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“Despite everything, it's still you”

今から約5年前、私は、ある1本のゲームを翻訳した。
それは、その後の私の人生を、大きく変えることになる出来事だった。

ローカライズ作業が進行中だった当時のことを振り返ってみると、どうにも現実感がない。自分がやったことだとわかっているけれど、なんとなく、別の世界の自分がやったことのような…… いや、単に5年も前のことだから、記憶が薄れているだけ? ……うん、たぶんそうですね。

でも、そのあと起こったいろんなことは、文句ナシに現実感がない。
たとえば……

「ファミ通アワード2017」の授賞式にご招待いただいて、堀井雄二さん、青沼英二さんなどを始めとする、業界のお歴々が居並ぶ会場の片隅に、ちょこんと座らせてもらったこと。

2019年、新日本プロレスの「レッスルキングダム13」でケニー・オメガ選手の入場時に流れる動画のテキストを翻訳させていただき、1月4日の決戦当日、試合にご招待いただいたこと。


イミがわからない。
朝から晩までパソコンの前に張りついて、キーボードをカタカタたたいているしがないフリーランスゲーム翻訳者の人生において、こんな華々しいイベントが発生するフラグが立つ隙が、いったいどこにあったのか。


私の記憶が完全にサルベージ不可な状態にまで薄れてしまう前に、私がこの、いろいろと恐ろしい「ある1本のゲーム」を翻訳したときのことを、書いておこうと思う。

とはいえ、ローカライズ作業の舞台裏の話はNDAに抵触してしまうので、「そのとき翻訳者の身に何が起きていたか!」という、とてつもなく個人的なお話になります、なにとぞご了承くださいませ。

(※ 本稿の内容については、有限会社ハチノヨンの許可をいただいています)


【コトの始まり】
ハチノヨンから翻訳の打診をもらう
(コトの重大さに気づいてないフェーズ)

この記事にもあるように、私がハチノヨンのジョンから『UNDERTALE』の翻訳の打診をもらったのは、2016年の1月下旬のことだった。


ジョン:「『UNDERTALE』っていうゲーム、知ってる?」

フクイチ:「もちろん知ってるよーーー!! めちゃくちゃ話題になってるやつだよね!」


……みたいなやりとりだったと記憶している。
「知ってる?」と言われている時点で、翻訳の打診だということはもうわかっているので、「訳させてもらえるんだ……! わー、うれしい、やったー!」と、ウッキウキで返信したのを覚えている。
原語版をプレイした瞬間に、「こんなん、好きにならんわけがなかろう!」と思ったゲームだったし、キックオフミーティングから実機テストまでみっちり関われるということで、まあーとにかくうれしかった。跳び上がってよろこんだ。即興の「よろこびの歌」を歌い、即興の「よろこびダンス」を踊った。

当時は、『Enter the Gungeon』(2016年4月Steam版リリース)を架け橋ゲームズさんからのご依頼で訳しおえたばかりで、「インディーゲームを丸々1本訳させてもらえて、クレジットもしてもらえる」という仕事の楽しさを、初めて知った頃だった。

ちなみに、それ以前はAAAタイトルのリードトランスレーターを務めることが多かった。大きなやりがいがあって、楽しい仕事だった。ただ、大作になればなるほど、自分が責任を持つ部分の比重が軽くなることも多々あった。必ずしも悪いことではないと思うし、チームでする仕事は、ソロ活動では得られない貴重な経験の宝庫だ。また機会があればぜひ、と思っている。
それでも、「ひとりで全体をあつかえる規模の作品を丸々任せてもらえる」という仕事との出会いは、「私にとってまさに理想。超幸せ。大好き。ふつつかものですが今後ともどうか末永く……」と思えるものだった。

今でこそ、このスタイルでのインディーゲームのローカライズが私の受注する仕事の99%を占めるようになったけれど、当時はちょうど、その入り口に立ったあたりの時期だった、ということになる。

しかし……この時点での私には、知るよしもなかったのだ……
この、『UNDERTALE』というモンスタータイトルの翻訳を引き受けるとは、いったいどういうことなのかを……


【いざ翻訳!】訳してるときは無我夢中
(でもジワジワいろいろ
気づきはじめるフェーズ)

私は、ほんのわずかでも頭に “気になること”があると、作業に集中できなくなってしまう性分だ。なので、ヘビーな作業が続いている間は、翻訳に関係のない情報はあまり見にいかないようにしている。そうしないと、日々のノルマがちゃんと終わらなくなるからだ。フリーランスの翻訳者にとって、「日々のノルマを終えること」は、何より優先しなくてはならない絶対的使命である。飲み会の翌日に二日酔いで寝坊とかしてる場合じゃない。とっとと起きてノルマをこなせ! Or die!!!!

Twitterなんかも、常時放置気味だ。せっかく友人がDMで連絡を取ろうとしてくれていても、ヘタすると永遠に気づかない。LINEで「DM見て!」と言われるまで気づかない。てか、だったらLINEでよくね?
(いえ、DM見てない私が悪いです、ホントすみません)

そんなわけで、『UNDERTALE』の翻訳作業中も、雑念につながりそうな情報はシャットアウトし、とにかく無心に訳していた。

が、インターネットを使っているかぎり、ある程度の情報は勝手に入ってきてしまう。この時点でじわじわと、「どうやらこのゲームは普通のインディーゲームとはだいぶ違う人気の出方をしているようだ……」という気配は伝わってきていた。
なんか、フォローしてる海外のゲームメディアでもやたらと記事になってるし。
「……あまり考えないようにしよう」
今日もノルマをこなさねばならない。ああ、もう3時すぎなのに、まだ半分も終わってないじゃないか、このポンコツ低スペック脳が。
雑念を振り払いながら、ひたすら訳しつづける日々が続いた。


日本語版トレーラーが発表された頃のこと

そして月日は流れ、ついに『UNDERTALE』日本語版の発売を告知するトレーラーが発表された。
この頃のことは、ほんの瞬間、瞬間のことだけ、針でブスブス刺されるみたいな痛みをともなって鮮明に覚えているのに、それ以外の部分があまりよく思い出せない。
ローカライズは大詰めで、連日、作業に100%集中しなくてはいけなかった。
なのに、なんやかんやともどかしい気持ちがわいてきたり……でも正直、それ以上に、「怖い。え、すごく怖い、どうしよう」という気持ちに飲み込まれそうになっていた。

いま目の前にある、やるべき仕事だけに集中せよ。
間違いなく、いいものになっている。

それ以外の思考は全部、シャットアウトするように努めた。
……が、それはなかなか難しいことだった。
この時期の私は、「Twitterを開く」ということもできなくなっていた。
あの頃のことを思い出すのは、いまでもちょっとだけツラかったりします。


発売直前のこと

怖かった。本当に怖かった。日本語版が発売されたあとの世界を、想像できなかった。リリースされたらどこか山にでもこもろうかと、半ば本気で考えていたほどだ。

ある日、ハチノヨンのジョンと何かの打ち合せだか連絡事項のやりとりだかをLINEでしていたとき、「やー、もうすぐ発売だねえ」なんて話になった。「もーマジ、怖いっす。あー、怖い。怖い怖い怖い」と、あんまり怖いを連発する私を案じて、ジョンはこんな提案をしてくれた。

「これは、ローカライズ史上に残るプロジェクトになる可能性が高いと思う。それだけに、反響もきっとすさまじいものになる。今回も当然、Keikoの名前を翻訳者としてクレジットするけど、もし本名でのクレジットに抵抗があるなら、うちとしてはペンネームにしてもかまわないよ。どうする?」

読んだ1秒後に、こう返信した。

「本名でお願いします。自分の仕事には、責任持ちたいので」

“I like that answer!” というジョンからの返信を見た瞬間、何かのスイッチが入ったみたいに、私は腹をくくった。


発売後のこと

日本語版が発売されて以降のことは、読んでくださっている皆さんのほうがくわしい気がするので、ここで長々と書くことはひかえようと思う。
ひとつだけ言えるのは、

「福市恵子という翻訳者は、それでいいんだよ」と、言ってもらえた気がした。

それは、『UNDERTALE』という作品のテーマにもつながっていることだ。
あのタイミングでこのゲームと出会って、訳させてもらえて、本当によかった。


私にとって 「訳す」ということは


「訳すことが、自分を救ってくれている」。

……すみません、なんかキモいっすね。
でも、本当にそうなのだ。

「訳す」というのは、

「原文を読み込みながら、自分の中にあるものを深く深く探っていき、ピッタリはまる言葉を見つけていく作業」

だと思う。
これまでの人生で、犯した過ち、悔いていること、恥ずかしいこと…… 自分の深い部分に澱のようにたまったそれらの中から、探り当てられた言葉や感情。それがキャラクターの口から発せられたとき私は、「このどうしようもない人生を救ってもらえた」、という気持ちになる。

これからも私はきっと、蹴つまずいたり、すっこけたりしながら、ヨロヨロ歩いていくんだろう。いつまでたっても中学生ぐらいから成長していない自分を、持てあましながら。
でも、これまでのことを振り返ってみると、なぜかいつも絶妙なタイミングで、「そんなあなたにピッタリなのは、こちら!」とばかりに、「いま出会えてよかった」と思えるタイトルの翻訳依頼をいただいている。
この記事を書いている今訳しているのも、(まだタイトルは言えないけれど)まさにそんな作品だ。このゲームに今出会えて、このタイミングで訳させてもらえていることに、今日も救われている。


“Despite everything, it's still you”

この、状況によってどんな訳しかたもできそうな一節は、『UNDERTALE』のゲーム内に登場するメッセージだ。
「生きていればいろんなことがあるけれど、それを全部まるごと飲み込んだ存在=自分」。そんな解釈もできるように思う。

ゲーム制作者はきっと、“彼らの人生”で、ゲームを作っている。
私はそれを、“私の人生”で、訳す。
それを遊んだ人たちは……?

“……”に何かしらポジティブなフレーズが入るなら、私の人生、プレイヤーの皆さんにも救っていただいています。


(※ この記事は、ゲーム翻訳者いはらさん主催のリレー連載企画「ゲームとことば」用に執筆しました)

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