小説 隅田川で(2006年)

 東京の、清澄白河のあたりに運送業者の会社があって、23才のセイジはその場所で働いていた。その日、仕事の帰りに隅田川を通った。そうしてあたりを散歩していたのだが、少し休もうと思って、川沿いのテラスに近寄ってみた。 ――その日はたしか7月ごろだったと思う。汚れたテラスの、白くて丸い、テーブルの上では、黒鉄色の働き蟻の群れが、うめうめうめうめ、散らばって動いていた。――少し朽ちかけて、ところどころで白い塗装の剥げている柱が、黒々としたテラスの屋根を支えていた。その屋根も、十四五本の海老蔓が、黒ずんだ体を見せびらかすみたいに、もはやすっかり干からびて、節くれだった様子で、だらしなく釣りさがっていた。――初老の浮浪者が、壁みたいに垂直になった土手にもたれかかって、ぼろぼろの亜麻色のオーバーの襟に、まるっこい首もとをうずめかせるようにして、同じように薄汚れた菓子パンをむしゃむしゃとほおばっているのが見えた。――けれども、男の様子が、自分の末路を考えさせて、それから自分自身の生活の不安とも重なったので、セイジは軽く不安を覚え、そういう不安に嫌悪感を覚えないではいなかったので、足を早めて、欄干の手摺に手をかけた。――そうして真夏の隅田川の風景を見渡した。

 水面では、緑色と、灰色と、金色とが、なだらかに燃えあがっていた。そうしてその水面のひとひだひとひだで、曇り空を透かしてやってくる淡い陽射しが、美しくその身を翻して、なまめかしい綾織模様を形作っていた。――微笑をまた次の微笑によって打ち消していくかのような、泡沫たちや波飛沫たちは、波襞たちを、フリルみたいに装飾していた。そうしてこの波襞たちの、やわらかい綾織模様のずっと奥からは、たおやかな塩気を帯びた微風たちが、そよそよと吹いてきて、甘い腐臭を、くゆらかに薫らせて、つれてくるのだった。――そよぎが頬に、かすかに触れると、懐かしい感情が、すこし物悲しい旋律みたいに、呼び覚まされた。

 あああ、時間が過ぎ去っていくなあ、と、セイジはゆるやかな感慨に浸って、ぼんやりしていた。すると、どこかから、「そんなことはさせないよ、時間泥棒さん」と、昔どこかで耳にしたセリフが、セイジの頭のまわりをぐるぐる回って、消えていった。――セリフがあらわれ、消える様子は、まるで銀色の皮膚をしている、小魚みたいなあわい姿で、水煙みたいな、霞たなびくセイジの無意識の曖昧な感覚を、せびれみたいにびらびらと纏わせながら、泳ぎはじめて消えていくのだった。

 ふと見ると、わりとこちらの近くの川岸で、どこかで見慣れた紙パックのひづんだ直方体が、あぶくまじりの黒い水襞に、くっくらくっくら頭をのぞかせ、遠くの方まで流れていくのが目についた。この紙でできた漂流者は、波に揺られて、角張った四隅に、ひたひたひたひた、たおやかな波紋を、つつましやかに、浮かべたままで――ずいぶん呑気に、ぷかぷかぷかぷか、笑っているのだった。「まったくのんきなやつらだぜ!」と、つぶやく声が、なんとはなしに、頭のどこかでひゅるひゅる聴こえた。――他にもなにやらないものかしらと見ていると、しわだらけの全身を、ぷっくらと膨張させて、やっぱりこちらもあさましやかに汚れている、ポリエチレンの丸い袋が、ぺーらぺーらと漂流するのが、すっきり見えた。

 そしたらふいに、三匹ほどの、変なぶよぶよした物体が、すぐ目の下の、岸の近くに、現れた。それは、なんだか白っこくって、やっぱりまったくぶよぶよしている――ほぼ円形の、肉のかたまりで、全体としては、傘のように、水の下数十センチのあたりで、ぷかぷかと――そう、泳いでいるのだった。

 その円形の傘の下には、たくさんの細長い紐のようなものが、前後左右にゆらついて、白くふやけたやわな皮膜をみせていた。つまりは、しばしば水族館などでみかけることができる有名な刺胞動物――くらげが三匹、漂っているのだった。「こいつはすげーや!」

セイジはすっかり、心を動かし興奮していた。

隅田川にはクラゲが棲んでいるし、波もきれいだったので、セイジは隅田川が好きなのだった。おしまい。

(2006年から書き始めて2012年に完成)

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