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私が馬鹿げた服を着る理由

エスニック色のへそ出しトップにネコのへそピアス
下もエスニック柄のハーレムパンツに靴は花柄の地下足袋
髪には必ず初対面の人に「それどうなってるの?」と言われるほどにカラフルなビーズのついたヘアラップ
それに加えてお気に入りの赤のベレー帽にジョン・レノン風の丸サングラス
両手両足にはブレスレットとアンクレットでほぼ全部の指に指輪

これが私の普段着だ。イタいと思っただろうか。もちろん大衆受けは全くしない。しかし、このような格好をしている恩恵もたくさんある。

ファッションの理由

私は確かに一般的に見たら馬鹿げた格好を日常的にしている。そこにはいくつかの理由がある。そのような格好が好きだというのが、もちろん一番の理由だ。柄物と赤色を中心としたヒッピーファッションが大好きなので、自分のテンションを上げるために、他人の意見なんて構わずに自分を幸せにしてくれる服を来ている。また、ヘアラップを常に身につけているのは、自分自身が自分の作品の広告塔になれるからだ。私はヘアラップを自作していて、頼まれれば他人にも施している。普段のファッションに自分の作品を入れることは、最高で最も効率の良い広告である。それに加え、そのような特徴的なアイテムをファッションに取り入れると、そのアイテムがしばしば会話の発端になり多くの人が話しかけてくれるので、常に新しい人に会っている私にとっては友達作りのきっかけになる有難いアイテムだ。

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しかし、それだけではない。私がそのような馬鹿げた格好をしているのは、自分のアイデンティティを示すためでもある。言い換えれば、ヒッピーファッションを身に纏うことで、自分はヒッピーコミュニティまたはバックパッカーコミュニティに属しているということを示すためだ。

欧米優勢のバックパッカー社会

バックパッカー社会というのは、基本的に欧米優勢の社会だ。別に彼らが非欧米人を差別していると言っているのではない。数的に欧米人が圧倒的に多いので、バックパッカー文化も欧米色が強くなっている。経済的にも彼らは裕福だし、歴史的にもバックパッカー文化は60年代の欧米文化から派生しているから、不思議はないだろう。

そんな欧米優勢社会にいると、アジア人の私は少しだけ肩身の狭い思いをすることがある。特にアジア圏にいると、地元の人だと思われバックパッカーのコミュニティに入っていくのにハードルが高いことがある。英語が話せないと思われることや、地元の人でなくてもバックパッカーでなく観光客と思われることが多々ある。欧米人に差別されている訳ではなく、私が彼らと同じの文化を共有していると分かれば彼らはすぐに仲間に入れてくれる。アジア人バックパッカーは圧倒的に数が少ないので、統計的に考えて彼らが初動でそう思い込んでしまうのはしょうがないことだろう。

しかしこの誤解は、私が上記のような一般的には受け入れられない服装をしている時は、ほとんど起こらない。ヒッピーやバックパッカー文化で当たり前である格好をすることで、私は地元民や観光客ではなくバックパッカーコミュニティに属しているということを明確に示している。きっと他の欧米人バックパッカーは意識的にファッションを見て、その人のアイデンティティを決めているわけではないだろう。だけれども、私がヒッピーファッションを纏うことで、「アジア人」ではなく「バックパッカー」として第一印象を与えることができ、そのコミュニティへの乗り込みが格段に簡単になる。

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日本フリークへの主張

この誤解に対して少し面倒くさいと思うことはあるけれども、全然許容範囲だ。一度誤解が解けさえすれば、または第一印象で同じコミュニティに属していると分かってもらえれば、そこからは簡単に彼らと仲間として暮らしていける。このケースよりタチが悪いのは、一部の欧米人バックパッカーが私の「日本人」という属性にだけ惹きつけられて、友達になろうとしてくる時だ。

世界中よくどこにでも「日本好き」は存在する。日本という国は、世界でも類を見ない珍しい文化や歴史を持っている国であり、多くの人を惹きつけている。そのため日本フリークのような愛好家が世界中に存在する。自分の生まれ育った文化を愛してくれるのは有難いことだ。だけれども、このような人たちは私という個人と仲良くなりたいわけではなく、日本人と仲良くなりたいだけだ。私に魅力を感じているのではなく、私の日本人という属性に魅力を感じている。少し過激に言ってしまえば、日本人なら誰でもいいのだろう。まるでレアポケモンを見つけたかのように、日本人の私を捕まえたがる。そしてこのような人たちは、私に様々な日本についての話を聞いてきて、中には私に彼らが思う日本人像を押し付けてくる人もいる。申し訳ないーーとも正直思ってもいないがーー、私は一般的日本人像からかけ離れている。別に愛国心もないので国についての不満は言うし、可愛い日本アクセントなんて全くなく汚い言葉も余裕で使う。大人しくもないしあなたが思うより礼儀正しくもない。鯨も神戸牛も食べないベジタリアンだ。そういう回答をすると、いつも決まって何も悪いことはしていないのに落胆されるのだ。腑に落ちない。

このタイプの人も、ヒッピーファッションを身につけているだけで大分避けることができる。彼らと話す機会があったとしても、彼らが思い描く日本人像に当てはまる格好ではないので、そもそも私が日本人らしい日本人でいることに期待してこない。期待がないので落胆もない。私の気が相当楽になる。

私は自分自身のアイデンティティーは、日本人であるよりバックパッカーであると考えている。別に日本人であることを恥じているわけでも嫌っているわけでもない。だけれども、持って生まれた性質よりも、自分で選んだアイデンティティを誇りに思ってもいいはずだ。日本フリークが好きな典型的な日本人は、私がなりきれないモノだ。そしてそのような典型的な日本人が作る社会は、私が適すことが出来ずに逃げたモノだ。私はそんな日本人とは正反対だ。それなのに、私の見た目と国籍から勝手に、本当の自分ではない何者かとして他者からラベルを貼られることは非常に不愉快だ。自分の好きな服装一つでその不快さを経験しなくていいので大儲けものだ。

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日本でのメリット

このような格好をすることは、日本でも思わぬメリットがある。大衆に馴染まない格好をしているので、いわばアウトサイダーとしてどこのグループにも属していないとみなされる。同調圧力が異常な日本では、どこかのグループに属していると考えられると、意味のない慣習的なルールを押し付けられることが多い。しかし、カースト外で生きている人に対しては、意味のないルールに従うことが社会的に予期されていないので、相当楽に生きていける。

ファッションの力

ファッションは一番簡単で日常的に自分を表現する方法だ。そして、自分のアイデンティティを表現するファッションを少し変えるだけで、人々の自分に対する態度も大きく変わってくる。ファッションは、私たちが感じている以上に大きい力を持っている。

いただいたサポートは、将来世界一快適なホステル建設に使いたいと思っています。