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私にしかない生まれながらの特権

遊園地のエントランスでこんなことを言われた。

「あなたはこれより先入場禁止です。あなたがあそこの地域出身なので入園禁止です。それか追加料金払っていただきます。」

こんなことを言われたら、あなたはどう思うだろうか。理不尽さから頭に来るだろうか。突拍子もないことで全く意味を理解できないだろうか。

実際こんな遊園地は差別を禁止している日本には存在しないだろう。おそらくほとんどの国ではこのような扱いは法律的に許されないだろう。しかし、グローバルなレベルではこれは日常茶飯事だ。つまり、遊園地のエントランスを国境と、出身地域を出身国と置き換えてみると、これはある国に入国したいが出身国を理由に入国拒否にあっている場面だ。持っているパスポートの強さによって、生まれた国によって、生涯行くことのできる領域に制限が出てくるのだ。国内レベルでは起こりえない出身地による「差別」が国際的に発生している。

私と親友シルバー

私にはトビリシで1ヶ月一緒に暮らした大親友がいる。彼女の名はシルバーといった。在宅で仕事をしていた私は本当に24時間彼女を含めた複数の友人と、文字通り24時間毎日一緒に暮らしていた。私と彼女は特に親しく、年齢も一緒、身長体重もほぼ同じで、学歴や収入も似たようなものだった。趣味も似ていて、見るテレビも読む本も同じだった。服も秘密もなんでも共有した。期間にしてみればたった1ヶ月だけだったけれども、その時間はとても濃く本当に仲が良かった大親友だ。

一つだけ違かったのが、旅のスタイルだった。私は彼女に出会った当時、トビリシに既に数ヶ月滞在していて、一時的にイギリスへ帰った彼氏を待つ間同じ場所にあと数ヶ月滞在する予定だった。その後のプランなんてもちろんなくて、いつもどおり流れに身を任せて気の赴くままに旅をする予定だった。しかし、彼女は常に忙しく計画的な旅をしていた。トビリシについた瞬間から、次は何日にどこへ行くか、どこのビザを取るかを計画していた。彼女はそれを好んでいたわけではない。彼女はそうするしかなかったのだ。なぜなら彼女がベトナム人だからだ。

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生まれながらの「特権」

彼女は、私がビザなしで何ヶ月も滞在できる国のほとんどで、ビザすら発給してもらえなかった。できたとしてもごく短期間、またはとても高額な場合、もしくはその両方である場合が大概だ。それは、彼女の経済力や学歴がないからでも、政治的に脅威だからでも、信頼に値しないからでもない。ただ単に、彼女が発展途上国のパスポート効力が弱い国出身だからだ。

彼女には私が生まれながらに付与されている世界を自由に飛び回るという「特権」がなかった。それは彼女の努力で手に入るようなものでもない。私は別に彼女より優れた人間でも、富があるわけでも、社会的に有益な人間でも全くない。つまり、私が彼女よりこの「特権」に値する理由なんてどこにもないのだ。ただ私は日本に生まれたというだけで、世界中の人が喉から手が出るほどに欲しいこの「特権」を、努力も何もなしに手にしたのだ。しかもこの権利は、どれだけ貧しい家庭に産まれようと、日本で生まれてさえいれば手にすることができるのだ。そしてこの「特権」はおそらく、少なくともしばらくの間は誰も奪うことはできないだろう。

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地理的不平等

彼女はこのことに対して悲観的になることもなく、仕方ないと受け止めていた。確かにそうなのかもしれない。先に「努力なしにこの『特権』を手に入れた」と書いたが、努力をしていないのは私を含むパスポートの恩恵を享受しているだけの一般人だけであって、実際、日本人のパスポートの優遇は、過去そして現在のたくさんの人の努力の上に成り立っていることは重々承知だ。そう考えると、この「特権」は私たちに「値する」権利なのかもしれない。そうだとしても、この彼女の生まれがベトナムというだけで、ここまでにハードルが上がってしまうのは、あまりにも理不尽だ。先述のように、私と彼女に違いはほとんどない。趣味も経済状況も学歴もほぼ同じだ。ただ一つの国籍という差異のせいで、自分では決して選べない属性のせいで、彼女は私の何倍も苦労し、私が隣町に行くかのように軽い気持ちで行ける場所に彼女は一生かけてもたどり着くことができない。

グローバル化が進み、世界中どこにいてもみんなが同じようなコンテンツを享受し、同じ共通言語で国を超えた話題を語り合える今、文化の地理的境界がますます曖昧になっている。実際に私は、一度も生まれ故郷から出たことのない地元の知人よりも、ベトナム出身の彼女との方が同じアイデンティティを共有していると感じる。しかし、どれだけ私が彼女と同族だと感じても、現在の世界はまだ地理的境界に基づいて、権利が付与される世界だ。それはパスポートに代表される移動領域だけではない。日本で生まれればある程度の人権と自由は保証されているが、世界には生まれながらに言論の自由すら持たない人も無数に存在する。その人がそれを望もうが望ままいが関係なく、享受できる権利の範囲は自分の意志だけではどうにもできない。

もちろん、全ての国から全ての国への移動を許可したら、経済的、文化的または政治的に好ましくないインパクトも起こりうるので、簡単に「全ての人に旅の自由を」と謳うことはできない。それでも、文化や教育、思想がグローバル化している現代社会においては、この先地理的境界線の持つ意味が漸次弱まっていくだろう。そうなった時に、パスポートを始めとする現在のシステムの維持は難しくなり、崩壊する可能性もある。このことに気づく人が増え、もっと平等で画期的なシステムが出てくることを期待している。

いただいたサポートは、将来世界一快適なホステル建設に使いたいと思っています。