斉明天皇の出身

斉明天皇(さいめい てんのう)は、日本の第37代天皇で、同時に第35代天皇であった皇極天皇でもあります。彼女は日本史上初の二度即位した天皇であり、非常に特異な地位を占めています。彼女の本名は「宝皇女(たからのひめみこ)」です。

出身と家族背景

斉明天皇は、第31代天皇である用明天皇の娘で、母は蘇我氏出身の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)です。彼女は、舒明天皇の皇后であり、その後、皇極天皇として即位しました。斉明天皇は蘇我氏の血統を受け継いでおり、その家族背景は彼女の即位に大きく影響を与えました。

皇極天皇としての治世(第35代天皇)

最初に即位した時は「皇極天皇」として、第35代天皇に在位しました(642年~645年)。彼女の治世中に、蘇我入鹿が暗殺される「乙巳の変」が起こり、蘇我氏の権力が崩壊しました。この事件の後、彼女は退位し、甥である孝徳天皇が即位しました。

斉明天皇としての再即位(第37代天皇)

斉明天皇としての治世は、655年から661年まで続きました。孝徳天皇の死後、再び即位した彼女は、息子である中大兄皇子(後の天智天皇)と共に政務を行いました。この時期、日本は朝鮮半島での影響力を強めようとし、特に百済との関係が深まりました。

斉明天皇の治世で特筆されるのは、百済救援のための軍事遠征です。彼女自身も九州に行幸し、筑紫(現在の福岡県)で軍事拠点を視察するなど、積極的に関与しました。しかし、この遠征の途中で斉明天皇は661年に崩御し、九州の朝倉宮(あさくらのみや)で亡くなりました。

斉明天皇の意義

斉明天皇の再即位は、蘇我氏の時代が終わり、新しい中央集権国家が形成される過渡期を象徴しています。また、彼女の治世は日本が国際的な舞台で積極的に関与し、外交や軍事において重要な役割を果たした時期でもあります。斉明天皇の治世は、彼女の子である天智天皇によって続く改革と連続したものであり、日本の古代国家形成において重要な位置を占めています。



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