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雑→音-踏-談-念 「雑」は無駄なのか?


今日はたまたま1つ隣の駅に行かなければならず、電車に乗った。とめどなく耳に入ってくるのは、今まで毎日のように当たり前に聴いていた環境音。電車の通り過ぎる音・風、雨の音もあわさって、すごい外が賑やかに感じた。
それは、今までなら「雑音(noise)」として認識していた音たち。
今となれば、生活を営む中でのささやかなBGMであることに気づく。それをもってして、例えば「自分は自販機でジュースを買った」「電車を待っている自分」とかを自覚していたんだなぁと思った。
雑音と感じていた音を今は何故か雑音と感じない。これは、それほど外の世界と自分を切り離していることの表れで、生の音に飢えているんだなぁと思った。

「雑踏」の中たまたま聞こえた話にクスっとしたり、マックで聴こえる高校生の話で懐かしさを覚えたり、そんなことすらも面白い出来事だったと今なら思える。
個人的に雑踏は苦手だが、1人で歩く時に覚える寂しさを、知らず知らずに雑踏の中で紛らわせていたんじゃないかな、と思う。
誰とも授業の被っていない大学の放課後。
特に何をする訳でもなく、フラッとどこかに行きたくなって、わざわざ激混みのスクランブル交差点で信号待ちをしている時。
何だかみんなで寄りあっているような変な安心感があった。 今なら、あの渋谷の雑踏を少しばかり愛おしく思える。

オンライン授業、そりゃそうだが個人的に良い所もあれば悪いところもある。オンデマンド型(録画配信)授業を受けながら、こう、なんか足らないなぁと感じるのはなんでだろう…と思うと、「雑談」がないんだ!ということに気づく。
よく友達にも「雑談が多いから減らして欲しいわ〜」って言う人がいるし、気持ちもわかる。
でも、授業の内容という1本の道があるとすれば、雑談は横道である。その横道を後で辿ってみると意外と面白い場所にたどり着く、なんてことがある。(個人的には)雑談は必要。もちろん授業終わりにお菓子を食べて雑談することなんてもっっと大事なきがする…(?)

この期間、「雑念」が頭を離れない。ずっと家にいるから、料理したいな〜→やっぱり本読みたいなあ〜→ゲームしたいなあ〜!、なんて、ずっとぐるぐるしてて集中力が続かない時があった。1人でぽつんとすれば、持ち前のネガティブに拍車がかかる(そういう時は諦めて寝るけど)
でも、雑念からなんとな〜く始めてみたことが「おお!意外と楽しい!」となったりもした。良くも悪くも、雑念は自粛期間つきまとう。

そして、私は、人一倍、他人の言動や顔色・声色・仕草に敏感であることを自覚している。
だから、あんまり人と関わらない、ストレスなことをしないこの状況に心地良さをおぼえているのは事実だ。
だけど、それは結果的に良いのだろうか、と疑問に思う。
いつも構えてたのに、いきなり他人の感情のボールが来なくなる。怖くていつボールが来ても対応できるように常に構えなければ!という状況に陥りそうだ。

すこし話が逸れたが、この自粛期間とされる中で「雑」なものについて沢山考えている。
「雑」という字がついているものは、何故か「無駄」っぽい雰囲気を持っている。だが、決して無駄ではないのだなと思い続けている日々だ。
「雑」の中に身を置くことで、自分の見たいものや言いたいことが浮かび上がってくる。自粛期間、オンライン講義でも耳からイヤホンを外せばいつでも音は遮断できる。テレビを消せば、聞きたくないことは聞かなくて良い環境に常にある。「雑」のない世界は、心地よくともなにか大事なことを失ってしまいそうな危うさがあるなと思った。


良く考えれば、「雑」がないからこそ、まっさらなフィールドの上で、しっかりと自分のしたいこと、考えることにピントを合わせられる期間だとも思う。

人と会わないからこそ、会えないからこそ、逃げたいものから逃げれるタイミングでもあるだろう。

私は「時間は全て解決する」という言葉を信じ、この自粛期間に少しでも傷が治れば良いなと、少しだけ希望を持ってきたりもする。

本当に足元を見直すような生活を送っている、このことを忘れることがないように、何かしらの形で残して思い出せるように、できる限り言葉にしようと思う。

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