散文詩 決壊(2010年)

ひとつかみの空気さえも食べる気もないようなくちぶりで、その唇が冬の陽差しに射されて白く動くと、吹きだまっていた雪がひとりでに融けていく、雨の匂いが滲み出していく、白い霞に囲まれて、くしけずられていくきららかな夜が、そぎ落とされてできた白く輝く頂に、新しい氷河が次から次に胚胎されて、グラスの上に注がれてくる、待合室で立っていた、きみは高架下に広がる六本木の街並みを眺めていた、その体中に空けられたドアが開いて通路ができる、身体性のターミナル、物質の中で、悲鳴をあげる、なぜ、こときれた情報通信網が腸を黒く凍りつかせる、到るところで地面が殖民されて、谷間という谷間から聞こえる歌声が出揃う、鼓膜の向こう側からランゲルハンス島にまで、望外の音のまとまりが区分されて、吃音のように、変わり廻って、果てていく、土星の周辺を廻る小惑星たちの軌道、鼻歌交じりに、何を待っているの?ある日金色が粉のように光って陽射しの静けさにアクセントをつける朝がくる、縊死したということ、砂になったということ、白くて粒の粗い、それはモニターの中でしか確認できなかったと彼女は言った、振り捨てられなかった木霊たちが土を食べていく、すると大地は痩せ細る、ある日自分が動物に変わっていたことの名残に、塗糊されていた空間が剥がれ落ちる、何もかも剥がれ落ちてしまえばいいと彼女は冷たくそう言った、それは憎しみという泥のなかで酔いしれるということ、それが美しくなかったなんて、誰が言えるだろう、蜥蜴の鱗のきめ細かさで、どこまでも流れる、青みがかった色つきガラスの三角片の河の面に、今年はじめての雪がふりそめ、身を躍らせては燃える熾火を眠らせる、おまえは花咲いたままで眠る、些細なことにも寒がる肌理にも、景色の地肌がのりうつる、おまえの体は鏡のように風景を反射させる素材でできているから、どこにも人がいない、動物もいない、犬も、猫も、鳥たちはみんな血を吐いて死んでいる、そういう景色が、マントルピースの火にくべられて、自分自身の非を死のように、錯視していく魔法にかかった、人であることをやめた意識たちがパチパチと燃える、6、7割がた焼け出されている、熾天使の描かれたミニアチュールを、刺繍されているレースカーテン、その上を、骨髄液に浸されたメダカのように、アブラハヤのように、大切なことは何ひとつ知らずに泳いでいく、一陣の風、踊るように撓って行く薄紅色の垣根、うなされながら、うながされながら、すがりつくようにして伸ばした白い手、僕ではなくてそれは別のものを目指している、あまりにも高速ですれ違っていくのですれ違うことも気付かない、あまりにも小さい環状道路だったから無限にすれちがって静止しているようにしか見えない、こめかみが熱い、底の見えない井戸の暗がりに吐き出された息は青白いそっけなさと一緒に微熱を伝えた、丈の高い草が伸びて、それはテンシノカミノケという名前だった、はやくあたしの口を塞いでと彼女は言った、吐き出されていく泡の彼方に呑み込まれるのが、溺れていくのが怖いから、矢面に立たされてあらわになった、ひとつかみの空気が呼んでいる、身体性のターミナル、決壊していく、気温が下がるにしたがって、感じ取っていることのすべてが過去になる、ほらもうすべてが過去にある、信じがたいほどの遠い未来から、幽霊みたいに、すべてを見通すひとつの視点が、僕たち二人を、見守っている。

(2010年)

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