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トウキョウからは見えない景色

この美しい世界を見続けられるのなら
どんな努力も惜しまない

そう自分に強く誓ったのは、大学卒業を近くに控えた2017年の大晦日だった。

幸せを知らなかった頃

今でこそ無責任で自由な生活を送っていて自分の人生が大好きな私だが、旅に出る以前は全く違った。今も昔も世間一般社会にうまく適合できないレベルに変わり者とは呼ばれてきたが、昔はそのせいで虐められていたこともあって、自分が自分でいるだけでなぜか好奇の視線を集めてしまうのに耐えられなくて、自分を抑えてでも他人に合わせようとしていた。そんな自分が嫌いだったけれども、自分を嫌いな自分が嫌いで、自分が嫌いじゃない振りをしていた。世間と異なることで惨めな思いをしてきた私はいつか、普通の人に憧れるようになって、普通の人のように暮らすことを幸せと思うようになった。しかし、相当に捻くれていた私はそれだけではなく、私のことを馬鹿にしてきた人たちに「勝ちたい」とも思っていた。その結果、普通の人と同じだけど普通の人よりも優れた幸せが欲しいと思うようになり、東京の高層ビルでバリバリのキャリアウーマンになることが夢になっていた。

旅はセラピー

そんな夢を持っていた私だが、18才で一人旅を始めた。世界中の様々な価値観に触れ、たくさんの人に出会い、私の見る世界も少しずつ変わり始めた。様々な経験を通して、前よりも自分のことが好きになれた。それでもまだ、旅に出る前のキャリアウーマンへの憧れはあったし、心のどこかにまだ対象の分からない復讐心があった。

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バッドトリップから得たもの

こんな過去の私が、今のような本当の意味での自由奔放な自分になるためのターニング・ポイントになったのが、以前の記事で書いたバッドトリップだった。私はインドの無人ビーチで世界中から集まった人と大晦日を過ごしていた。新年祝いも兼ねてLSDをやって、トリップを楽しんでいた。私は途中バッドトリップに入ったけれども、そのバッドトリップを抜けた時に「現実は想像よりも何倍も美しい」ということに気付いた。しかし、それにはまだ続きがあった。

私は続けてこう思った。国籍も性別も職業も育った環境も異なる人々が世界中から、2018年の新年を迎えるというだけの理由の下、ここインドに集まっている。彼らは純粋に幸せを追求して、こんな世界の果てのような土地に辿り着いた。何もないビーチで月明かりの下、音楽を流して語り合うことがこんなにも美しいものだとは知らなかった。この瞬間をこの人たちと過ごす機会は一生に今一度しかない。どれだけ願っても、2018年の新年は人生で一度しかやって来ない。この瞬間を自分の好きな人と、こんなに美しい場所で過ごせる私はなんて幸せ者なんだ。

この幸せは、トウキョウの高層ビルにいたら、一生かけても手に入らない。

今までの空虚な夢は捨てよう。東京にはもう戻らない。あそこで私は幸せになれないと認めた。私は別にキャリアウーマンになりたかったわけではない。そうすれば幸せになれると勘違いしていただけだ。小さい頃からの夢を捨てるのは、昔の自分を見捨て、否定しているようで、簡単に踏み切れることではなかった。それでもここで大きく方向転換しないと、私は一生本当の幸せを知らないで後悔しながら生きていくような気がした。

人生全てを手に入れることは不可能だ。それならば私は、富や社会的地位は諦めてでも、自由と幸せを手に入れたい。こういうことを言うと、資本主義社会の底辺人、負け犬、狂ったヒッピー、理想主義者などと批判してくる人がたくさんいる。そう思われても仕方ない。そう思われても気にならない。昔からの幻想的な夢を諦めてからの方が、私は何十倍も幸せだし、今はそんな自分が愛おしくてしょうがない。

人生は、あの大晦日のような儚い瞬間の連続だ。他人の意見を気にして、自分に嘘をつきながら生きる後悔はしたくない。だからこそ、あのビーチで見たような美しい世界を見続けられるのであれば、どんな努力も犠牲も厭わないと自分に誓った。その誓いは今も破られていない。


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