自分の中にある違和感
「う〜ん、なんで続けられないんだろう・・・」
「う〜ん、なんでもっと頑張れないんだろう・・・」
Be(ありたい姿)がずれていて起こった違和感のお話。
今の活動のきっかけ
わたしには今二人の息子(5歳と3歳)がいます。
子育てをする中でいまだかつてないほど怒り狂う自分に嫌気がさしたり、「なんで優しくできないんだろう・・・ダメな母親だ・・・」と自己否定してしまったり自信をなくしてしまったり、毎日毎日息子の寝顔を見て「ごめんね」の気持ちでいっぱいでした。
怒ってばっかりの毎日が嫌になり家出をしたことも・・・あります。(家の駐車場に止めてある車に、ですがw)
負のループの沼にハマっていた自分をどうにかしたい一心で色々実験し、たどり着いた答えがあります。
それを過去の自分と同じように自分の気持ちや子どもやパートナーとの関係をこじらすママのサポートをしたい、という想いでフリーランスとして活動を始めました。
振り出しに戻る
そんな想いで発信したり講座を作ったり、セッションしたりするのですが、常にモヤモヤと言葉にはできない違和感が心の中にありました。
でもそれは行動していけば消えていくものだと思っていました。だってわたしは「わたし自身がママになってもがき苦しんだ経験があったから、同じようにもがき苦しむ人を助けたい」という思いがあったから。
でも行動しようとすると
・・・なんでビジネスしたいんだっけ。
・・・誰に何を届けたいんだっけ。
という壁にぶちあたり
あれ、また振り出しに戻った・・・?という感覚に襲われるんです。
Be(どうありたいか)を言葉にしていった先に
「わたし自身がママになってもがき苦しんだ経験があったから、同じようにもがき苦しむ人を助けたい」の先の自分はどうありたいか?
ここを自分で掴んでいたつもりだったけど、抽象的だし言語化できていないことに直面する出来事があったのです。
少しずつ言葉にすることで見えてきたものがあり、今までは自分にとって闇だったものが光となってきました。とても抽象的ですね(笑)
子育てでの躓きはきっかけでしかない。わたしが本当に一緒に見たいのはその先。
子育てのイライラどうにかしたい!は表面的な悩みで
その奥には「自分ってこんなもんじゃないだろ!」「自分の可能性を自分で潰すなよ!」「ママって肩書に縛られずにひとりの人間としての人生全うしろよ!」そんな風に常に自分を鼓舞する自分がいたんです。
命が終わるその瞬間に「あぁ、、、楽しかった」と心底思える人生にしたい。
そのためにわたしは自己探究し、自分を喜ばせ、楽しく自由に、自分の心にまっすぐにやりたいことに夢中に生きれたら最高じゃない?と思う、だからこそ「省エネで生きる」選択をし続ける自分でありたい。(省エネで生きるってなに?→別の記事で書こうと思います)
ここが自分の中でふわふわしてて握れていなかったから
振り出しに戻る、を繰り返していたように思います。
自分と深く繋がることからはじめる
自分のBe(どうありたいか)がグラグラしていたことで、わたしが助けたいのは子育て中のママだ!ということにしがみついていたのかもしれません。
私自身が子どもとの関係で悩み苦しんだから、みんなもつらいよね!!大変だよね!!!どうにかしたいよね!!!!ってわざわざ問題を大きくしていたのかもしれません。
もちろん目の前の苦しみもクリアせずその先にはいけないけれど。でも本当に見たい世界はもっともっと先。
自分自身がどうありたいか、深く深く繋がった先に見えた自分の位置。そこが見えたからクライアント様との関わり方も必然的に変わる、ということを実感しています。
自分の中で違和感のあるときって、相手に与えよう与えようの気持ちが大きいときなのかもしれません。与えたいけど自分も空っぽだから何も与えられない。溢れた分だけしか人にあげられないのに。
だからこそ、まず「自分がどうありたいのか」「自分がどうしたいのか」を自分と深く繋がり溢れさせることから始まるのかもしれないです。
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