も弟も学校以外の日中はほとんどばあちゃん家にいた。だから必然的ににっしょうさんとも長い時間を過ごした。
にっしょうさんは髪が太くてクルクルで、浜の男みたいに訛った喋り方をして、今まであった誰よりも綺麗でクリッとした目をしていた。
あけっぴろげな性格で、じいちゃんとばあちゃんにも、父と母にも、僕と弟にも、全く変わらない態度で話してくれてよく笑い、ゴツゴツした黒い手で白い煙草を吸っていた。
我が家はみんなにっしょうさんが大好きだったから、その日の作業が終わったらご飯を一緒に食べたりも何回もした。にっしょうさんはお年玉をくれたりもして、額は毎回5000円だった。よその人から毎年5000円も貰えることはあり得ない話なのだが、それをあまり不思議に思わないくらいに僕は子供だったということも言えるし、家族と同じような存在に思えるほど長谷川家に馴染み切っていたとも言える。にっしょうさんが直してくれた家はとても住みやすくなって、じいちゃんとばあちゃんはずっとそこに住んだし、2人が亡くなってからは、今は学校の先生が家族で借りて住んでいる。買い取りたいと言ってるらしいという話も聞いている。にっしょうさんが作ってくれた家は大人気だ。いま大人になって、にっしょうさんのように人と話したいと思うことが多くなった。浜や畑で働くおとなを見ていると思うことだけど、自然を相手にしている人たちの声の大きさとか、分け隔てない、ひとへの接し方の大きさとかが、とてつもなく真似し様もないことなんだと気づいてから、ばあちゃんの家をつくってくれたにっしょうさんのような人付き合いの仕方は、すごい。僕にはとてもできないから、せめてお芝居にして、真似てみたいなと思っている。


73・じいちゃんのホスピタリティ


小学生低学年の頃、夏休みだったと思う。
じいちゃんの家で遊んでいて、何もすることがなくなった。
じいちゃんにどこか連れてってと言うと、分かったと言って車を出してくれた。黙って乗っていると、港に着いた。
ここで何をするんだろうと思っていたら、カモメの大群が道路で休んでいるのを見つけた。それを見て、じいちゃんが僕の名前を呼んで、「よし、行くぞ」と言った。車がカモメの群れに向かって猛突進していった。カモメは車を簡単に躱して、バサバサバサと飛んで行って、別のところに降りて行って、また群れになった。そうしたら、またじいちゃんは無言で、そのカモメの群れに猛スピードで突っ込んだ。カモメはまたもやバサバサバサって飛んで行って、違う場所に降りて止まって、じいちゃんの車はまたカモメの群れに突っ込んでいってカモメがバサバサバサって飛んで行って別の場所に降りた。
じいちゃんは後部座席に乗っている僕を振り向きもせず、その反復運動を繰り返した。じいちゃんはその間一言も発しなかったけど、なぜか「どうだ?」と言っているのが伝わってきた。最初の内は微妙に楽しかったが、カモメの飛び去り方にバリエーションがあるわけでも、ジリジリと近寄ってからスピードを上げていくなど、じいちゃんのチェイスに工夫が見られたわけでもないので、すぐに飽きた。でも、じいちゃんが僕を楽しませようとしてくれているのも伝わってきたので、「飽きた」とは言えなかった。僕がじいちゃんの「どうだ?」を受信できたのと一緒で、じいちゃんも僕の「飽きた」を受信したんだと思う。「帰るか」と言ってじいちゃんはいつものじいちゃんに戻った。僕らに出会う前と出会った後のカモメ達の顔つきがどう変わっていったかは全然覚えていないけど、絶対に顔色に変化があったはずだよなと今は思うから、覚えておけばよかったと思う。



72・マイ・インパルス

いまでこそあまり現れることはないが、学生の頃、突然現れる衝動に抗えなくなるという現象が度々起こった。ふと思ったことを検証・実践してみなければ気が済まなくなってしまうのである。例えばこんなことがあった。
帰り道、バス停で自宅までのバスを待つ僕の前に、ギターケースを背負った男が立っていた。僕は背が高いので、ギターケースがちょうど目線の高さだった。ふと、ここに顎を載せてみたいと思ったのだ。つま先を立て、身体を少し前のめりにすれば、このギターケースに顎が乗せられる。十分に検証しうると思ったら衝動はどんどん高まってきた。なぜそんなことをしたくなるんだと言われても特に説明することはない。とにかくそう思ったのだ。思ったら行動は早い。じりっと半歩、彼に近づき、狙いを定める。つま先を少し立てれば高さは十分。親に貰った上背がある。残る調整は角度のみだ。少し前のめりになっただけで、僕の顎は完全に見知らぬ男のギターケースを捉えた。ゆっくり、確実に、僕の顎は真っ黒なギターケースに向かう。そして着陸した。ザラっとした感触が顎に伝わる。数秒程度ではあるが、暫し、その感触を楽しむ。衝動への検証と実践を終えた後の、言いようのない満足感を噛み締め、僕の顎がゆっくり彼のギターケースから離陸した。ありがとうございました。

71・ペッツ

犬を飼っていた。正確に言うと、東京に住んでいた頃実家のすぐ側にあったばあちゃんの家で飼っていた犬なので自分自身で飼っていたわけではない。
フレンチブルドッグの子犬で、帰省の度にあっという間にデカくなっていったので、子犬の見てくれでいたのはどれくらいの時間だったのか思い出せない程短い時間だった。
父はベッキーと名をつけたが、ばあちゃんはベッキーと上手く発音できず、「ペッツ」と呼んでいた。僕はベッキーよりもペッツという響きが好きで、僕とおばあちゃんだけがベッキーをペッツと呼んだ。
ペッツは僕の膝の上に座るのが好きで、膝の上に座ると100%、ズボン越しに膝を舐めた。ズボンは濡れるので最悪なのだが、なんだか好きなひと時だった。
好きなのに全然好きと言えなかった子と飲み歩いて帰ってきた夜中、飲み過ぎて気持ち悪くてリビングで寝転んだ。僕の帰宅に目を覚ましたペッツがノソノソと歩いてやって来て、寝転んだままの僕の膝の上に座った。
相も変わらずペッツは膝を舐めた。僕は膝を舐めるペッツのピンクのケツの穴を見ていた。相も変わらずペッツは膝を舐めてくれた。

70・裁判傍聴


昔付き合っていた彼女が、裁判の傍聴が好きだった。
面白そうと思ったので、僕も何度か付いていった。
裁判所に入ると、「今日の裁判」みたいな感じでお品書きが並んでいた。
沢山あってどの裁判を傍聴するかで揉めた。
僕はとある家庭裁判を観たかったのだが、彼女は刑事裁判が良いと一点張りだった。「家庭裁判は地味だからみても仕方がない。」というようなことを彼女が言った。前日(というかさっきまで)は朝まで飲み屋で仕事をしていたので、寝不足もあってその発言が身体に堪えた。
「なんで俺がみたい家庭裁判を馬鹿にするんだよ!」と言った。彼女も一歩も引かなかった。こんな状態で傍聴は出来ないと判断し、裁判所を出た。僕の方が早足ですたすたと、あてどもなく歩いた。どちらともなく先程の非礼を謝って、お昼ご飯を食べた。お腹がいっぱいになったら眠くなったけど、元気が湧いてきた。裁判所に戻って、彼女がみたがった刑事裁判の方をみた。内容は覚えていないけどマジで面白かった。大満足だった。


69・窓から風


小学生の頃、寝室の窓から入ってくる風が好きだった。日当たりがいい部屋だったから、休日の朝はよくその窓を開けた。
カーテンを開けると白いレースがあって、風にたなびいて、その様も小学生ながらに風流を感じた。とにかく気持ちが良かった。
窓の下には小さな土手があって、家の壁際には小石が敷いてあった。
小学生の低学年頃まで土曜日は午前授業があって、昼過ぎに帰ってきて、すぐに窓を開けて、まだ敷きっぱなしになっている布団の上に寝転んでゲームをするのが好きだった。ゲームをしていると母がご飯できたよと声をかけた。
母が作る炒飯にはウインナーが入っていて、細い輪切りだった。

68・ジャージの下にユニフォーム

小学4年生でサッカー部に入って、中学に入ってからもサッカー部に入った。先生に気に入られたのもあって、1年生からユニフォームを貰えた。大会の登録メンバーに入ったということだ。
試合に出て活躍したわけじゃないけど、それでもそれがすごく嬉しくて、私服として着たりしていた。私服と言うと大げさだけど、ジャージのインナーとして着てTSUTAYAに行ったりしていた。
それが先輩に見つかって、顧問の先生の耳に入った。
僕は「だって、もう貰えないかもしれないから」と言った。
先生は、「もらえるよ」とちょっと笑って言った。

67.お父さんとカレー

実家で父と二人暮らしをしていた頃、食事は僕が作った。
基本的に自分が好きなものを作ることが多かったけれど、一応二人で食べるものだし、栄養バランスも自分なりには気を遣った。
父はカレーが大好きで、僕もカレーが大好きなのでよく作った。
父はよく、「毎日カレーでもいいぞ」と言った。
父なりに、毎日献立を考えるのは大変だろうから、という意味で言ってるんだと思ったけど、貰ったお金で作っているし、そういうわけにもいかなかったから返事には窮した。
ある日、作ったカレーをふたりで食べていると、父が突然バナナを食べだした。まだカレーは半分以上皿に残っていた。僕は意味が分からなかった。
なぜこのタイミングでバナナを食べたのがわからなくて、でも理由は聞けず、食事は終わった。
部屋に戻って考えた、「美味しくなかったのか?」「それともなにかの暗喩か?」バナナを食べることでなにかメッセージを伝えようとしているのか?
眠れなくなり、12時前に父の部屋をノックし、「なんであんなタイミングでバナナを食べたんだ」と聞いた。
そしたら父は実にあっけらかんとした顔で、「昔TVで、カレーの隠し味にバナナを入れるといいと言っていたのを思い出した、けど、もう作っちゃったから仕方ない、口の中でバナナをカレーと混ぜてみようと思った」と言った。そうだったんだと僕は笑ったし、その後は眠った。

66.サムライ


小学生。サッカー部に入っていたので、練習にスポーツドリンクを持って行った。みんなも各々のスポーツドリンクを持ってきていた。
一番多かったのは、粉ポカリを溶かして、黄色いエネルゲンとかのドリンクボトルに入れてくる連中。
僕は、普通のペットボトルのポカリスエットだった。
次いで、ゲータレードのヤツがいたりした。もうなくなってしまったけど、サムライというスポーツドリンクがあって、それを持ってきてたやつがひとりいた。味が美味しいわけじゃなかったと思うけど、なんかかっこいいなと思っていた。人と違うのがカッコいいと思ってたわけじゃないと思うけど、サムライは明らかにかっこよかった。ペットボトルのポカリが一番ダサく見えた。サムライがカッコよかったというよりは、サムライを持って来るという行為がカッコよく見えた。サムライの彼は足が速くて、一軍で、ヘディングが得意だったけど、あんまりイケイケなタイプというより、どことなく少し陰があるヤツで、陰があるのにヘディングが上手いなんて変なんだけど、どうしてもそういうヤツだった。そして鍵っ子だった。


65・デンリュウ


小学生。
Mくんという転校生と仲が良かった。
Mくんは家の近くの見晴らしのいいマンションに住んでいて、よく家に遊びに来た。
その時は、ポケモンの金銀が流行っていて、いつも一緒にポケモンをやった。僕は金を持っていて、Mくんは銀を持っていた。
Mくんは転校していって、今ではどこでなにをしているのかわからない。
デンリュウという一番好きなポケモンに、Mくんの下の名前をつけていた。Mくんがそれを知っていたかはわからない。

64・見て見ぬふりできなかった雪かき


大雪の日だった。
雪かきが大嫌いだったが、仕事がなくて実家に寄生していたから、しぶしぶ家の前の雪かきをやった。汗だくになりながらひと段落させて、家に入ろうとしたときに、雪に足を取られて坂を登れなくなっている車が目に入った。
よせばいいのに、でも、目に入ってしまったから、このまま気づかないふりをして家に入ったら、罪悪感というか、そういうものに負ける気がして、本当に渋々助けに行った。完全に雪に埋まっていて、タイヤが浮いて、ひとりの力では到底助けられなくて、ひとしきり頑張った後観念して父を呼んだ。近所の人たちや、弟も手伝いに来て、大人7~8人がかりでなんとかその車を救出した。
その車の持ち主は女の人で、銭湯の役員だったから、銭湯の無料券を結構な数をくれた。行った事のない銭湯だったけど、それがキッカケで行きつけの銭湯になった。
滝のゾーンがあって、黄色く濁ったお湯が出てきて、温かかった。

63.元気か


小学生の時、一番仲の良かった友達は、中学校に上がってすぐ、遠くに引っ越してしまった。何気なく、彼が住んでいた家の近くを通ったら、懐かしくなって、今はだれが住んでいるのかもわからない、元の家だったかもわからないその家を見に行った。表札に「長谷川」と書かれていた。

62.家庭教師


大学生の頃、小学生の家庭教師をやった。
頭のいい子だったので、基本的なテキストをその日のノルマ分終わらせても時間が余ることが多かったので、「頭の体操だよ」と言って、大喜利をやらせた。のびたがどらえもんに向かって泣きながら「なにか道具を出してよ」と言っている絵で、どらえもんの発言が空白の吹き出しになっているという写真で一言系の大喜利だった。
「出来たよ」と言われ、見てみると「しょうがないなあ、はい、延長コード」と書いてあった。

61.エネルギーカード


小学生。ポケモンカードが流行っていた。ものすごいレアな、リザードンのカードをある日手に入れた。K島くんという友達がいて、K島君がリザードンを欲しがった。僕はリザードンをK島君のモルフォンという紫の蛾のカードと交換した。しばらくしてから、どう考えてもフェアな交換だとは思えなくて、平たく言えば後悔して、やっぱり返してくれと言った。
でもK島君は返さなかった。K島君は転校した。
ポケモンのカードは、技を出すときに、「エネルギーカードを~枚はがして捨てる」という記述があって、小学生だった自分はその意味がつかめず、毎回、カードをピリーッと本当にはがして、ゴミ箱に捨てた。

60・思い込み


美容室で、年末に、お客様今年も1年ありがとう的な催しで、お会計後にくじが引けた。
トイレットペーパーだった。トイレットペーパーは昨日買ったばかりだったから、トイレットペーパー沢山ある笑という意味で、「トイレットペーパー、昨日買っちゃったんですよ~笑」と言った。
店員さんから、ん?という顔で、新年は辰年だったから辰の絵が描かれたのを1ロール渡された。
無意識に、8ロール渡されると思い込んでいた。
8ロール貰える用のリアクションをしてしまった。

59・お悔やみの言葉

近所の神社で、どんど焼き(古くなったお守りやしめ縄などを燃やし、神様にお返しする)という行事があり、お手伝いをした。
2週間ほどかけて受付をし、神社に持ってきてもらったそれらを、お守りはコッチ、しめ縄はコッチ、と入れてもらう段ボールを指示していく。
ひとりのおばあさんが来て、このお守りはどっちの箱に入れたらいいの?と聞かれ、こっちですと答えた。
おばあさんは、病気平癒のお守りを段ボールに入れながら、「うちの旦那、このお守り貰ったのに、昨年死んじゃった」と言った。
そんなこと言われると思わなくて、なんて返せばいいか答えに窮した。「お悔やみ申し上げます。」というのもなんか違う気がして、でもなにか言わないとと思って迷った末に、「あらららら」と言った。おばあさんは何も言わなかった。
正解が何だったかはわからないけど、間違っていることだけはわかった。

58・「拭きましたよ!!!」


お腹が痛く、駅の個室トイレへ駆け込むと、汚れていた。
汚れていたなんてものじゃなかった。
大便が大きく便器からはみ出し、尿もまき散らされていた。
鼻をつまみながら用を足し、出ようと思ったけど、自分が汚くしたと思われるのも癪で、頑張って拭いた。完璧には綺麗にならないけど、それでも出来る限り拭いた。
個室を出ると、掃除のおばちゃんがその個室を覗き見て、
「あんた、拭いたの?!」と言った。
僕は「拭きましたよ!」と顔を真っ赤にして個室を出た。
お尻を拭いたかどうかを聞いてるんじゃなかったと気づくまでに時間がかかった。

57.さんまの小骨


歯医者へ行くのが嫌だった。
歯を削られる音が嫌だったし、ちっちゃな紙コップでうがいをするのも嫌だった。口の中の血が真っ白いうがい場に流れていくのも気味が悪かった。
ばあちゃんは歯医者の帰りに毎回、機関車トーマスのおもちゃを買ってくれた。さんまの小骨が喉に刺さって取れなくなったことがあった。やっぱり歯医者へ行った。歯を削ったわけでも口から血が出たわけでもなかったけど、やっぱりこの日もばあちゃんは機関車トーマスのおもちゃを買ってくれた。
口の中が、痛み止めのシロップで甘かった。

56・ハムスターの居所


小学生。
ハムスターが脱走した。
おばあちゃんの家で飼っていたハムスターを、今日は外泊だと言って実家に連れてきた。散歩させているといつの間にか姿が見えなくなった。大パニックになった。家族も総出で探してくれた。
オーブンの排気口?みたいな空洞の中にいた。父が発見したと思う。
父はヒマワリの種を排気口の入り口に置くと、ハムスターが少し黒くなって出てきた。
ケージに戻して、ケージは枕元に置いて寝た。
夜中中、カラカラカラカラと回し車の音が聞こえた。今日一日もなんにも変わったことがなかったような顔で、ハムスターは走った。

55・プレミアムモルツ

好きだった子に告白してフラれた。
フラれてだいぶ経ってから、酔っぱらって電話をかけて(最悪)、今何してるのと聞くと「彼氏といる」と返ってきた。
あ、そう、ごめんねと言って電話を切った。隣の後輩にそのことを話したら「ダセエ~」と言って笑った。すごくいい笑顔だった。
その後そいつの家に行って、スーパーで安くなった寿司を食べて、ビールを飲んだ。そいつと飲むときはプレミアムモルツと決まっていた。今ではプレミアムモルツは好きでなくなった。後輩の家の毛布にくるまって寝ると、いつも目が痒くなった。埃だと思う。

54・I’m HAEGAWA


小学生。ローマ字の授業があった。
HASEGAWAと書いたつもりになったのだけど、Sが抜けて、HAEGAWAと書いてしまった。そのことを担任がみんなの前で発表した。
「ハエガワになってますよ。汚いね。」
みんなが笑って、そこから、”ハエ”というあだ名をつけられた。
その先生はよくサンバイザーをつけていて、晴れの日なのに長靴を履いて登校して来たりしていた。お花が大好きな先生だった。

53・大学の警備員


大学。
Sさんという背の小さな警備員がいて、調子のいい人だったから、登下校のときにちょこちょこ話したりしている内に、仲良くなった。
Sさんは色が黒くて歯が少し小さくて、歯も黒かった。
仲良くなって、こっちも調子に乗って、なんて言ったか忘れてしまったけど、いじったら、Sさんは少し怒ったような声を出した。
謝ることも出来ず、なんとなくそのままSさんとは喋らなくなってしまった。その内3年生になって、通うキャンパスが変わって、会わなくなった。

52・待ち時間のルービックキューブ


高円寺に住んでいた頃、薔薇(ローズ)亭という、多分夫婦でやってる洋食屋があった。
店内のルールがすごく厳しくて、全部は覚えていないけど、カバンを空いている椅子に置かないとか、食べ終わった食器の上にティッシュを入れないとか、そういうのがいっぱいあって、店内に張り紙されていた。守れない人たちは怒られていた。
ご飯は結構量が多くて、旦那と思われる料理人は向こうを向いて調理しているからあんまり顔が見えなかった。
奥さんが、何故か料理が出てくるまでの間の暇つぶしに、ルービックキューブをやらせてくれた。ご飯が到着したからルービックキューブを止めた。
カニクリームコロッケ定食を食べたと思う。
食べ終わって、椅子を引いて立ち上がって、奥に戻したら、褒められた。
ルービックキューブは1面だけ完成させた。1面だけなら完成させられる。

51・決意の朝に


友達たちとカラオケに行った。
今日これを歌おうと決めていた曲を、友達が先に歌った。
僕も歌いたかったから悔しくて、でももう一回同じ曲を歌う理由をつけないといけない気がしたので、どっちが点数高いか勝負しようと言って、デンモクに入れたら、先に歌った友達が、「いいよ(そういうの)」と言った。
そのメンバーの中で二番目に嫌いな背の高い髪の毛がゴワゴワのヤツだけが「いいねいいね」と言った。

50・僕に足りないものは何ですか?


中学生。
サッカー部に入っていた。数学の先生がサッカー部の先生だったので、家庭学習(自主的に勉強してきたノート)を提出するついでに、サッカーに関する質問をしていた。
図を書いて、こういうシチュエーションの時はどういうプレーをするべきですか?とか、どうやったら~の技術が上手くなりますか?とか書くと、先生は赤ペンでそれに対するコメントをしてくれた。
ある日、「僕に一番足りないものはなんですか?」という質問をした。
一言だけ、「自信!」と書いてあった。

49・Mさんとの漫才


Mさんという人と、コンビを組んで、漫才をしていた時期がある。
僕はそのころサラリーマンだったから、会社が休みの火曜日とか水曜日に、エントリー費を払えばだれでも出られるフリーのお笑いライブに出た。
カラオケとかファミレスで、即興というか、喋りたいことを僕が出し、Mさんがそれにツッコむ約束をして、ライブに出た。
どんな内容だったかは忘れたけど、娘が出来たらどんな内容の習い事をさせたいかとか、そんな内容のネタが一本あった。
Mさんは、サスケというスポーツ番組に出ていた元消防士で、ものすごい単発で、うっすら茶髪の関西弁の人だった。よく笑う人で、僕をすごく面白いと言ってくれた。
ライブに出て行くうちに、少しずつ結果が出るようになっていって、ある日、準優勝することが出来た。
お客さんの投票で順位が決まるライブで、優勝のコンビと同率で一位だったのだが、僕らの方が持ち時間をオーバーしたという理由で、二位になった。
一位のコンビの片方とMさんは昔コンビを組んでいて、「今日は、新旧コンビでワンツーフィニッシュのいい日だ」と言って上機嫌だった。
ライブ帰りの僕らに、「めちゃくちゃ面白かったです。明日からまた仕事頑張れます」と声をかけてきた女の子二人組に出会った。
そんな楽しい時間が続いて、ひょんなことから、テレビに出ることになった。Mさんと一緒ではなかった。
Mさんと漫才をするのは楽しい時間だったけど、このまま続けるのもなにか違う気がして、Mさんとはコンビを解散することになった。その話は僕からした。Mさんはそれを受け入れた。
僕はその後テレビの仕事や、営業の仕事がいくつか入ったけど、やりたいこととは離れていて、悩んでいた。
Mさんに話を聞いてほしくて、メールしたら、その時住んでいた吉祥寺まで来てくれて、居酒屋でお酒を飲んで、焼き鳥を食べた。Mさんは自転車で来た。色々話を聞いてくれて、僕は嬉しくて、「これからも末永く宜しくお願いします」と言った。
Mさんは、その言葉をコンビの再結成としてとらえた。僕はそういう意味で言ったわけではなかった。誤解が生まれていることに気付かず、時間が経った。ちゃんと話をしようと思って、高田馬場のガストにMさんを呼んで話した。いつもニコニコしているMさんが全然笑わなくて、がっかりしていたし、怒ってもいた。自分ばかり仕事を決めて、コンビである自分の名前を出してもくれない、現場に呼んでもくれない、自分勝手だ、と言った。そんなんじゃ人としてもダメだ、というようなことを言った。
とにかく、ごめんなさいと言うしかなかった。Mさんは諦めたようにその場を立った。それから一切の連絡を取っていない。
Mさんは、知り合ってから何か月後かに、自分の本当の名前はMじゃないんだと言った。意味が分からなくて、どういうことかと聞くと、芸名みたいなものだと言った。

48・髪の毛をかっこよくしたかった。


中学生。
髪の毛をかっこよくしたかった。だから、髪の毛を立てていた。ワックスを使うとバレるし怒られるから、ドライヤーで癖をつけて、立てていた。
でもそれでもある日担任の先生に怒られて、給食の時間にみんなで席をくっつけて食べてるときに、自分の立った髪の毛を必死に手でつぶして寝かせていた。クラスメイト達は、多分「どうしたの?」という顔をしていたんだと思う。それを見ていた先生が、僕に聞こえるか聞こえないかの声で「真面目だな」と言った。

47・ネイマールのPK


釧路に帰ってきてからは、外出自粛要請もあって、やることがなかった。身体もなまるから、廃校になってしまった母校のグラウンドまで散歩してみたら、汚れた水色の、空気が抜けてぶよぶよになったボールが落ちていた。ネットが外れて骨だけになった形だけのゴールに向かって、ネイマールのPKの蹴り方の練習をした。
ネットがないから、ボールはゴールを突き抜けて、ゴールの向こうの上り坂を転がって行ってしまって、いちいちボールを取りに行かなければいけなかった。ボールを取って坂を下りたところに排水路があって、四角い枠の排水溝が排水路と地面との間にかかっていた。がっちりハマっていると思って踏むと、経年劣化でところどころガコンって外れて脚を踏み外して、足の皮が擦り剝けて、血が出たりした。
そしてまたネイマールのPkの蹴り方でゴールを突き抜けたボールを上り坂の上まで取りに行って、今度は足を踏み外さないようにゆっくり排水溝に足をかけてを繰り返した。それでも、やっぱり何回かは排水溝の枠がずれて、足を擦りむいた。これが毎日の日課になった。
段々ネイマールの蹴り方に近づいてきたころ、グラウンドに行くと、水色のぶよぶよのボールは無くなっていた。

46・老人ホームの厨房


東京から釧路へUターンして、ほどなくコロナウイルスが大流行した。
仕事が出来なくなって、生活に困った。
運よく、老人ホームの厨房で働けることになった。朝の3時半とかに起きて、4時過ぎに出勤。お昼くらいまでのバイトだった。
厨房で、調理師さんが作ったご飯を、カートに詰めていく。
カートは、キャスターがついていて、両面に扉がついている。
扉を開けると利用者全員のご飯が入るように一枚ずつお盆が差し込めるようになっていて、そこに順序良く、一品ずつ詰めていく。全員が同じものを食べる訳ではなく、利用者の健康状態やアレルギー、食の好みによって微妙にメニューや調理状態が違うものを入れていく。
白米を食べない人、でも炊き込みご飯なら食べる人、いつもはパンだけど、納豆が出る日は白米を食べる人、柔らかめの白米がいい人、ミキサー食じゃなきゃダメな人。全ての料理(デザートも!)を温めてからじゃないと食べない人。かなり沢山のパターンがあって、これに加えてアレルギーがある食べ物をチェックし、そのアレルギーに触れるものがあれば、代替のメニューが用意されているので、それをすべて自分で確認して、どんどん出される料理をカートに詰めていく。並べる位置や順番もきっちり決まっている。時間との勝負なのでかなりの手際が要求される。当然、調理師は基本的に人数分の料理を全ての事情に合わせて用意していくので、こちらが判断を間違えると、料理が足りないor余るという状況に陥る。「~が1皿分足りないんですけど・・」と思ったときには、基本的にこちらがどこかで間違ったものを間違った場所に詰めている。約50人分のトレイを確認して、どこに間違ったものが入ってしまったかを確認するのは、入りたてでは極めて困難だった。
これを朝、昼と繰り返すのが一日の仕事なのだが、朝と昼とではカートの中のお盆の位置が変わる。”1番上のお盆は~さんだからこれが食べられない”が通用しない。このプレートの並べ替えも自分の仕事だった。
とにかくすべての作業があっという間に進行し、メモを取るヒマもない。
上司はよく、「この前も言ったよね」と言った。この前も聞いたのは自分もよくわかっていた。東京で仕事があったので、4日ほど仕事を休むことになった。「すいません、ご迷惑おかけします。」と言うと、上司は「そんなに休むの・・俺そんなに休んだことないよ・・」と、そんなこと言われても返しようのないことを言った。なんでそんなこと言うんだろう、おかしいよと思ったが、すぐに「そんなことを言わせる会社の環境の方がおかしい」と思った。上司は明らかに疲れていた。いつか、銭湯で頭を洗っている最中の上司を見かけた。小柄な人だったけど、職場で見るよりも小さく見えた。

45・I君が壁を殴る音


中学生。
I君というクラスメイトがいた。I君とは仲がいいわけでも悪いわけでもなかった。I君には隣のクラスに彼女がいた。その子とは話したこともないし、きっと今その子に僕の名前を伝えても覚えていないと思う。それくらいなんの接点もなかった。I君は目が大きくて色が白くて、髪の毛がツンツンしていた。彼女も色が白くて、背が高かった。
I君と彼女はラブラブだったので、授業と授業の合間に廊下でいつも話をしていた。時折、廊下で、壁を殴る音が聞こえることがあった。内容はわからないけど、I君が壁を殴る音だった。その隣には彼女がいた。その内、壁を殴る音が聞こえても、「またか」と思うようになった。
また別のクラスの、一度も話したことのない子が、「昨日ついにお尻の穴でやっちゃった」と、恥ずかしげもなく大きな声で話していた。
みんな寂しかったのかもしれない。
その内、I君と彼女は廊下で会わなくなったし、壁を殴る音は聞こえなくなった。

44・はっせらしいシュート


小学生。
Kくんという、同じクラスの友達と一番仲が良かった。
K君は他のクラスメイトと同様、僕を”はっせ”と呼んだ。
彼はみんなから好かれていたけど、それでも僕と遊んでいる時間が一番長かったと思う。お互いサッカーが好きだったので、学校から帰るとすぐにグラウンドに集合してサッカーをやった。
僕がシュートを打って、K君はいつもキーパーをやった。
ある日、僕は、思い切りシュートを打ったりしないで、フライ系のゆるいシュートばかりをK君の守るゴールに向かって打った。別に特段理由があったわけではない。K君は物足りなそうに、でも別に責めるわけではなく、「はっせらしくない!」と言った。今、はっせらしいシュートとはなにかと考えている。

43・形あるものは


小学生。
母が出張でカナダへ行った。メープルの形の瓶に入ったシロップとか、
お土産を買ってきた。自分が貰ったものは覚えていないけど、弟はカエルのおもちゃを貰っていた。緑色だったから多分そうだと思う。
ある日、喧嘩になって、そのおもちゃを床にたたきつけて壊してしまった。
壊してしまったというか、壊すことが目的だったと思う。
弟は泣き、お母さんには怒られたと思うが、お母さんは「形あるものはいつか壊れるからね。」と言った。弟はミスタードーナツへ行くとフレンチクルーラーばかり買ってもらっていた。

42・母の助言


大学生。
就活は、3社くらいしか受けなかった。
一社目は外車の営業だったんだけど、グループ面接が苦手だったので普通に落ちた。自分の好きなものを私たちにPRしてくださいと言われて、その当時ドはまりしていたプリズンブレイクの話をした。全然うまくプレゼンできなくて、普通に落ちた。プリズンブレイクにも申し訳なく思った。
2社目は分譲マンションの管理の仕事だったんだけど、最終面接まで進むことが決まったとき、最終面接に受かったら絶対に御社に行きますと威勢よく返事をした。
でも同時で並行した会社があって、面接が進むにつれこっちに行きたい気持ちが強くなってきて悩んだ。母に相談すると、「行きたい方に行けばいい」と言った。「でも、2社目の方に、受かったら御社に行きます」って言っちゃったしと言うと「いいの、その時はそう思ったんだからね」と言った。
その言葉で、3社目の会社に入社することに決めて、実際すごくいい会社だった。2社目は普通に落ちた。

41・ジャックダニエル


すごくつらいことがあって、コンビニで買った、小瓶のウイスキーを、ストレートで飲んで、フラフラになりながら家に帰った。
家の近くのベンチに、目つきの悪い男が座っていて、睨まれているような気がした。本当に良くないんだけど、そいつに見えるように、そいつの近くに唾を吐いた。そうしたら、そいつは怒って、家までついてきた。
おいてめえこっち来いよ、とか、なんなんだよ、とかなんとか言われて、最初は無視してたんだけど、エントランスの近くまで来てしまったから、そいつの方を向いて喋った。というより、自分から喧嘩を売ったくせに本当に情けない話だが、謝った。ごめんね、二日前こんなことがあって本当につらくて、それでこんなの飲んでたら気が大きくなって、八つ当たりしてしまった。と言ってウイスキーの小瓶を見せた。そうしたらその男は、「そんなことがあったのか。てか、ジャックダニエルが好きな奴に悪いヤツはいねえよ」と言って、エントランスの前で、その、目つきの悪いガラの悪い男と話すことになった。伏せられたから全然詳しくはわからないけど、怖い組織で粗相して、追われてて、俺も今辛いんだというようなことを言っていた。
怖い組織ってなんだとは聞かなかった。話していたらなんか、話せてよかったという気になって、電話番号を交換した。いつかかけようかけようと思って、6年が過ぎた。電話帳のどれが彼の名前だったかも思い出せなくなった。

40・ゴールデン街


社会人。
ゴールデン街という新宿の街でよく飲んだ。ゴールデン街で飲むときはだいたいひとりだった。ひとりで入って、店の人と話したり、お客さんと話したりした。仕事が本当にきつかった時期だったから、毎週一回、ゴールデン街で飲むのが楽しみだった。夜の6時に着いて、朝の6時に帰った。
よく行っていたお店はカウンターだけしかなくて、薄暗かった。入口のところに水槽があって、なんの魚がいたか忘れた。
クリスティアーノ・ロナウドの生まれ故郷の島のワインがいつもあって、おススメされた。飲んだような気もするし飲んでないような気もする。マデイラ島という島だった。ちっちゃなキャンドルがカウンターの上にいくつかあった。レモンサワーの作り方は、焼酎じゃなくてウォッカベースだった。
ある日、お店の周年で調子に乗ってシャンパンを入れた。若い男の子(僕も若かったんだけど)がいて、その子にも一杯どうぞと勧めた。その子は、フリーターだと言って、いい歳になってバイトだけしていて、恥ずかしいというようなことを言った。周りの人はフォローしてたんだけど、なんかそれも含めてむかついてしまって、「フリーターで恥ずかしいって思ってることの方が恥ずかしいけどね、堂々とすればいいじゃん」と言った。
男の子は露骨に不機嫌な顔をして、喋らなくなって、僕もそういうことを言った事を店の人に窘められた。
その子は帰ることになって、帰りがけに、僕は「おやすみなさい」と言った。その子は何も返事をせずに出て行った。
その後で、お店の人に「いいからそんなこと言わなくて」と言われた。
煮干しラーメン凪へ行って、お腹を一杯にして帰った。

39・Yさんの守護霊


社会人。
Yさんという先輩がいた。Yさんは社会人ではあまり使わない、冷蔵庫みたいなつるつるの素材でできたリュックを背負って出勤してくる人だった。
目が細くて、くせ毛で、ちょっとぽっちゃりしていた。喋りが上手くて、優しい先輩だった。
Yさんから、Yさんの元カノは霊が見える人で、というより守護霊が見える人だと聞いた。Yさんの元カノの守護霊は、真っ白いキツネだそうだった。
それも二匹。私の守護霊は二匹の真っ白いキツネ。ということだった。
Yさんは、「俺のも見える?」と聞くと、Yさんの元カノは、「えっと、緑色の小っちゃい虫なんだけど、名前何て言うんだっけ。カナブンだ!カナブンが、三匹、スクラムを組むみたいな感じで、三匹肩を組んでる」。と言った。
後日、Yさんと元カノは、電車に乗って、ちょっと遠い街の焼肉を食べに行ったそうだ。電車内で、元カノが、ソワソワしだしたので、Yさんがどうしたのと聞くと、「なんかヤバイ。ヤバいのいる。多分あの人。」と目の前に、がっくりうな垂れながら座っている一人の男を顎で指した。
真っ黒いオーラというか靄が丸くかかっていて、すると、その靄が、Yさんの元カノの方に向かって飛んできたと思ったら、靄が刃の形に変わって切り付けてきた。そうしたら、元カノの守護霊の真っ白いキツネが、身代わりになって、死んじゃって、でもまだ真っ黒い靄が切りつけてきて、真っ白いもう一匹のキツネはびっくりしちゃって元カノを助けに行けなかった。
そしたら、Yさんの肩に乗ってたカナブンが立ちはだかって、元カノを守った。でも、やっぱりそのカナブンは真っ黒靄に切りつけられて一匹死んでしまった。そこで、その男が電車から降りて行った。同時に靄も消えた。
カナブンを死なせてしまったショックで落ち込んでいるYさんに元カノは、本人の精神状態は守護霊にもダイレクトに影響する。だから、守ってくれたことに感謝して、切り替えて楽しもうよと言った。Yさんもそうだねと言った。
目当ての焼肉屋に行って、美味しい焼肉を食べていたら、気分も上がってきた。美味しい美味しいと食べていると、さっきから元カノがずっと自分を見てるなと気づいて、「どうしたの?」と聞いた。元カノが「Yのカナブン、めっちゃ喜んでる」と言った。

38・ゲームボーイの中に住む虫


小学生。
弟は虫取りが大好きだった。いろんな珍しい虫の名前や体つきを知っていた。弟はゲームボーイカラーで、虫取りのゲームをやっていた。
捕まえるたびに、ゲームの中の図鑑がコンプリートされていくようなタイプのゲームで、だいぶ沢山捕まえているようだった。
ある日、弟が泣きそうな声を出した。ゲームのセーブデータが全て飛んで、虫が全部消えてしまったと言った。落ち込んでいたので、何かしたいと思って、ゲームボーイ本体からカセットを取り出して、コンクリートの地面に叩きつけた。ゲームボーイ本体に再度入れると、セーブデータが復活していた。図鑑は虫でパンパンだった。


37・じいちゃんの部屋


小学生。
じいちゃんの部屋には、ベッドがあって、煙草の匂いがした。じいちゃんの部屋に遊びに行くときには、そのベッドの上へ腰かけて、じいちゃんと話したり、意味もなくクローゼットの中を開けて覗いたりした。
じいちゃんは絵が上手かった。近所の絵画の教室に通っていた。
水彩画だった。描きかけの絵があったりした。ある日、ベッドの上でじいちゃんと話していると、なぜか真上の蛍光灯が落ちてきた。そのままいくと、蛍光灯は僕の頭の上に落ちてくるはずだった。じいちゃんはじいちゃんだから、あんまり機敏には動けないはずだったけど、ものすごい反射神経でその蛍光灯を払い落してくれて、頭の上には落ちてこずに済んだ。

36・コミュニケーションがうまくとれない


大学生。フットサルサークルの体験に、友達数人で行くことになった。
知っている友達と、知らない人(友達の友達)がいた。
変わった名前の女の子がいた。可愛い子だったし、身の回りではちょっと有名な子だったので、喋ったことはないけど名前を知っていた。
友達から、この子は~ちゃんです。と紹介されて、つい反射的に「知ってる。」と答えてしまった。その子は「知ってるって・・(なに)」と言い、空気が少し淀んだ。二の句は継げなくて、話題は次の友達の自己紹介に移った。

35・誰も聞かない大号令


小学生。
休み時間や放課後に、仲のいい男子でバスケをするのが流行っていた。
みんな熱心だったので、結構本気でやっていた。
段々熱がこもってきて、ボールを奪うと、「(前線に)上がれ~!」と大号令をかけたりしていた。そういうのが気持ちよかった。
体育の授業でバスケをやることがあった。
女子の人数が足りないとかで、急遽僕がひとりで女子のチームに入ることがあった。ボールを奪って、「上がれ~!」と大きな声を張り上げた。
女子は上がらなかった。どうしたの?というような空気が漂った。
その後は、ボールを奪った後「上がれ~!」というのをやめた。


34・歯磨き


小学生。歯を磨くのが嫌いでいつもサボった。
歯磨き用の洗面所は、リビングから遠い場所で、1階降りたところにあった。弟と一緒に降りて、磨きにいく振りをしに行っていた。
上から、お父さんかお母さんが、ちゃんと磨いてるか~?と聞いて来た。
磨いてるよ~と言って、水道を出しっぱなしにしてカモフラージュした。
シャカシャカ音を立てないと意味がないということには気づけなかった。
去年の夏、10数年ぶりに歯医者に行ったら、虫歯が16本ありますと言われた。


33・にっしょうさん


小学生。家を建ててくれた大工さんと家族ぐるみでなかよくなった。
にしおさんという人なのだが、うまく発音が呑み込めなくて「にっしょうさん」と呼んでいたしそういう苗字なのだと思い込んでいた。
眉毛も声も太くて、色が黒く、髪の毛はチリチリしていた。
目はクリンとしていて、いつもニコニコして、みんなにっしょうさんが好きだった。家で一緒にご飯を食べたりもした。お年玉もくれた。いつも5000円もくれた。ポチ袋に入れてあって、四つ折りだった。
にっしょうさんの息子が、何度もライブを見に来てくれている。


32・髪を染めた


高校生。
大学に入学が決まって、高校生最後の春休みに初めて髪を染めた。レベル6くらいの茶色にした気がする。半端と言えば半端な色で、最初だからあんまり強い明るい色にしなかった。もともと地毛が少し明るかったんだけど、それでもやっぱり染めたのは分かる程度に明るくなった。
おばあちゃんの家で、髪の色の話になって、こうちゃん(ばあちゃんは僕をそうやって呼んでいた)は髪を染めたりしないかと言った。
「染めたよ。」と、どう思って欲しいか自分でも決まってないような、髪色と同じように半端な声でそう言った。ばあちゃんは少しだけ残念そうに「そうなの」と言った。じいちゃんは黙ってテレビを見ていた。じいちゃんはなぜかおじゃる丸で爆笑する人だった。


31・緑の部屋


小学生。
冬になると、よくミニスキーを履いて、お父さんと弟と、近くのセブンイレブンに買い物に行くのが楽しみだった。お菓子とかアイスとかを買ってもらった。通り道に、もう使われていない建物があって、2階の窓が見えた。
誰もいないはずなのに、その部屋は緑色に光っていた。
お父さんに「なんであの部屋は緑色なの」と聞いても、お父さんもわからない様子だったから、非常灯の灯りでもなさそうだった。
その窓から見える緑はすごく気になった。同時にすごく怖かった。
あの部屋にワープして、ひとりで閉じ込められる妄想をして、体が震えたりした。その建物は気づいたら無くなっていた。
セブンイレブンもだいぶ前になくなって、今はその建物でコーヒー豆とかが買えるようになっている。入ったことはないからわからないけど、お菓子もアイスもないと思う。


30・昆布のおにぎり


小学生。
家の近くにいる友達が、ゲームを山のように持っていたので、よく遊びに行った。お父さんが個人タクシーの運転手で、その家の小さな駐車場にはそのタクシー1台分のスペースしかなかった。お父さんがゲーム好きで、本の山のような感じで、ゲームの山だった。ゲームが本のように積まれていた。
ゲームの攻略本もあったので、本も山のように積まれていた。
それから、彼の家だけでしか嗅げないにおいのする家だった。
ある日、弟をその友達の家に連れて行った。
弟は、お腹が減ったと言って、友達のお母さんが昆布のおにぎりを作ってくれた。弟はそれを2,3口食べて、残した。
そして1時間くらいして、またお腹が減ったと言った。
友達のお母さんが「さっきの昆布のおにぎり食べな」と言った。
弟は食べるとも食べないとも言わなかった。僕はどうしていいかわからなくて、黙ってゲームをしていた。


29・ドッヂボール


小学生。
ある日、学校から帰って、従兄の家でスーパーファミコンのドッヂボールのゲームをやった。
これがすごく楽しかったので、その翌日、学校の朝の会でその話をした。
その後、他のクラスメイトからの報告で、僕が昨日の掃除当番を忘れて帰ってしまったことが明るみに出た。先生が「ドッヂボールなんてやってる場合じゃなかったね」と言った。


28・知る人ぞ知る英語塾


高校生の頃、英語塾へ通っていた。メインの受験科目は英語だけだったので、父が、近所で知る人ぞ知る評判の小さな小さな英語塾を教えてくれて、そこに通った。教室はすごく狭くて、おじいちゃん先生ひとりと、僕と、もう一人女の子がいるだけだった。
先生特製のプリントをぎっしり渡され、それをひたすら解いていく、解説してもらうというような授業方式だった。
オバマ大統領の演説原稿を訳したりした。
すごくいい授業内容だったし、量がすごかったので、すごく力が付いた。
結果、ふたりとも志望校に合格して、先生がすごく喜んでくれて、食事に連れて行ってくれた。何を食べたかは覚えていない。
大学に入学してからはほとんど連絡も取らなくなり、その間に亡くなってしまった。人伝いでそう聞いた。そのころは外交官になりたかったので、英語を活かして活躍する僕の将来を楽しみにしてくれていた。
全くそのようなルートからは外れてしまっているから、天国でどう見てくれているのかはわからない。でも、Yes,We can.というようなことを思った。


27・ありがとうございました


高校生の頃、声が高い英語の先生がいて、生徒からバカにされていた。
僕も陰で、特段意味もなくバカにしていた。
英検や受験勉強のときは、ものすごく力になってくれて、その先生のお陰で英検2級を取れたりした。受験勉強でもすごくお世話になった。
大分前に、ご病気で亡くなってしまった。若い先生だったから、亡くなるのには早かった。担任の先生が、Facebookで追悼の投稿をしていた。


26・ジラルディーノとおじさん


高校生。
叔父さんが家に来て、朝のニュースでアテネオリンピックの昨日のハイライトを見ていた。サッカー日本代表がイタリア代表にボコボコにされていた。
叔父さんは、スルスルと突破される日本代表のDFラインに「あ~あ何やってんだよ~」とため息交じりで言った。
叔父さんは野球部だった。
その試合で大活躍していたイタリア代表のジラルディーノは大会のベストゴールレベルのオーバーヘッドでゴールを決め、A代表ではあまり活躍できず、いつの間にか消えていった。


25・裏声の出し方


高校生。背の大きい友達がいた。
学校の近くの団地に住んでいて、お母さんと二人暮らしだった。
なんでお父さんは一緒にいなかったのかは聞かなかったのか聞けなかったのか覚えていない。
歌が好きで、よく風呂で大声で歌ってるんだと聞かせてくれた。
HOME MADE家族が好きだった。ラップが好きだったのかもしれない。そのとき僕が聞いていたラップのことを話したら、そのアーティストはダメだというようなことを言われた。
よく一緒にカラオケも行くような仲だったので、裏声の出し方を教えてくれたりした。裏声の出し方がよくわからなかった。なぜか、吐く息でなくて吸気で出そうとしていた。彼の家で、「今度ゆっくり教えてよ」と言うと「今、やってみ!」と言われた。裏声を出せないと思われるのがなんか恥ずかしくて、「今はいいよ」と言った。

24・単語カードにペニス


高校生。
通っていた高校からは普通選ばないであろう大学に進学したかったから、ものすごく勉強した。学校をサボって勉強していた。
英語と小論文の2科目の特殊な受験方式だったから、英語を落とすわけにはいかなかった。
単語カードを作って学校でもいつもめくって勉強していた。
休み時間、トイレを出て席に戻ると、僕をいじめていたクラスメイトが僕の席に座り、単語カードにペニス等の落書きをしていた。
こっちもいら立ってしまって、「汚い手で触んな」と胸を小突いた。
そうしたら、怒ってしまって、胸倉を捕まれ、教室の奥の壁に突き飛ばされた。そいつの彼女が近寄ってきて、仲裁してくれた。
その子に「ごめんね」と言われて、「うん」とかなんとか言った気がする。
その子は、2年前に、メールで好きですと告白して、振られた子だった。


23・プール


小学生。学校でたまにプールの授業があった。
学校の中にあるわけではなく、市民プールまで歩いていく。
プールが大嫌いだったので、すごく憂鬱だった。
塩素のにおいも嫌だった。上がった後の更衣室もすごく寒かった。
目を洗う用の水道も、見慣れなくて、怖かった。
友達に、耳が悪くて器具?を耳に入れているためプールにはあまり入らない友達がいた。でも彼は運動がすごく得意だった。


22・捨てても捨てても


UFOキャッチャーが得意だった。
技術というより、店員さんに話しかけて、取りやすい位置に移動してもらったりするというところまでを含めて、得意だった。
家には結構沢山のぬいぐるみがあった。
邪魔になって来た頃、捨てるのもなと思って、ひらめいた。
近所の家を回って、玄関の前にぬいぐるみを置いた。
次の日、ゴミ捨て場に捨ててあった。
それを拾って、また玄関の前に置いた。何度捨てても・・というやつをやりたかった。ごめんなさい。


21・「気が利くね」


小学生。道外に居る従兄のお母さんが遊びに来た時、テーブルで誰かが水をこぼした。近くにティッシュがあったので、何気なく拭いた。
「気が利くね」と褒められた。それがいやに嬉しかった。
褒められると思っていない時に褒められると嬉しいのかもしれない。


20・お父さんの怒り


小学4年生。テストの点数が悪くて、お父さんが帰ってくるまでばあちゃんの家で待っていた僕は、お父さんに怒られると思ってソワソワしていた。
帰ってきたお父さんに、「これからは勉強するから問題集を買いたい」と言った。反撃むなしく、怒られた。でもそれは、テストの点数に対してなのか、その場しのぎの言葉に対してなのかわからない。


19・たくやくんとゆうくん


小学生。
たくやくんとゆうくんという、双子の転校生がいた。
ふたりとは大の仲良しで、たくさん遊んだ。
ゲームが大好きだった。ふたりの家は遠かったので、ふたりが家に来ることが多かった。彼らからすればこっちの家が遠かったと思う。
ゲームキューブのスマブラをやった。ぼくはファルコンを使っていて、たくやくんはカービィだった。ゆうくんは忘れた。
突如、転校することになって、僕はクラスメイト代表で、お別れの手紙をみんなの前で読むことになった。
読んでいたら泣けてきて、みんなが少しざわついた。それが気に入らなくて、「聞け!」と怒鳴ってしまった。でも、聞いてほしかったわけではなかったように思う。


18・AM11:00のラップ部分


中学校の卒業間近。男女でカラオケに行くことになった。
なぜか、中学生だけでカラオケに行ってるのがバレたら、進学が決まっている高校から進学取り消しと言われるんじゃないかという不安が自分にはあった。みんなは普通に楽しんでいた。自分はこういうことが普通に楽しめなかった。そわそわしながらHYのAM11:00を歌った。ラップ部分があったことを忘れていて、その部分は恥ずかしくて歌えなくて、変な空気になった。
ミスチルを上手に歌う友達がいて、彼は足が速かった。白いラブラドールを飼っていて、その犬は口が臭かった。


17・川口のビッグセーブ


中学校。
好きな女の子を含めた男女2対2でお祭りに行った。
好きな女の子とは全然話せないし、いまいち盛り上がれなくて、理由をつけて家に帰った。アジアカップの準々決勝で川口がPKを止めまくっていた。
この日は、その子より川口が好きになった。


16・タンポポの首の味


小学校の通学路、登下校中にタンポポの首をハネる残酷な遊びが流行っていた。茎が白いものと茶色いものがあって、茶色い方はチョコ味ということになっていた。誰も実際の味は確かめなかった。


15・先輩の節約法


共演の先輩の役者が、稽古場でラベルのはがれた2リットルのペットボトルを水筒代わりにして、自分の家で入れてきた水を飲んでいた。汚いと思った。今ではそれを自分がやっている。


14・ミドリガメとコーンポタージュ


おばあちゃんの家でコーンポタージュを飲んでいた。
弟は、飼っているミドリガメと遊んでいた。
コーンポタージュは美味しかった。
とそこで、誰かの悲鳴が聞こえた。
弟が、首を引っ込めたミドリガメの顔がどうしても見たいと無理やり手を入れて引っ張ったら、首が引っこ抜けた。
コーンポタージュは美味しかった。


13・元市長の忠告


元市長に、冬にポケットに手を突っ込んで歩いていると転んだ時に危ないからと、”ポケットに手を突っ込まない。寒いなら手袋をはくべきだ”と言われた。


12・おばさんのお腹


実家の目の前に、向かいの建物を覆う大きな壁があって、サッカー部だった僕はその壁によくボールを蹴っていた。
3軒隣のおばさんが、病気だとかで、その音がお腹に響くからと苦情を受けた。


11・おじさんの反省


飲み屋で働いていた時代、始発で最寄り駅まで帰り、近くのコンビニの目の前に喫煙スペースがあるんで、タバコを吸ってから帰ることが度々あった。おじさんが、灰を、目の前に灰皿があるにも関わらず地面に落としていた。
「なんでここに灰皿あるのにそんなとこに落とすんですか?」と聞くと、睨まれた。
翌週、目の前を通るとおじさんがキッチリと灰皿に灰を落としていた。


10・ばあちゃんの背中


小学校1年生
スーパーファミコンのドンキーコングにがっぷりとハマっていた。
両親は共働きだったから、おばあちゃんの家でドンキーコングをやっていた。
当時のおばあちゃんは家族が残したご飯を全て自分で処理(食べて)していたので、小柄だけど結構太っていた。
おばあちゃんは夜になると隣の部屋から布団を持ってきて寝る準備をする。
これが問題で、布団を抱えてスーパーファミコンの前を通られると、ばあちゃん+布団の重みで床がギシっとしなる。
この振動でスーパーファミコンの電源が落ちてしまうのだ。
ある日、何度やっても倒せない蜂のボスと戦っていて、あと一撃をくらわせば蜂が倒れるというところまでいった。
ドンキーコングが樽を蜂に投げつけた瞬間。
布団を持ってきたばあちゃんの重みでスーパーファミコンの電源が切れた。
ぶちぎれてしまった自分はばあちゃんの背中をボコボコと殴り続けた。
そんなことをすれば怒られて当然だったのだが、ばあちゃんは「好きなだけ殴りなさい」と言った。
蜂よりも強かった。


9・初めての家出


小学1年生
初めて家出をした。父からもらったグレーの工具箱のような形の布で出来た箱に、デジモンや、お菓子や、星のカービィの漫画を詰めて、出発した。別れは誰にも言わなかった。外に出て、家の周りをグルっと回って、家出は辞めた。


8・枕の耳の味


小学生。
寝室の枕は少し特殊で、四つ角それぞれの感触が少しずつ微妙に違う。
左上、左下、右上、右下。それぞれ微妙に全部違う。
ざらざらしたやつや、マットなやつや、ツルツルなやつやサラサラなやつがある。
右下の角が一番ツルツルで、触っていて一番気持ちよかった。その角の部分を鼻の下にこすりつけているとすごく気持ちよかった。
”美味しい”という感情が生まれてきて、右下の角のその部分を「ピザ」と呼んでいた。


7・母の口のにおい


小学生。
母は常に仕事が忙しく、休みの日でも常に仕事の電話をしていた。
よくわかっていなかったけれど、仕事の時だけ母から出る声があるとこの辺りで知った。
低学年まで、兄弟2人とお母さんの寝室は一緒だった。
なので目が覚めると母が真隣にいた。母の口のにおいがいつもしていた。
これは母の口のにおいなのだと思った。決して、くさいという意味ではない。でもとにかく、これは母の口のにおいなのだと思った。


6・ポケモンスタジアム


小学生。父とニンテンドー64のポケモンスタジアムで遊ぼうと約束した。
父は忙しかったのか、3階の自分の部屋からなかなか降りてこない。
まだ~?!と再三声をかけると、「もう少し待って!」と怒られた。ように感じた。
その日はポケモンスタジアムはやらなかった。


5・涙の理由


小学2年生。従兄の家族とドライブで旅行に行った。車で往復2時間半ほど。
帰りにボウリングをした。真っ暗な帰り道でイルカのなごり雪がかかっていた。
翌日、図工の授業で、最近の思い出を絵に描くという時間があった。
その日帰り旅行の事を書いていたらなぜか無性に昨日に帰りたくなってひとりで授業中に大泣きしてしまった。
隣の席のちあきちゃんが困っていた。ちあきちゃんはメガネをかけていた。


4・バレンタインにいい思い出はない


学生時代。女の子にチョコを貰った。申し訳ないと思うが誰からもらったか忘れた。
貰い慣れていないし、誰かに見られているかもと思うと恥ずかしくなって、足早に教室に戻る途中、別の女の子に声をかけられた。
「落としたよ」。チョコが入った箱にくっついてたリボンかラベルだった。話したことのない女の子だった。隣には、これまたあまり話したことのない彼氏がいた。さっきより歩を速めて教室へ帰った。


3・猫の悲劇


友人の話。
すごく大柄な(というかかなり太っている)彼は猫を飼っていた。
ある日、部屋の中で自慰行為をし、ティッシュに包むと、部屋の中に置きっぱなしにされたそれを猫がぱくっと咥えて持って行ってしまったらしい。その現場を見た彼は”マズい!親に見つかる”と大急ぎで追いかけると、猫は部屋の外のほど近いところで立ち止まっていた。危なかった・・と思い猫を見てみると、吐いていたらしい。


2・ばあちゃんのやさしさ


2002年日韓ワールドカップ。
決勝トーナメント1回戦。日本はトルコに負けた。
すごくイライラしながらスーパーマリオ64をやっていた。そのイライラをじいちゃんは気にしていた。
ばあちゃんが、「日本負けちゃったから」とかばってくれた。


1・3000円の理由


ばあちゃんの作った料理に弟が文句を言っていた。それを窘めた。
激昂した弟は、寝転んだ自分の目を思い切り蹴った。当然ボコボコに腫れた。
次の日、部屋にいるとドアのノックがコンコン。昨日はすいませんでしたと3000円を渡された。


誰も見てないスマホの前で、、あなたは僕にサポートをしてくださろうとしています。 頂いたサポートは、ひとり芝居公演にかかる経費をはじめ、活動費として大切に使わせていただきます。これでまた、皆さんに活動をお見せできる機会の足掛かりになります! 感謝!陳謝!ありがとうございます!!