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虚像と付き合う

彼は彼自身の過去についてどこまで知っているのだろうか。彼が鏡の中で見ている彼自身の像は、蜃気楼なのではないだろうか。彼はそれが蜃気楼だと気づいているのだろうか。

彼のレストラン

彼はグアテマラの小さなヒッピータウンで、奥さんと一緒にインド料理屋を営んでいた。話し方やジェスチャーが典型的なアメリカ人だ。インド料理屋というのは、ヒッピータウンに欠かせないものだ。ベジタリアン天国インドの料理は、一度でもインドに行ったことのあるヒッピーにとっては、第二の母親の味のようにどこか懐かしさがあり、定期的に食べたくなるものだ。なので、世界中どこにいてもインド料理屋というものは感謝される存在なのだ。

彼は自分の料理が、本場インドの本格的インド料理であることに誇りを持っていた。しかし彼ののスタイルは、私がインドで見たものと少し違っていた。日本では、カレーは二日目が美味しいなんてよく言うが、インドで二日目のカレーが出てくることはまずない。メニューが一つしかない定食屋では朝作り溜めしそれを一日中提供することや、ベースだけ大量に作っておくことはあるが、基本的にはインド中どこのレストランでも注文が入ってから調理する。しかし、彼はインドでは調理してすぐのカレーは絶対に提供せず、4日間寝かせたカレーを客に提供していた。そして彼曰くその寝かせる工程こそが、本場インドでのスタイルらしいのだ。さらに彼の作るカレーは、マンゴーやカレーパウダーなど、インドでは絶対使わない食材を使っていた。

私はインドで寝かせたカレーなど食べたことがない上に、高温な中で4日も放っておいたカレーには不安があったので、思わず「私はインドでは一回も寝かせたカレー見たことなかったなあ」と口走ってしまった。そうすると彼は「俺はインドでインド料理を学んだんだ」と誇らしげに返答し、インドでの詳細をベラベラと話してくれた。しかし、彼が描写するインドは私が知っているインドとは全く違うデタラメだった。私は「インドのどこで学んだの?あと、インドでどんな所に行ったの?」と聞いてみた。そうすると彼は私の質問には答えず、「インドで学んだ」と繰り返し言っていた。私は少し、彼に不信感が募った。

彼の過去

私は面倒臭くなったので、インドの話は止めることにした。そうすると彼は、また同じような誇らしげな顔を作って、自分自身の過去について話してきた。「俺は数年前に大きな事故にあったんだ。トラックに轢かれて生死を彷徨った。その時に臨死体験をして、神に出会って全てが変わったんだ。」と、さっきのインドの詳細を話している時と同様にベラベラと詳しく話してくれた。私は少し気になって「病院にはどのくらいいたの?」と聞いてみた。そうすると彼は、また先ほどと同じようにゴニョゴニョと口籠もって「事故にあったんだ」と繰り返していた。

嘘か真か

ここまで彼と話してきて、私は思った。きっと彼の過去の話は全て嘘だろう。彼の過剰なまでの誇りと、理にかなっていないデタラメ、そして予期せぬ質問に対する動揺は、真実を語っている人の態度だとは思えない。ただ興味深いのは、おそらく彼自身も自分の嘘を信じ切っているのだ。本当にはなかったことを真実だと思い込んでいるから、予想していなかった質問をされた時に、脳の記憶を辿るけれどもそこには何も存在していないから、思考が停止してしまうのではないのだろうか。

彼のデタラメはこれだけには留まらなかった。例えば、乳酸菌とビールの酵母が一緒のものだと信じ込み、乳酸菌でビールを作ろうとしていた。別に彼がそれを信じたいならそれでいいのだ。特に彼は嘘をついて私を欺こうなんて気は全くなかった。嘘で人を傷つける意図は全くない。彼は楽しい人だ。彼が自分の過去の虚像を作り上げているからといって、彼と付き合いをやめることはない。だけれども、自分が付き合う人の情報が嘘か真かを知っていることは、自分自身を守るために必要だ。蜃気楼がそこにあってもいい。だけれどもそれを蜃気楼だと知っていないと、害を被るのは自分なのだ。

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