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鉄の金型、二十歳の原点

ずっと下書きにあったこれを今投稿する。5年くらい?経ってるかな

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高校の時、頭がいいことを自分の存在証明みたいな確固たるものにしたくて、一生懸命に勉強した。

大学に入って、「自分は親の力で進学した」と言う人をみて、ああ勉強ってのは世の中の揺るぎない評価じゃないんだ、個性の一つにすぎないんだと知った。愚かな自惚れ

じゃあ自分って?

片道2時間半かかる通学時間は自分を虚しくさせる。寝ても寝飽きる。

そこから本を持ち歩くようになった 
毎度ではないけど少しずつ暇な時に進めていた

誰もいない教室で友だちの授業が終わるのを待っている時、あまりにも退屈な授業で。

フィクションは嫌いだった。
鉄でできた自分の、歪んだ金型を精度の高い図形に成形してくれる、そんな本を求めていた。アイデンティティとは、評価とは

大学3年生、20のとき出会ってしまった
高野悦子著「二十歳の原点」

半分まで読んでいたけど、ふとこのままだと自分の金型が溶けてしまうような、鉄を溶かして変形するほどの温度を感じた。
怖くなって一度読むのをやめて、素直に就活をした。
就職が決まってからまた手に取った。その時はもう21で22が目の前だったけどやっぱり熱かった、とても熱くて私の人生にとてつもない影響を与えてしまった。
諦めに近い何かと、安心、あと絶望感、

それと、届かない両腕だけが残った。

しばらくぼうっとして過ごした
そしてふと、私は今後どこかへ出かける時この本を持って行こう、私の経験、景色を見せてあげたいと思った、そこからある程度復活した。

スピリチュアルな話ではないけれど、それから私の中には彼女が住んでいるような感覚を持っていて、

気味が悪く居た堪れないように思うかも知れないけど、そう表現するに足らない感覚なのだ


最近、また読書が再熱し、2月で5冊?6冊読んだ。
休日は5.6時間カフェにいて読んでいる。クリスマスに友達と本を送り合ったのが楽しかった。自分じゃ選ばない本を読む機会になった。

私の鉄はある程度、整合性の取れた真(私なりの真)に近づいたと思う。でも純度は低いまま、また冷めて固くなってきている。熱を持った本にまた出会えたらいいなと思う。

(二十歳の原点に出会ったきっかけである人が、最近エッセイを出したので速攻読んだ。同じ血を分け合ったかのようで、やっぱり期待の真ん中ぶち抜いてきた)

20年ほど生きてきて友人と話していると結構みんな映画を見ていてしかも個性があることに気づいて、映画についての感想をもっといろんな人とお話ししたいと思って初めてみました。またこれが映画を観ようか迷ってる人の背中を押せたらなおはっぴーです。(紹介文として)