ウクライナを去ってから15週間が経った今、徒然に・・・。

高校卒業後、比較的短期間サイクルで環境の変化が起きている人生だが、やはりその中でも今年は特別だった。2011年3月11日に東日本大震災で北関東の北端近くで震度6強を経験し、屋外に避難したのに大地にまともに立っていられず、宙に浮かばんばかりの状態の貯水池の水を見て震え、また直後に地元の仙台が波に飲み込まれている恐怖映像を見て呆然とし、

「流石にもうこれ以上悪い災いには生きてる間はもうお目にかからないよな」

なんて思っていた記憶が微かにあるが、個人的にはよりショッキングな経験を2022年2月24日にしてしまった。ロシアのウクライナ侵攻開始である。何度もTwitterやNoteで述べている通り、幸い私や私の家族は直接的な身体的被害やトラウマに残りそうな恐怖体験は受けていないが(Twitter等でニュース追ってるだけでも精神的ダメージは相当受けてはいるか)、あの日、侵攻が始まる数時間前に感じた胸騒ぎは今でもはっきり覚えている。その後の脱出の経緯は以前Noteに纏めて書いているので、まだ読んでいないけどご興味のある方は読んでいただきたい。

一次避難先のポーランドで職探し

避難後の生活としてポーランド・クラコフ滞在編を執筆予定だったが、環境と生活の変化の連続で中々落ち着かず断念。今日、思い出して詳細書こうかなとも思ったが、Twitterの呟き貼っつけで終わってしまいそうなのでやめた。とりあえず纏めると、人に恵まれた暖かい避難生活だった。ただ折角クラコフというただただ美しい街に滞在していたにもかかわらず、全くと言っていいほど街を見て回ることができず(流石に余裕がなく)、丸1ヶ月も滞在していたのにヴァヴェル城や聖マリア教会すら訪れなかったのが残念だった。

クラコフかその他ポーランド内のどこかで避難生活を続けることも考えていたが、ボランティアの人に借りていた部屋の滞在リミット2週間切ったぐらいの時に昔の同僚に偶然声をかけて頂いた。本当はポーランド内での次の居候先を紹介してくれるということで人事上層部に繋いでもらったが、それまでの3週間の生活・精神状態から、居場所よりまず安定した収入源の確保が先だと考えるようになっていた。その人事の方がどういうサポートが必要かと聞いてくれたのでなりふり構わず、グループ欧州内でポジション空いてたら紹介して、と半ば強引に頼み込んだら職務経歴書をグループ内の人事ネットワーク内で投げてくれて、嬉しい事に2,3箇所から声をかけて頂いた。また、別の昔の同僚に頼んで経験職種で空いてるポジションを紹介してもらって、Hiring Managerにメール送ったりもした。

インタビューを経て、最終的にポーランドで購買補助かドイツで調達物流、の2つのポジションで返事を頂いた。地理的・文化的な面と国の好みからポーランドに残りたかったのだが、条件があまりにも違く、またすぐ職探しをしなければいけなくなる可能性があったので、全く想定していなかったドイツ行きを決めた。

こうして4月初旬にクラコフを発ち、ルクセンブルクとの国境沿い、ドイツワインの産地、モーゼル川・ザール川の辺にあるトリーア=ザールブルク郡にやってきて、6月今日現在もこの地域で暮らしている。地域紹介はまた別の記事で書いていこうと思う。まだ2ヶ月と少しの滞在期間だが、居住地としての評価は置いといても、観光地としてはかなりレベルが高いと個人的には思う。全く事前予習していない地域だったので新鮮なのかもしれないが、色々な顔があって面白い。

今後の自身の活動とTwitter

Twitterでの自分の投稿をたまーに見返すと、ウクライナ関連のつぶやきが減り、徐々に内容も従来通りフォロワーが2桁だった時のクオリティへ戻りつつある。実際フォロワー数も結構前に頭打ちをし毎日数十人ずつ減少している。

ウクライナというタイムリーな場所にたまたま永住目的で在留していた邦人の一人だったお陰?でイレギュラーにフォローしてくれた人が増えた。大小差はあれど、在ウク邦人や日本語を使えるウクライナ人のアカウントが軒並み伸び、ウクライナ情報が飛躍的に拡散されるようになり、人々の興味関心も増えた。得た発信力を今後どのように活かしていくかはその人次第だが、皆ウクライナの明るい未来を願っていることだけは間違いない。

そして私および私のTwitterアカウントは今後どうしていくか。まだ色々迷い中である。再び会社員という道をとりあえずは選んだので、自分で何か業を起こすという思いは一旦しまい、本業に専念する可能性が高い。ウクライナの復興需要は今後どんどん高まっていくだろうし、実際既に支援ビジネスに乗り出してる個人や企業も結構いる。ただ長期戦になるのはほぼ確実なので、焦って今すぐ無理して何かやろうとする必要もない。精神的体力と経済力の回復を最優先し、無理せずできる支援はウクライナ語学習の継続かな。仲良くしてくれてる先生にオンライン家庭教師をしてもらう。超狭い範囲だけどできるのはそれぐらいかな。寄付はウクライナ政府や軍に直接少ししたぐらいで、やっぱまだ完全賛同できるものがない。

昔から緑の羽募金とかチャリティーグッズ販売の類のものに個人的にアレルギー反応があり、本当に趣旨に賛同できる活動や良いものじゃないと中々間接的支援は難しく感じてしまう。こんなこと言うとまたどこからともなく、ウクライナに寄り添うと見せかけて有害な活動をしてる、とか言われるかもしれないが、いや本当大事だ、どこにお金を使うかって。東日本大震災関連で、あまりに酷い怪しい募金活動や理解不能な寄付金の用途を見てきたからかもしれないけど、ウクライナ人だって聖人だらけじゃない、というか元々汚職まみれで苦しんできてる国だし。同じ地域に避難してきているウクライナ人達を見ていても、支援金やその他善意で提供してもらっているお金や物品をまず必ず逃さないのは見るからに金銭的余裕がある避難民だからね。本当に困っている避難民ほどそういう支援制度があっても利用できていないのが現実の一部ではなかろうか。

あとTwitterアカウントについては・・・、フォロワー数がある程度いる間は人々の関心を薄れさせない為にも、本当はしばらく距離を置きたい気持ちもあるけど、ウクライナ関連の投稿にコメント入れたり拡散していくのが、微力ではあるが私の最低限の使命かなと考えている。今やウクライナ関連は質が高い記事や思いを代弁してくれるTweetを提供してくれるインフルエンサーが数多くいるので、それに乗っかって援護射撃する感じでいきたい。投稿頻度が減ってきたのは、リアルの生活で頭がいっぱいなのと、やっぱりウクライナ関連のニュースや記事やTweetを読むと、心の奥底から色々な感情が湧いてきて冷静でいられなくなり不安定になるからだ。まずは早く平穏なつま日々が訪れて欲しい。

今後Noteでは何を書いていくか


多くの人がウクライナへの興味関心からフォローしてくれてるのは承知だが、私から何かウクライナについてNoteで発信していくことはしばらく無い。勿論10年超ほぼ毎年訪れるぐらいには関わっていて、一時は永住を考えて移住した思い出の国ではあるが、情報過多気味でかつ今はポジティブな発信しかできない。元々皮肉屋でアイロニーを含んだ冗談を言うのが好きで、ウクライナについてもそういう発信をしていきたいのだが、今はその時ではない。平穏が訪れたら、そんな感じの発信もちょくちょくしていきたいが、今はじっと祈りながら戦況を見守りたい。

と言うことで、Noteについては気が向いたら今住んでいるトリーアやその他周辺の地域紹介、ドイツでの現地就労話、ドイツ語・ウクライナ語学習話、国際夫婦の第三国での子育てについて等、ありきたりな話題かもしれないが、独自の視点で徒然なるままに書いていく予定。


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