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1992年の裕木奈江(最強伝説その②)

92年ってもう約30年前なんだよなあ。時の流れってすげえなあとあらためて。

ちなみに今回のマクドナルドのチキンタツタはあだち充「タッチ」と組んで「迷うって、青春だ」とキャッチコピーをキメている。瀬戸内レモンタルタル風味は断じてアリ。ついでにこのキャッチコピーも。

青春って定義は世代によっても様々なんでしょうよね。今だとあえて「アオハル」と読んじゃって日清カップヌードルを啜りながらマンガ「ワンピース」を読むのが青春なのかもしんない。まあ、迷うという行為の中には猛烈かつ過度な感情、つまり喜怒哀楽も含まれてると思うんですよね。ちょっとしたことで泣いたり、笑ったり。その辺を上手にコントロールできるようになると青春ってのは終わりを告げるのかもしんないですよね。

さて本題。1992年、裕木奈江という女優はそんな「青春」って人生における瞬間的タームにぴったり寄り添える存在だったと思うんです。

なんせソニー移籍第一弾、92年11月にリリースされドラマ「ウーマンドリーム」劇中でも流れた「泣いてないってば」ときて「拗ねて、ごめん」ってタイトリングの素晴らしさ(青春満載)。移籍前の「硝子のピノキオ」もそうなんですけど、音楽面の「裕木奈江」の魅力を考察する場合、70年代的肌触りがまず特徴としてあげられるわけですよ。「硝子のピノキオ」では山崎ハコ、「泣いてないってば」も「拗ねて、ごめん」も路線的には70年代の正統派アイドルポップを90年代にアップデートされたものだし。村下孝蔵と組んだ「この空が味方なら」も然り。ちなみに筒美京平再評価も含めての歌謡曲がレアグルーヴとして評価されるのはもう少し後の93〜4年ぐらいからだったと思う。沢田研二が表紙だった雑誌「ブルータス」の歌謡曲特集もたしかそれぐらいのタイミングだった。

歌謡曲、ポップスにおける最優先事項って、まずは声だと思うんです。次に歌詞、メロディの順番。これって要するに代用不可なもの順なんです。そりゃあエフェクトやらもろもろ駆使すればある程度は声も作れるけど、なんなら初音ミクやらボーカロイドでよくね?ってことになっちまえばそれまでって話で。声質って本人の資質だし、変えようがないじゃないすか。そしてその声をより際立たせる言葉、つまり歌詞があり、それを伝える手段としてのメロディ。このコアな部分が固まってればアレンジは自由自在。もちろん逆パターンを否定するわけじゃないけど、それってサウンドも含めての全体を見渡せる総合監督、つまり作詞作曲、トラックメイキングまで全部やっちゃうアーティストのビジョンがむちゃくちゃ明確だったら順番もへったくれもないとは思いますよね。サカナクションの山口一郎に「歌詞から書かないとポップスとして成立しねえんだよ」なんて言う必要がないし。

話がズレちゃいましたが、作家陣に松本隆や細野晴臣、鈴木茂が参加し、より裕木奈江なりの歌謡曲レトロスペクティブは加速していく。アルバムで濃密な世界観を構築し、矢野顕子の楽曲を取り上げるし、はっぴいえんどのカヴァーはするわ、ヴォーカリスト「裕木奈江」の世界はどんどん独自性を増していった。ちなみにあまり知られてないが、近田春夫による「どうして微笑んだの」と「ワンナイトサンバ」、意外な小室哲哉による「みんな笑った」なんて佳曲もある。松浦雅也のペンによる楽曲も秀逸。いわゆるフォーク、ニューミュージック勢の山崎ハコ、伊勢正三、村下孝蔵、ロック畑の松本隆、細野晴臣、鈴木茂、そこに秋元康、筒美京平である。どうしたって、表現力が伴わなければ豪華作家陣に押し潰されてしまう。だがそうはならなかった。9枚のシングルと7枚のアルバムをちゃんと追っていけばよくわかる。しかもチャートアクションを見ると2枚目のアルバム「森の時間」はオリコン最高位6位である。シングルよりもアルバムが受け入れられるのはそれだけ歌い手、裕木奈江の世界観がしっかり構築されているからだ。ちなみに3枚目のアルバム「旬」に収録されている「青春挽歌」、「いたずらがき」は作詞が松本隆、作・編曲が細野晴臣による名曲。このアルバムには「夜と朝のすき間に」もいい。作曲は安全地帯の矢萩渉、作詞は裕木本人のペンによるもの。


画用紙を膝にのっけて
横顔を盗んで見てた
悪戯な子供のように
クレヨンで指を汚して

(「いたずらがき」より。作詞 松本隆 作・編曲 細野晴臣)

盗んで見てた、と指を汚してって表現が秀逸じゃないですか。
その言葉を裕木の声で歌うと世界は広がっていく。

太陽のように孤独 太陽のように孤独
松の葉で手の甲を ちくっと刺して また泣いた また泣いた

(「青春挽歌」より。作詞 松本隆 作・編曲 細野晴臣)


こうして歌い手、裕木奈江は独自の青春歌謡を構築していく。
東京って街で繰り広げられるワンシーン。たとえば私鉄沿線のどこかの各駅停車の駅。東京近郊の街の公園。ぎんぎらぎらの、シティ感覚とは逆ベクトルの、淡い陽射しに包まれた風景。
ボクは勝手に世田谷線とか東急東横沿線とかを想像していたし、今でもこの辺のシチュエーションがよく似合うと思っている。人肌感が残る街並。渋谷でも神泉、駒場東大前とか微妙にズレたエリアにこそ、彼女の歌声はよく似合う。たとえば下北沢。その近辺の梅ヶ丘とか経堂、狛江あたりでも断じてアリな質感。サブスク全盛の今、まだ彼女の作品は解禁されていない。だけど配信で手に入るものや、もしくは中古で探してでも彼女の作品に触れてみればボクが言ってることはわかると思いますよ。

ボクは98年2月から長らくのたくっていた京都を離れ、東京に住み始めた。なので、裕木さんの作品は全部京都在住時代に購入したものだ。特に93、94年はボクの大学留年タイミングとばっちりかぶるのだがフニャモラ(フニャフニャ・モラトリアムの略)時期、たくさんのポップ・カルチャーの洗礼を受けた。なんせ時間だけは余るようにある。タランティーノの「パルプ・フィクション」やデヴィッド・フィンチャーの「セブン」といった映画、フリーソウルムーブメントと並行して動いていた京都のクラブシーン、古本屋に中古レコード、ヴァージンメガストア。よしもとよしともの「青い車」、江口寿史編集長による「コミック・キュー」、フジテレビのドラマとビッグコミックスピリッツ、吉田秋生の「ラバーズ・キス」、サニーデイサービスの「若者たち」、「東京」。うん、はっきり言って書ききれない笑。

チャリ(のちに盗まれ紛失)に乗って京都御所や鴨川のほとりで本や雑誌を読みながらウォークマンにぶちこんだマイプレイリストをヘビロする日々。裕木さんの歌声は京都の街にもよく似合った。買ったばかりのロッキンオン・ジャパンや赤田祐一編集長時代のクイックジャパンのページをめくる肌触りは今でも鮮明に覚えている。


それにしても「迷うって、青春だ」のキャッチコピー。マクドナルドのセンスはさすがだなと思いつつ、なんだかんだでみんな青春を求めてると思うんですよね。(2年前になっちゃうけど)日清カップヌードルの「アオハルかよ」もそうだし。コミュニュケーションツールがデジタル当たり前な世の中だからこそ、アナログな感情を求めるわけで。ちなみにチキン竜田の瀬戸内レモンタルタルソースは美味しいんだけど難をあえて言うならばひじょうに食べづらい。だけどその食べづらさも青春なんだな。そう思わないすか?

そんなわけでボクは裕木さんの楽曲をCDで聴いている。個人的には3枚目の「旬」、6枚目の「水の精」が好きなんだが、6枚目の「アラモード」も嫌いじゃない。あ、忘れちゃいけないのが大瀧詠一プロデュースの植木等のアルバム「植木等的音楽」に収録されているデュエット、「花と叔父さん」も。この曲ではっぴいえんど全メンバーとのコラボを果たしてるわけですからね。

ヴォーカリストとしても稀有な才能を持つ、シンガー裕木奈江。願わくばサブスクも全面解禁して欲しいなあ。
東京・神奈川ローカルの風景がよく似合う、その歌声は永遠に聴き継がれるべきものだから。


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