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さよなら、少年ジャンプって、あくまで昭和の話(改訂版)

先日ふと思ったのは少年ジャンプのことだ。

いや、もしかするとずーっと考えてたのかもしれない。いつからこんなにスタイリッシュな雑誌になったんだろうってことを。え?って思うかもしれないけどボクにとってはそう見えるってことだ。

ボクにとってジャンプ、チャンピオンの両誌は泥臭さの賜物みたいな存在だった。エネルギッシュで暑苦しく、みっちり誌面に詰まったモヤモヤっとした塊が読者のハートにズドンと突き刺さる。昔、元ジャンプ編集者が退職後立ち上げたバンチを読んだ時同じような印象を受けたけど、あれは再現したかったんだろうなと今にして思う。当時の熱意ってやつを。

思えばジャンプにはまともな主人公などひとりもいなかった。今よりもずーっと社会不適合な連中が主人公だったんですよ。昭和のジャンプは特に!

だいたい「ついでにとんちんかん」と「奇面組」。この80年代ジャンプを牽引した2作品、もしかすると今の時代だとコンプラ的にアウトなんだろうな。下手すりゃ初期の「こち亀」の昭和アナーキー路線だってアウトなのかもしれない。だってギャンブル好きの貯金ゼロ、プラモデルにテレビゲームが大好きな交番勤務の警察官って設定自体に今だとくだらない文句を言うやつ出てきそう。あとは公道をスピード制限無視で突っ走るドライブ好きの兄ちゃんを主人公にしたアレとか、やたら「さわやか」な中学生(美人の許嫁付き)の青春モノだって「教育上うんぬんかんぬん」言うやついそう。あとは小学生にして普通に野球大会を地味に繰り広げるかと思いきや突然当時のジャイアンツのエースとキャッチャーが裏でアドバイスするかと思えば長嶋監督が「プロ野球機構によるリトルリーグ構想」をぶちあげ気がつけば(小学生なのに)後楽園球場で試合ですよ。ジャイアンツのジュニアチームVS阪神タイガースジュニアだけで終わるかと思えば結局全球団がジュニアチーム持っちゃう恐ろしい展開だった野球マンガあったんですよ。「リングにかけろ」だって今のご時世に受け入れられるかどうかわかりませんよ。気弱な小学生男子と勝気なちょいエロな姉ちゃんを主人公にしたあのボクシング漫画がまさかのワールドワイド展開、さらにギリシア神話まで登場してくる展開にどこまでついていけるか、、、、右フックの変化形が後々繰り出されるトンデモ・ブローになるなんて誰も予想出来なかった。昭和の小学生のあんなこといいな&こんなことできたらサイコー妄想を忠実に具現化していくとああゆう誌面になるんだよなと納得なんですけど。黙々と「がんばらなくちゃ」イズムでひたすら練習に明け暮れる高校球児なんてのもいましたね。連載中は甲子園に行けないという悲劇。でもそのリアリズムがよかったんだ。そして作者没後、数年前に作画者を変えて再登場したときは拍手喝采、今度こそと思いましたよオレは。まさかの結末には少々驚きましたけどね。なァ、谷口くん。監督としての君の姿を見れる日が来るなんて夢にも思わなかったよ。

ギャグ漫画ってことになるとまたニュアンスは異なってくるんですけども、「トイレット博士」や「1,2のアッホ」、「すすめ!パイレーツ」はアナーキーでポップだった。マンガとして貫通力、迫力があるんですよね。妄想や願望っていうよりも当時の最先端のお笑いやバラエティ番組と同じレベルで戦える視点がちゃんとあった。妄想と破壊。要するに恐ろしいぐらいのごった煮パワーが全国のトンチキな小・中学生のハートを鷲掴み、ジャンプは急成長を遂げていく。下手すりゃジャンプ読者も家族的には三代目なんぞ珍しくもなんともない時代なわけですよ。かつての人気マンガ家が唐突に政治家を目指すドキュメンタリーなんてもう掲載されないんだろうな。今なら絶対ありなのに。小畑健あたりが描いたらオモコロだと思うんですがね。ダメ?だよね。昔のジャンプにはあったのよ。煮詰まった漫画家がいきなり政治家目指すぜと田中角栄に会いにいったりした話。ええ「やぶれかぶれ」のことです。本やんこと本宮ひろ志の。

あの泥臭さが癖になったのはいつからだろう。勝手なイメージですけど少年チャンピオンのほうが洗練されたイメージあったんですよね。チャンピオンコミックスの統一された装丁のせいかもしれないけど。あとは「750ライダー」とか主人公がやたら喫茶店でダベったりするシーン連発で背伸びした気分を味わえたからかもですが。ジャンプだと喫茶店シーン、例の不良警官がテレビゲームやりながら喫煙して競馬新聞読むって感じだったからなァ。そのへんの描写が変わってきたのは北条司の「キャッツアイ」以後だろう、、なんてそれは間違い。江口寿史「ひのまる劇場」や「ひばりくん」のほうが早いので誤解なきよう。そういう漫画読みとしての抗体あったからこそ、あだち充お得意の喫茶店シーンも全然違和感なく読むことが出来たわけだ。ってなんか論点ズレてきたな。まあいいや。

ジャンプの話に戻ります。おそらく現時点での漫画エリートは間違いなく少年ジャンプだ。Netflixやらディズニープラスやらの黒船系と対等に渡り合えるコンテンツ製作力、センス含めてジャンプ編集部が勝てるチームだと思います。現在連載されてる作品、どれをフックアップしてアニメだろうが実写だろうがワールドクラスで戦えるポテンシャルありますからね。だけどボクは思うわけだ。ストーリーも破綻なく、キャラ設定もしっかりと、表現も世の中的なコンプライアンス満たしてて不足なしこれで準備OK南佳孝と。いや、いいのよ。たださあ、なんつうか。破綻しろって話じゃない。荒唐無稽の塊、つまり壮大なデタラメ話。これもマンガがマンガであるための必要なことだと思うんだ。用意周到な先行き&着地点も安心安全、誰も傷つけない傷つかないつるっとした喉越しばっちりな話でもいいけどさあ、やぶれかぶれなスピリットに溢れたやつ、そろそろ欲しいなって思わない?なんつうかおとなしい。読み手を夢中にさせるのは安全策満点のもんじゃないと思うんだよなあ。たとえばさ、いまだに70~80年代ジャンプのキャラクターが語り継がれたりスピンアウトものが続いてたりってことってぐっとくる壮大なデタラメ話に魅力があるからじゃないですか。そこで登場するキャラもふくめて。

だってさ、「魁!男塾」の大筋をちゃんと説明どれだけのひとができんの?だけどめちゃ覚えてる。たとえば油風呂といえば冨樫じゃないですか。新宿を拠点に生きてる女好きで大食いの殺し屋を呼ぶ手立ては駅の黒板にXYZなわけでしょ。やー、なんつうか筋立てとかすらすら書けちゃうところに当時のジャンプの魅力はありますよね。ギャグもファンタジーもバトルものに人情もの、時々ちょいラブコメっていうほぼオールジャンルを揃えたコンテンツ集団。あの泥臭さは癖になったんだよなァ。

ボクがジャンプ購入をやめたのは「きまぐれオレンジロード」最終回が掲載された号なので1987年の秋。それ以降も「スラムダンク」は単行本で読んでたし誌面自体を読むことはあった。「バクマン」も買ってたしね。「鬼滅の刃」も連載1回目でその秀逸なキャラ造形にひさびさにジャンプらしさをボクは感じた。泥臭くもあり破天荒で壮大なデタラメ話っぷり。この荒唐無稽さこそマンガだよなと思った。先日コミックモーニングで島耕作が相談役勇退、なんて話ありましたがそもそも課長だったんですよ、島耕作は。それがトップまでいって相談役ってもはやデタラメを通り越してSF(少し不思議)ですよ。だけどそれがマンガなんですよ。どこに左遷されようと(理由が上司の女に手を出した)系列子会社に飛ばされようと知らない間に妻が不倫してようと(別れた)学生時代からの友人(男)に「ずっとお前が好きだった」とカミングアウトされようと川の流れのように生きる男、島耕作。韓流ドラマでいま実写化すれはウケる気がしますけどね。アハ。

もしかするとそんなデタラメぶりも荒唐無稽さも必要とされてない時代なのかもしれない。だったらフィクションいらなくね?ともボクは思うんですけどね。少なくてもボクは読み続けていきたいと思う。壮大なデタラメ話を。たまにはさ、魁!男塾みたいなやつ掲載してみたらどうだろう。いまの小中学生、油風呂とかどう反応するのかだけは見てみたい気はする。バカバカしくて荒唐無稽。マンガがマンガであり続けるキモはそこだと思うんですけどね。


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